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懲りない朝日新聞のオランダ外相「強制売春」発言報道…清算済みの事案を蒸し返して、なおも歪曲

朝日新聞は慰安婦問題報道で自らの大誤報を認めた後も、相変わらず実態をゆがめる報道を続けている。

 「日本軍による組織的な女性たちの強制連行」が虚構だったことを認めながらも、なおも論点を巧妙にずらして、「強制」を拡大し、自紙の大誤報を正当化しようとする姿勢が顕わである。反省の色はまったく見られないと言ってよい。



「強制連行」を「強制売春」にすり替え

 朝日新聞のそんな歪曲報道の最近の実例が、10月5日朝刊の国際面に載った「『強制売春 何の疑いもない』」という見出しの記事だった。副見出しには「インドネシア売春婦 オランダ外相発言」と記されていた。ハーグ発の梅原季哉記者の記事である。



 この記事は以下のような記述から始まる。



 「オランダのティマーマンス外相は3日、第2次世界大戦中に日本軍が占領した旧オランダ領東インド(現インドネシア)での慰安婦問題は、『強制売春そのものであることには何の疑いもない、というのが我々の立場だ』と発言し、慰安婦問題を巡る謝罪と反省を表明した河野談話について、見直しを求める日本国内の動きを牽制した。ハーグの同国外務省で、日本メディアを対象にした記者会見で発言した」

 この記述だけでも、これまでの焦点をずらし、ぼかしている点が2つある。

 まず、「強制売春」という用語の曖昧さである。



これまでのいわゆる慰安婦問題での日本糾弾ではまず「強制売春」という言葉はほとんど使われることがなかった。核心はあくまで「強制連行」だった。「強制連行」と言えば、その主語は日本軍とされ、日本軍による組織的な女性の連行こそが日本の国家犯罪として糾弾されたのだ。それをこの記事は「強制売春」という、より定義の不明な、曖昧な言葉に入れ替えてしまった。



 第2は「強制売春」という言葉の主語が分からない点である。

 売春を強制したのは日本軍なのか、それとも中間に入った民間の売春業者なのか。この記事ではオランダ外相がどう解釈しているのか不明である。



 問題の記事は次のように続く。

 「ティマーマンス氏は『河野談話は、この問題に関する両国間の対話の良い前提となってきた。我々は、日本政府が河野談話を継承する意向であることを完全に支持する』と表明」

 「1994年1月に、オランダ政府が公文書館で調査した結果をふまえて当時の外相が出した強制性についての報告書を根拠に『自発的な売春行為などではない』と断言。『実際に経験したオランダ国民はその子孫にとっては、今なお痛みを伴うことであり、両国が高官級で接触する際には、常に提起されるということを理解してもらいたい』とも語り、終わった過去の歴史ではないことを強調した」



 以上の記述は、これまた最大焦点の「強制連行」にはまったく触れていない。慰安婦問題の核心部分としてあれだけ強調し、非難してきた「強制連行」という点は消してしまっている。そしてもっぱら意味の不明な「強制売春」という言葉で「強制」だけを強調してみせるのである。




「スマラン事件」が明らかにした日本軍の方針

 しかもこの記事は、第2次大戦中のインドネシアで起きた最大の慰安婦事件についてまったく触れていない。この事件を無視しては、日本とオランダの間で発生したインドネシアでの慰安婦問題を語ることはできないはずなのだ。そして、ティマーマンス外相の実際の言葉がこの朝日新聞の報道の範囲を出ないのだとすれば、その態度も不公正と言わざるを得ない。

この事件は、日本軍が占領中のインドネシアで1944年に起きた。スマランという町の慰安所に日本軍の一部の将兵たちによりオランダ女性30人ほどが連行され、セックスを強要された事件である。後に「スマラン事件」と呼ばれた。

 ところがこの事件は、日本軍全体として「慰安婦には自由意思で志願する女性以外は雇ってはならない」という明確な方針を保っていたことを逆に証明していた。

 連行されたオランダ女性の父親が日本軍の上層部に直訴すると、上層部はすぐにその明確な方針に沿って、強制連行されたオランダ女性たちを解放し、その慰安所を閉鎖したのである。

 日本政府に批判的な立場から慰安婦問題を研究した吉見義明氏も、著書『従軍慰安婦』のなかでオランダ政府の報告書などを根拠にスマラン慰安所事件の詳細を記述していた。



 その記述を引用しておこう。

 オランダ女性を連行したのはジャワの日本軍の南方軍幹部候補生隊の一部将校たちで、
(1)軍司令部は慰安所では自由意思の者だけ雇うようはっきり指示していたが、同将校たちはその指示を無視した。
(2)連行された女性の父のオランダ人が日本軍上層部に強制的な連行と売春の事実を報告したところ、すぐにその訴えが認められ、現地の第十六軍司令部はスマラン慰安所を即時、閉鎖させた。
(3)同慰安所が存在したのは2カ月間だった。
(4)主犯格とされた将校は戦後、日本に帰っていたが、オランダ側の追及を知り、軍法会議の終了前に自殺した。

 なお違法連行に関わった他の日本の軍人、軍属ら合計11人が戦後の1948年、オランダ当局がインドネシアで開いた軍法会議で死刑や懲役20年という重罰を受けた。要するに日本軍でも上層部の命令に違反した戦争犯罪として罰せられたのである。




まるで未解決のように証言したオランダ人女性

 しかし2007年に、米国連邦議会下院での日本糾弾の慰安婦問題決議案審議で開かれた公聴会には、このスマラン事件の被害者の1人だったオランダ人女性、ジャン・ラフ・オハーンさんが登場し、処罰済みの側面をすべて隠したまま、未解決の連行事件であるかのように被害だけを詳しく証言した。

 それは日本側がいまだにこの連行を認めず、謝罪も賠償もしていないかのような証言だった。いかにも日本軍全体が女性を強制連行していたかのように響く内容だった。

 しかし現実には、オハーンさんが被害を受けた事件は、当時の日本側の規則や方針にも違反した犯罪行為として日本軍上層部にすぐに停止され、厳しい懲罰を受けていたのである。しかもこの事件は、日本軍が全体の方針として「慰安所は自由意思の女性だけを雇うようはっきり指示していた」ことを立証していた。

 ところがこの公聴会では、こうした事実はまったく知らされなかった。明らかに意図的に隠されていたと言ってもよい。極めて不公平なプレゼンテーションだったのである。



すでに清算された出来事を蒸し返す朝日新聞

 アメリカでは、「一事不再理」あるいは「二重訴訟の禁止」は、憲法にはっきりうたわれている。アメリカに限らず、ほとんどの法治国家では同様である。1つの事件が裁かれ、判決が確定した場合、その同じ事件について再び公訴はできない。オハーン証言を計画したアメリカ議会側は明らかにこの法治の原則を無視していた。

 朝日新聞の記事が伝えたオランダ外相の「(慰安婦問題やオランダ女性の強制売春が)今なお痛みを伴うことであり、(オランダと日本の)両国が高官級で接触する際には常に提起される」という言葉も、公正だとは言えない。なぜなら、その「強制売春」はすでに軍事裁判で裁かれ、被告には死刑をも含む厳罰が科されたからだ。それをまた公式に糾弾することは明らかに「一事不再理」の原則に反する。

 さらに日本は、一連の戦争犯罪裁判でオランダを含む戦勝国側から裁かれ、1000人以上の日本国民が死刑となった。1万人以上が戦犯として懲役刑などを受けた。そのうえ、日本はサンフランシスコ対日講和条約などでオランダと講和の合意を結び、戦時賠償を済ませたのである。戦争に関連して相手側に与えた損害への賠償を、国家同士で一括して済ますという作業だった。


であるのに、オランダが慰安婦問題に関して日本に「これからも常に提起される」と言明するのは、あまりに一方的と言える。日本にとっては講和条約や軍事裁判ですでに処理され、懲罰されたことを、あたかもこれまでなんの措置も取られなかったかのごとく糾弾されるのだ。

 現在の日本国民の大多数がまだ生まれてもいない時代の出来事を、しかもすでに清算された出来事を、なぜ今また責められ、謝罪を迫られるのだろうか。オランダがそこまでの日本糾弾を続けるのならば、そもそもオランダのインドネシアでの植民地支配になんの悪行もなかったのかと問いたくもなる。

 朝日新聞の10月5日付の記事は、こうした背景も文脈もまったく無視したまま、オランダ側の一方的な主張を曖昧な表現で報道しただけなのである。その報道の姿勢や手法はオランダとインドネシアが絡む慰安婦問題の全体像を大きく歪曲していると評さざるを得ない。

 こうした記事の背後には、自分たちの報道の過ちや作為を矮小化して、実は自分たちは間違ってはいないのだという本音がちらつくようにも思えてならない。


2014.10.08

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/41903





■オランダの植民地経営■
オランダとの独立戦争は昭和24年12月までの4年半も続いた。(イギリス軍は昭和21年に撤退していた)オランダ軍は都市への無差別爆撃なども行い、インドネシア側は80万人もの犠牲者、1千万人を超える負傷者が出たと言われる

インドを始めとするアジア諸国がオランダを非難し、国連安保理事会や米国議会も撤兵勧告を行った。全世界の世論に押されてオランダは再植民地化を諦めたのである。 オランダはインドネシアの独立を許すにあたり、その代償としてインドネシアはオランダに対して60億ドルを支払うこと、オランダ人所有の土地財産は保全すること、スマトラ油田を開発するのにかかった費用を弁済することなどを要求し、呑ませた。

★これがオランダの350年間にわたる植民地支配の決算の仕方であった。


■日本とオランダ

日本は米英に対して宣戦布告をしたが、オランダに関しては、逆にオランダから日本に宣戦布告してきた。アジア解放を旗印に蘭印への進軍が予測される日本軍の機先を制しようと、先に日本に宣戦布告してきたのだった。

オランダにとって世界の海を駆け回った植民地時代が「栄光の時代」であり、その象徴が本国の40倍という広大な植民地
「蘭領東インド」であった。財政的にも国家の基盤を支えた輝かしい領土が、突然日本軍に占領され、しかも現地のオランダ人は“醜い劣等人種”から支配される側に回ってしまったのだ。その屈辱感たるや半端なものではなかった。

日本降伏後、オランダはインドネシア独立軍と戦いながら、連合国の一員として日本人のBC級戦犯を裁いた。蘭領東インドの軍政に当たった日本軍軍人・軍属、236人に死刑判決を下し、226人を処刑した(10人は減刑)。
これは連合国の戦犯裁判のなかで最高の数である。


さらに日本はサンフランシスコ講和条約とその後の日蘭議定書で、軍人捕虜補償・オランダ国民への見舞金として約48億円を支払っている。現在の価値に直すと2400億円以上であり、復興途中の日本にとって大変な負担であった。

それなのに、いまでもオランダからは補償と謝罪の要求が続いている。そして、それに従おうとする日本人がいる。戦犯処刑による「血の償い」と賠償金の支払いで、日蘭間の戦後処理は完全に終わっているのだ。先人の生命や苦労を何だと思っているのだろう。

オランダは、敗戦国日本に対しては謝罪を要求しながら、350年もの間、過酷な植民地支配を続けたインドネシアに対しては一言の謝罪もせず、金銭的賠償にも一切応じていない。

★平成7年、インドネシアを訪問したオランダ女王は、謝罪はおろか「植民地支配は互恵的であった」とのスピーチをかまし、インドネシア国民を仰天させた。

http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h10_1/jog036.html











インドネシア国立英雄墓地に祀られた日本人たち

メルマガ「国際派日本人養成講座」より

http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h10_1/jog036.html
  
1.カリバタ国立英雄墓地に祀られた日本人
2.独立への願い
3.独立を戦いとれる実力を
4.植民地復活を狙うイギリス、オランダ
5.独立戦争への支援
6.命を捧げてくれた日本青年を偲ぶ
     


■1.カリバタ国立英雄墓地に祀られた日本人■

 ジャカルタ郊外のカリバタ国立英雄墓地は、日本軍降伏後、4年
5ヶ月におよんだイギリス、オランダとの独立戦争で、特別な功労
を立てて戦死した人々が祀られている。この中に11名の日本人が
一緒に手厚く葬られている。[1]

 1945年8月15日の日本軍降伏後も現地に残留して、インドネシア
独立義勇軍に身を投じた人々は、1~2千人程度と推定されている。
400名程度が戦死され、そのうちの32名が各地区の英雄墓地に
祀られている。また独立50周年となった平成7年、残留日本兵
69名に対し、渡辺インドネシア大使から感謝状が贈られ、スハ
ルト大統領は官邸に招いて、お礼を述べられた。[2,p109、3]

 これらの人は、何を思って、異国の地に留まったのだろうか。

■2.独立への願い■

 インドネシアがオランダの植民地となったのは、1605年、それ以
来、3世紀半にわたって、人口わずか0.5%のオランダ人が全生
産額の65%を独占するという収奪が続く。

   1905年に、日本がロシアを破ったことは、アジア人もまた
  西洋をうち負かすことができるほど強くなれるという信念を
  強化させた。それ以降、インドネシア人は、大国として発展
  する日本にいっそうの注目をそそぎはじめた。(インドネシ
  アの歴史家サヌシ・パネ、[4,p242])

 独立を願う民衆の間には、いつしか、「いつか北から同じ人種が
やってきて、とうもろこしが芽を出して実をつけるまでに(約3ヶ
月半)インドネシア人を救ってくれる」という予言が生まれた。

■3.独立を戦いとれる実力を■

 その予言は、1942年3月1日に現実のものとなった。今村均中将率
いる第16軍は、総兵力5万5千をもって、ジャワ上陸を敢行した。
攻略は上陸後3ヶ月を要するだろうと予想されていたが、わずか1
0日後には、オランダ軍司令官は全面降伏した。予言を信じた現地
人が、オランダ軍が築いたバリケードなどの邪魔物を取り除くなど、
積極的に日本軍の進撃を助けたからだ。

 独立運動の指導者スカルノ、ハッタの情熱に感銘を受けた今村中
将は、次のように言って、彼らを支援した。

「独立というものは、与えられるものではなく、つねに戦い取るべ
きものだ。かれらが戦い取ることのできる実力を養ってやるのが、
われわれの仕事だ、、、」[4,p263]

 それから、独立国への準備が始まった。300近い言語をインド
ネシア語に統一する、州の長官、副長官などに現地人を登用し、州
や市の参議会を作って、行政や議会運営を習得させる、さらにイン
ドネシア義勇軍を編成し、3万5千もの将校、兵士を育成した。こ
れらの人々が後の独立戦争の主役となっていく。

■4.植民地復活を狙うイギリス、オランダ■

 日本軍が降伏した1945年8月15日の二日後、スカルノとハッタは
すかさず独立宣言を行う。18日には、インドネシア共和国憲法を採
択し、それぞれ大統領、副大統領に就任した。

 しかしイギリスとオランダは、植民地の復活を狙い、「日本軍は
連合軍が進駐し、交代を命ずるまで、現状を維持し、治安を確保す
べし。そのために必要なる武器は保持してもよろしいから、暴動は
必ず鎮圧すべし」と命令した。さらに「原住民の集会禁止、武器の
携帯、民族旗の掲揚を取り締まるべし。これがためには、兵器の使
用も可である。」との命令が来た。降伏した日本軍を使って、独立
運動を阻止しようというのである。

 一方で、インドネシア側は、来るべき独立戦争に備えるためにも、
何としても日本軍が保有している武器が必要であった。今まで日本
軍に協力してきた幹部達は、必死に日本軍に支援を訴えた。

 独立運動で暴徒化したインドネシア群衆が、武器を要求して、日
本軍の施設を襲う事件も起きた。日本軍は断じて「撃つな、指導者
と話し合え」と厳命を下した。暴徒に銃殺された日本人のなかには、
「インドネシアの独立に栄光あれ」と自らの血糊で壁に書き残した
人もおり、現地人に多大の感銘を与えて、今も記念として残されて
いるという。[4,p290]

■5.独立戦争への支援■

 日本軍には、オランダ軍の目を盗んで、インドネシア側に協力す
る人々が現れた。中部ジャワ地区の馬淵逸雄少将は、廃兵器処理の
許可を得るや、それを拡大解釈して、トラック何台分もの武器をチ
レボン河の河原に捨てた。対岸で待機していたインドネシア側がこ
れをごっそり手に入れた。

 こうしてインドネシア側に、小銃3万5千挺、戦車、装甲車、自
動車など200台、中小口径砲など多数と、ジャワの日本陸軍の装
備の半分以上が手渡された。[4,p289]

 自ら、軍籍を離脱して、インドネシア軍に身を投じた人々も多か
った。その一人古閑正義中尉は、熊本県出身、明治大学で柔道とラ
グビーの名選手だった。スマトラのアチエ州で、地元の青年達を
「何が何でも独立を勝ち取れ」と教育していた。

 昭和天皇の終戦の詔勅の中の「東亜解放ニ協力セル諸盟邦ニ対シ、
遺憾ノ意ヲ表セザルヲ得ズ」という言葉から、インドネシア人を見
捨てて、日本に帰る気持ちにはなれず、同じ部隊の少尉4名ととも
に、独立軍に参加した。戦闘に慣れないインドネシア人を率いて、
常に先頭に立って、指揮をした。[2,p94]

 オランダとの独立戦争は1949年12月までの4年5ヶ月も続いた。
兵員こそ200万人もいたが、武器は日本軍から手渡された数万挺
の小銃が中心である。オランダ軍は都市への無差別爆撃なども行い、
80万人もの犠牲者、1千万人を超える負傷者が出たと言われる。
インドを始めとするアジア諸国がオランダを非難し、国連安保理事
会や米国議会も撤兵勧告を行った。全世界の世論に押されてオラン
ダは再植民地化を諦めたのである。[5]

■6.命を捧げてくれた日本青年を偲ぶ■

 平成7年5月29日、戦後50年を記念して、「アジア共生の祭
典」が開かれた。ちょうど、独立50周年を迎えたインドネシアか
らは、スハルト大統領特使として、陸軍大学長、駐日大使などを歴
任したサイデマン外務省上級大使が参列された。

 サイデマン大使は、約1万人の参列者に対して、次のような挨拶
をされた。

 第2次大戦中、あるいはその直後、植民地の独立のために、
外国の人々が力を貸してくれるということが見られました。
私の国インドネシアの場合、多くの日本の青年たちがインド
ネシアを自由にするために独立の闘士たちと肩を並べて戦っ
てくれました。そして多くの日本の青年がそのために命を捧
げてくれました。今日このアジア共生の祭典において、私た
ちの独立のために命を捧げてくれたこれらすべての若者たち
を偲びたいと思います。[6]

 「かれらが(独立を)戦い取ることのできる実力を養ってやるの
が、われわれの仕事だ」という今村均中将の言葉は、現実となった
のである。
 
[参考]
1. 独立50周年のインドネシアを訪ねて、日本の息吹、H7.10
2. アジアに生きる大東亜戦争、ASEANセンター編、展転社、S63
3. インドネシアで顕彰される元日本兵たち、祖国と青年、H7.11
4. アジア独立への道、田中正明、展転社、H3
5. オランダの戦争責任、祖国と青年、H6.10
6. 日本よ、勇気と自信を回復せよ-サイデマン外務省上級大使
  との対話、祖国と青年、H7.7
7. JOG(2) 国際社会で真の友人を得るには
 インド独立50周年を記念して、昨年8月に代々木公園野外ステ
ージで開催された「インドの夕べ」では、インド側代表の最高裁弁
護士ラケッシュ・デヴィーディ氏が「インド独立の為に日本人が共
に血を流してくれたことを忘れません」と、語った。インド解放を
狙ったインド国民軍と日本軍合作のインパール作戦からインド独立
までのあゆみを紹介。







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