講演後に国旗に敬礼した「零戦パイロット」



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百田尚樹さんの小説『永遠の0』が450万部も売れ、映画にもなったことはご存じのことと思う。

 0戦(零戦が正しい)パイロットとして空中戦を戦った笠井智一氏の講演を聞く機会に恵まれた。今年、米寿を迎えられたそうだが、背筋はピンとしていて、とても張りのある声で話された。概要は次のとおりである。

 《私は兵庫県篠山町の生まれで、篠山中学(現篠山鳳鳴高校)の時、先輩の小谷雄二大尉の講演に感動し、4年で海軍航空隊を志願し、甲種予科練に合格しました。1942年に土浦航空隊に入隊しました。

 ♪若い血潮の予科練の 七つボタンは桜に錨…という日本海軍「若鷲の歌」で知られる海軍航空隊に入隊したんです。その後、操縦士不足のため、戦闘機操縦課程を20日間で卒業しました。グアム・ペリリュー島・ヤップ島・サイパン島沖で戦い、沖縄戦が始まると鹿屋飛行場から米軍機の撃墜に出撃しました。鹿屋を離陸後、エンジントラブルでサンゴ礁の中海に不時着し、必死で泳ぎ、やっとのことで現地人に助けられました。

 皆さん、特攻機が敵艦に激突して沈没させるときは横から激突するとお思いでしょうが、それでは対空砲火にあっておしまいです。標的の敵艦を見つけたら真上から真っ逆さまに突撃するのです》

 驚いたのは、数々の戦闘に入った年月日をきちんと覚えておられたことである。両手を使いながら臨場感あふれる講演であった。笠井さんはあとで述べる坂井さんとともに、もう一人の撃墜王であった。

その後、質疑の時間がもたれ、「とても良い講演でした。この話をまとめて出版してください」と要望された方があったが、笠井さんは出版するともしないとも言われなかった。

 講演を終えると、演壇の側に立てられていた国旗のもとへ進まれ、国旗に敬礼された後、何かつぶやいておられたのが印象に残った。その時間は1分くらいであったか、感無量と言うか、万感胸に迫るものがあったのだと思った。

 この時、アメリカ大統領が就任演説の終わりに星条旗の端を握って、「神のご加護を…」と唱える場面が脳裏をよぎった。と同時に、『文藝春秋』で読んだ石原慎太郎氏の一文を思い出した。

 《太平洋戦争時にゼロ戦乗りの「撃墜王」として名を馳せた坂井三郎さんから聞いた象徴的な挿話がある。氏はある朝、中央線下り電車の中で、二人組の学生の会話を耳にしたそうな。坂井さんの目の前で二人が、「おい、お前知ってるか。五十年前に日本とアメリカは戦争したんだってよ」、「えーっ、嘘っ」、「バカ、本当だよ」、「マジかよ、でどっちが勝ったの?」と。

 坂井さんはそれを聞いてショックを受け、次の駅で降りて心を落ち着かせるためホームの端でタバコを二本吸ったそうな。自分が命がけで戦った戦争を、もはや全く知らぬ若者たちがいる》

 講演を聞いたその夜、豊岡の田中勝さんという見知らぬ方から長いお電話があり、興奮気味に「私はノモンハンに行ってました。あなたが書かれた『ノモンハン事件』の記事を切り抜いて大切に保管しています。あなたはもちろん、祝日には国旗を揚げておられるでしょうが、わが家は3世代同居で、国旗は3本揚げています。もしまだでしたらお送りしますよ」と話された。私は「ありがとうございます。私も祝日には国旗をきちんと揚げています」と応えた。


■足立勝美(あだち・かつみ) 兵庫県立高校教諭、県立「但馬文教府」の長、豊岡高校長などを務め、平成10年に退職。24年、瑞宝小綬章受章。『教育の座標軸』など著書多数。個人通信「座標」をホームページで発信。養父市八鹿町在住。鳥取大農学部卒。76歳。



2014.12.30
http://www.sankei.com/west/news/141230/wst1412300004-n1.html












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