「敬遠中国」こそ繁栄への道…中国を敬して遠ざけると日本は繁栄するという歴史法則

■1.『なぜ中国から離れると日本はうまくいくのか』

 石平氏の新著の『なぜ中国から離れると日本はうまくいくのか』というタイトルには思わず唸らされた。「目から鱗」というべき斬新かつ骨太の歴史観がかくも簡潔明瞭に語られているからである。

 我が国が繁栄したのは、平安時代、江戸時代、明治の文明開化期、そして戦後の高度成長期である。そのいずれの時期も、我が国は中国とはほとんど接触がなかった。

 逆に不幸だった時期は、近代では昭和12(1937)年に始まった支那事変から大東亜戦争敗戦までの期間、それから直近のデフレによる「失われた20年」であろう。前者は満洲への進出から泥沼の大戦に入り込み、後者は中国への企業進出と安価な中国製品流入が国内にデフレ不況と高失業率をもたらした。

 こうして見ると、「敬遠中国」すなわち「中国を敬して遠ざけると日本はうまくいく」という経験則は、ほとんど例外なく我が国の歴史を貫いていることが分かる。

 問題は「なぜか」ということだが、石平氏は各時代の歴史を遡って、その「なぜ」を探り出し、そこから我が国の今後、行くべき道を示唆している。本稿ではその概要を紹介したい。


■2.聖徳太子以来、中国とは別の道を歩んだ日本

「敬遠中国」の元祖は聖徳太子である。太子は西暦607年、隋の皇帝に「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙なきや」との書を送った。日本天皇と中国皇帝を同じく「天子」と呼んで、中国の皇帝のみが世界の中心であり、周辺国はその臣下として、国王であることを認められるという中華思想、冊封体制から脱却した宣言であった。[a]

 その後、聖徳太子の理想を大化の改新で追求した天智天皇は、同盟国の百済を守るべく、唐・新羅の連合軍と白村江で戦い、大敗を喫したが[b]、その後は国内の守りを固め、その後の奈良・平安の時代は、我が国は大陸での戦乱を他所に繁栄を謳歌した[c,d]。

 天智天皇・天武天皇の時代には、中国式の律令体制を導入した。これは中央集権体制により、国防力を強化するためであった。しかし、中国からの脅威が和らぐと、律令体制が崩れて、貴族や寺院による荘園制がとって替わり、そこから封建制が発達していく。

 この封建制が熟して太平の世を築いたのが江戸時代であるが、これは中央集権制を続けた中国とは全く別の道であった。江戸時代の日本は、当時の世界でも最高水準の教育レベルを誇り[e]、幕末に来日した多くの欧米人たちは庶民の幸福な生活ぶりに驚嘆した[f]。これも中国から離れて、日本独自の文明を築いた結果であった。


■3.中国に関わって短命に終わった平家、室町幕府

 しかし、荘園制から封建制に向かう歴史の過程で中国に接近しようとした政権もあった。

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 平安時代の「平安」を破ったのは「保元・平治の乱」だったが、内乱の平定に活躍した平清盛は、平安朝を乗っ取ったかたちで自前の武家政権をつくった。だが、天下を取ったあとに清盛は気を大きくしたせいか、とてつもない大事業に着手した。

彼は音戸(おんど)の瀬戸や大輪田泊などの都を整備し、中国・南宋との日宋貿易を盛んにした。清盛の手によって、遣唐使の廃止以来、中断していた中国への通航ルートが再開され、日本は再び中国に近づいた。[1,p70]
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 しかし、この「親中派」の平家政権は、たちまちにして東国の田舎武士たちに滅ぼされ、以後、140年以上、中国とは疎遠な鎌倉幕府が続く。しかし、その鎌倉幕府は、元寇への防戦という形で、中国と関与せざるをえなくなり、それが原因となって崩壊する。

 鎌倉幕府を継いだ室町幕府はまた「親中派」であった。

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 この室町幕府の統治体制を完成させた足利義満は、中国との「勘合貿易」を確立したことで有名である。勘合貿易とは、中国の王朝(当時は明王朝)に貢物を差し出す「朝貢貿易」のかたちをとっているから、そのために義満は進んで明王朝の冊封体制に入り、明の皇帝の臣下としての「日本国王」の立場に甘んじた。[1,p72]
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 室町幕府は形の上では15代、240年近くも続いたが、その冒頭から約60年間「南北朝争乱」が続き、それが3代将軍義満の時にようやく終わったと思いきや、60数年後には応仁の乱から戦国の世に突入していく。

 その後の戦国の世を、信長、秀吉が統一するが、秀吉は明の征服に乗り出して失敗。その後を家康が継いで、江戸幕府を開き、中国とはほとんど無縁の形で太平の世を築く。


■4.権力者が私利私欲を追求すれば政権崩壊する

 中国との交易を進めた平家および足利氏が短命ないしは弱体政権に終わり、中国を敬遠した鎌倉幕府や江戸幕府が長期安定政権を築けたのは何故だろうか。以下は弊誌なりの考察である。

 そもそも、政権を握った者が自ら対中貿易を目指すということは、権力を使って「私」の利益を追求する、ということだ。そこには自らの権力を「公」のために使うという使命感がない。義満が勘合貿易のために、皇室を無視して「明の臣下としての日本国王」の立場に甘んじたのも、その私心の現れの最たるものである。

 それに対して、鎌倉幕府は天下を治める責任感を持っていた。たとえば、元のフビライが「通商して好(よしみ)を結ぼう」との国書を寄せた時、一部の公家が南宋との貿易で莫大な利益を上げていたこともあって、「形だけでも属国となって、交易で利益を上げれば」との意見も出ていた。

 しかし、将軍時宗は国書に「大蒙古国皇帝奉書」と上段に書いた後、小さく「日本国王」と書いてあるのに「これは無礼な」と眉を逆立てて、こう言った。[g]

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 礼なければ仁(おもいやり)なく、仁なき交わりは、禽獣(動物)の交わりにもおよびません。
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 ここから鎌倉幕府の元に対する戦いが始まるのだが、将軍が「公」のためには「私」の利益を無視しても戦う、という姿勢を示せば、全国の武士が将軍の下に一致団結して立ち上がったのも当然である。鎌倉幕府にはそのような「公義」の使命感があった。

 江戸幕府についても、3代将軍・家光の異母弟かつ4代将軍・家綱の後見役として「徳川の平和」を築いた保科正之[h]、また天明の大飢饉でも一人の餓死者も出さなかった米沢藩主・上杉鷹山[i]の足跡を辿れば、江戸時代の繁栄の土台として、為政者の「背私向公」があった事が窺える。

 逆に足利氏のように、「公」を無視して、将軍が私益を追求すれば、家臣も同様に主君の権力を奪おうとしたり、隣国の領地を犯そうとする。そうなれば、幕府が内部分裂して、弱体化するのも当然である。そしてその結果が長き戦国時代であった。

 もともと中国大陸は地方の権力者や異民族が入り乱れて、私利私欲の戦いの絶えなかった土地柄である。為政者としての理想を説いた儒家や、公のために統治を行った名君もいたが、大勢としては「悪貨が良貨を駆逐」してきた社会と言って良い。

 そういう中国と、私心を持った日本の権力者が金儲けを目当てに付き合おうとすれば、日本国内も下克上と内紛で収まりがつかなくなり、その結果が政権崩壊となる。「朱に交われば赤くなる」とは、この事である。


■5.敬遠中国で成功した明治、日中連携で失敗した昭和

 黒船に象徴される欧米諸国のアジア侵略から、国を守るために、我が国は幕藩体制を一新し、明治新政府は近代国家建設を目指した。欧米諸国に対抗するためには、軍事的には西洋文明の科学技術を急速に導入する必要があり、政治的には西洋的な立憲民主政治の確立により国民の活力を引き出す必要があった。

 そして、その対極にあったのが、旧態依然たる中国、朝鮮であった。

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 総じていえば、明治期の日本は中国に対してそれほど興味をもたなかったし、中国問題への余計な関与や中国大陸への深入りを極力避けていた。いってみれば当時の日本は、目を西洋の世界に向けたまま、文明としての「中華」にも、国家としての清国にも「敬して遠ざける」姿勢を貫いた。まさに「敬遠中国」である。

 明治期の日本が成功した理由の一つは確実にこうした対外姿勢にあったのではないかと思う。「敬遠中国」の外交路線を貫いたおかげで、日本は中国との紛争や中国の内乱に巻き込まれることなく国内の富国強兵に専念できたし、力を集中させて最大の脅威であった帝政ロシアとの決戦に備えられた。[1,p84]
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 しかし、文明開化の成功によって、わずか半世紀で世界の五大国の一つにのし上がった日本が世界を見回してみると、改めてアジア・アフリカのほとんどが欧米諸国の植民地に搾取されている現状が
再認識される。「陸軍のドン」元老・山県有朋は、第一次大戦勃発に際して、次のような意見書を政府に送っている。

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 今日の世界政治の重要な動因は人種闘争であるから、西洋諸国が戦後再び極東に関心を注ぐようになる。そうすると白人種が提携してアジア人に立ち向かうようになる恐れがある。したがって、わが国としては白人種の将来の攻勢にそなえて、日中の提携をこの際、固めなければならない。[1,p91]
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 人種差別と戦おうという道義心から、有色人種、そしてその中でも最大の中国と連携しようというアジア主義が芽生えてくる。しかし、日本人の道義心からの呼びかけに、中国は応えなかった。

 中国共産党はソ連の手先となり、蒋介石は米英ソの支援を受けて日本と戦った。香港やシンガポール、マレーシアの華人社会は、英国の植民地支配の手先として現地住民を搾取する側に回っており、日本軍と戦う方を選んだ。

 そして大東亜戦争の敗戦。満洲や中国・朝鮮に移住していた日本人は命からがら、逃げ帰ってきた。日本企業も現地に設備・資産を残したまま撤退。こうして日本近代史の最大の悲劇は、中国への関与から引き起こされた。


■6.「敬遠中国」で高度成長、「日中友好」で「失われた20年」

 戦後の日本は米ソ冷戦の狭間で自由主義陣営に立ち、ソ連陣営に入った中国とはまったく関係を持たなかった。日中平和友好条約が締結された昭和53(1978)年までの約30年間、日本は江戸時代や明治時代に戻ったような「敬遠中国」の時代を迎えた。

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 しかし、まさにこの「敬遠中国」の時代において、日本は廃墟から立ち上がり、奇跡の高度成長を成し遂げ、自らを世界屈指の経済大国・民主主義先進国へと変貌させた。1950年からの30年間は、日本にとって安定と繁栄の時代であった。

 しかも、この30年間における日本の経済成長と繁栄は、ほとんど「中国要素」とは無関係に達成された。[1,p109]
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 しかし「日中友好」が持て囃された1980年代以降、日本の政治・経済とも、おかしくなり始める。それまで日本の首相は普通に靖国参拝をしていたのが、1985(昭和60)年の中曽根首相の参拝を機に、中国が批判の声を上げ、日本にとって最大の外交問題の一つに発展していく。

 尖閣諸島も、中共政府は当初「棚上げ」にしていたのにも関わらず、1992(平成4)年に「領海法」という国内法で「中国の領土」と規定。その後、声高に主張を始め、調査船などの侵入を繰り返す。

 経済面でも、日銀の円高政策もあいまって、多くの日本企業が中国進出し、安価な中国製品を日本に逆輸入することで、国内がデフレとなり、失業率も高まった。さらに中国政府は当初は日本企業を積極的に誘致していたのに、経済が発展すると、手のひらを返したように反日暴動の標的とする。

「敬遠中国」から「日中友好」に転換した途端に、日本の政治も経済もおかしくなり始めたのである。


■7.「敬遠中国」こそ繁栄への道

 中国共産党は文革などで自国民を数千万人単位で殺した、中国史上でも最悪の政権の一つである。現代でも内に汚職が蔓延し、外ではウィグル、チベット、内モンゴルを搾取弾圧し、日本、フィリピン、ベトナムの領海を掠め取ろうとしている。

 そんな中国を敬遠して、我々はどこに道を求めるのか。ここで石平氏は中国と北朝鮮・韓国を除けば、その周辺はすべてが日本の友好国ないしは潜在的友好国である事を指摘する。

 台湾、アセアン諸国、オーストラリア、インド、中近東諸国、モンゴル、中央アジア諸国。さらにその外側のアメリカ、欧州諸国も同盟国、友好国である。これにロシアを加えれば、逆に中国こそが「陸の孤島」になってしまう。中国を敬遠した方が、世界のほとんどの国と親交を結ぶ事ができる。

 もう一つ、石平氏の指摘する重要な進路は、「内なるフロンティア」である。戦後の高度成長は自動車、鉄鋼、エレクトロニクスなどの内なる技術革新によってもたらされた。今後も医療、エネルギー、環境、農業などでの技術革新によって日本経済をさらなる成長軌道に乗せることができよう。

「中国と結ばなければ、日本は世界から孤立する」というのは、中国および国内親中勢力によるプロパガンダに過ぎない。歴史が教えているのは、「敬遠中国」こそ繁栄への道、という事である。


メルマガ「国際派日本人養成講座」より

http://blog.jog-net.jp/201405/article_2.html









内容例:
中国皇帝に「独立宣言」を叩きつけた聖徳太子
「鎖国政策」で平和と繁栄を謳歌した江戸時代
中国は「謝絶すべき悪友」と喝破した福澤諭吉
そもそも満洲は「日本の生命線」だったのか
圧力に屈して取り止められた靖国公式参拝
「子供レベルだ」と嘲笑された民主党の「親中外交」
第二次安倍政権誕生、そして「価値観外交」の始動
中国でトクヴィルが大反響を呼んでいる理由
「敵は日本にあり」は規定の政策路線
視点を変えれば中国大陸も「陸の孤島」だ
「中国抜き共栄圏」の構築とTPP参加の重要性 ほか

内容(「BOOK」データベースより)

政権奪取後、「東アジア共同体構想」を謳った民主党は逆に領土問題を激化させた。一方で第二次安倍政権は中国との距離を保ちつつ、着々と外交的成果を挙げでいる。なぜ「日中友好」を掲げた政権のほうが関係を悪化させたのか。弥生時代から近現代までの日中関係史を解析しながら本書が導き出すのは、彼の国に近づいたときに日本は失敗し、離れたときにうまくいくという驚くべき結論だ。ならばわが国は、鈍化する経済成長と並行してナショナリズムへ走る巨大国家にどう向き合うべきか。政治・経済・歴史の知見を総動員して描かれるかつてない日中関係論。






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