日本人200人超虐殺の通州事件、中国指摘する南京事件と酷似


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日本に対して、「歴史の直視」を訴える中国政府の急所は、自国の歴史認識に他ならない。1937年に北京郊外で発生した通州事件と1946年に吉林省で発生した通化事件。いずれも多くの日本の民間人が虐殺されたが、中国共産党は、 現在に到るまで隠蔽し続けている。戦後70年の今年、中国は戦勝国としての「面子」と「立場」を盛んに強調するが、 自国の戦争犯罪を検証できない国に未来はないとジャーナリストの櫻井よしこ氏は指摘する。

* * *

今年に入って中国が、日本に対して次々と「歴史カード」をきってきています。最近では、虐殺の事実を確認できない南京事件の犠牲者を「40万人」とまで言い始め、「日本兵の残忍さ」を世界中に宣伝しています。3月21日の日中韓 外相会談でも中国の王毅外相は日本の岸田文雄外相に「歴史を直視せよ」と述べ、安倍政権を厳しく牽制しました。

しかしこの言葉は、中国にこそ向けて発せられるべき言葉だと、私は思います。

中国の地で日本人が及んだとされる残虐な行為のほとんどは根拠に乏しいからです。たとえば南京では「赤ん坊を空中に投げ、落下するところを剣で刺した」という話を中国政府は広めています。日本の先人たちが、 その種の暴虐に及んだとは俄(にわか)には信じがたいのです。

調べてみると、そうした蛮行はむしろ中国人が日本人に対して及んだ行為であることが分かってきました。 日本ではなぜかあまり知られていませんが中国では日本人に対する虐殺事件が幾度も起きています。

代表的な事例が1937年7月29日の通州事件です。


通州事件では約400人の在留日本人のうち200数十人が虐殺されました。女性たちは辱められ、遺体を切り刻まれ、 中国兵たちは切り落とした頭部で遊んだとさえいいます。首を固定して吊るされている人たちも目撃されました。 彼らは食事も水も与えられず放置され、何日間もの長い間苦しんで死に至ったのでしょう。

気付かれたでしょうか。これらは、南京で日本人が犯した残虐行為だと中国政府が主張するものと酷似しています。

人間は、自分の行動や価値観に基づいて、他人の行動を推し量ろうとする生き物です。中国政府が、日本軍が南京で及んだと主張する行為には裏付けがない。それどころか、日本人の犯罪を後からでっちあげるべく、 自らの過去の蛮行を参考にした可能性があるのです。その一つが通州事件だったと私は考えています。

通州事件は中国人の民族性の一端を表していますが、それは100年や200年のスパンで築かれたわけではありません。
紀元前500年から紀元1000年までの約1500年の中国の歴史を、北宋の学者・政治家だった司馬光がまとめた『資治通鑑』という歴史書があります。

1万ページに及ぶこの大著の中に中国人が長い歴史のなかですさまじい拷問を編み出し、政敵や反逆者たちへの罰として、繰り返してきたことが書かれています。中国では刑は残酷であることをもって是とされ、捕らえた者をより多く、より長く苦しませなければ、逆に刑吏が罰せられました。通州事件で日本人が受けた残虐な行為は、いずれも同書に繰り返し繰り返し登場する刑罰そのものでした。

そうした民族性は、戦後も綿々と受け継がれました。 『資治通鑑』を17回も読んだとされる毛沢東は、大躍進政策で 約2000万人の農民を餓死させ、文化大革命で3000万人以上の知識人や富裕層を死に追いやりました。

現在も、反政府の活動家や中国共産党内の不満分子に対して、人を人とも思わないようなすさまじい拷問が繰り広げ られている、国家主席をはじめとする中国の指導者層は、同書に書かれていた恐怖政治を体制安定のために敷いて いるのです。

※SAPIO2015年5月号

ソース:NEWSポストセブン 2015.04.04 16:00
http://www.news-postseven.com/archives/20150404_314105.html






■通州事件…1937年7月29日、北平(北京)東方の通州で中国保安隊による大規模な日本人虐殺事件が発生した■

女性は強姦されて陰部にほうきを刺されて殺害されている者、喫茶店の女子店員の生首がテーブルの上に綺麗にならべられていた、斬首した女性に対する死姦、腹から腸を出されて殺害されている者、針金で鼻輪を通された子供など、日本人の平均的倫理観から見て殺され方が極めて異常かつ残虐であったため、この様子が同盟通信を通じて日本全国に報道されると日本の対支感情は著しく悪化した


■『通州事件の惨劇 (Sさんの体験談)-日本人皆殺しの地獄絵-』

http://d.hatena.ne.jp/minoru20000/20100929/p1

ギャーッという悲鳴とも叫びとも言えない声が聞こえました。 中国保安隊の兵隊がニタニタ笑いながら、この娘さんの陰部を切り取っているのです。 この男の人は「助けてー」と叫んでいましたが、そんなことはお構いなしにグサリと男根を切り取ったとき、この男の人は「ギャッ」と叫んでいましたがそのまま気を失ったのでしょう

それはこの男の人の頭の皮を学生が青竜刀で剥いでしまったのです。頭の皮を剥いでしまったら、今度は目玉を抉り取るのです。このときまではまだ日本の男の人は生きていたようですが、この目玉を抉り取られるとき微かに手と足が動いたように見えました。

そして又学生が青竜刀でこの日本の男の人のお腹を切り裂いたのです。縦と横とにお腹を切り裂くと、そのお腹の中から腸を引き出したのです。ずるずると腸が出てまいりますと、その腸をどんどん引っ張るのです。人間の腸があんなに長いものとは知りませんでした。十メートル近くあったかと思います

妊婦の人がギャーという最期の一声もこれ以上ない悲惨な叫び声でした。お腹を切った兵隊は手をお腹の中に突き込んでおりましたが、赤ん坊を探しあてることが出来なかったからでしょうか、もう一度今度は陰部の方から切り上げています。
そしてとうとう赤ん坊を掴み出しました。その兵隊はニヤリと笑っているのです。


■『通州事件の惨劇 (Sさんの体験談)-日本人皆殺しの地獄絵-』■
夫を生きたまま腹を切り裂き…「これはおいしいぞ、日本人の腸だ、焼いて食べろ」
…そうして、その妻である妊婦の腹を切り裂き胎児を取り出す

ハッと目をあげてみると、青竜刀を持った学生がその日本の男の人の腸を切ったのです。そしてそれだけではありません。別の学生に引っ張らせた腸をいくつにもいくつにも切るのです。一尺づつぐらい切り刻んだ学生は細切れの腸を、さっきからじっと見ていた妊婦のところに投げたのです。

このお腹に赤ちゃんがいるであろう妊婦は、その自分の主人の腸の一切れが頬にあたると「ヒーッ」と言って気を失ったのです。その姿を見て兵隊や学生達は手を叩いて喜んでいます。残った腸の細切れを見物していた支那人の方へ二つか三つ投げて来ました。そしてこれはおいしいぞ、日本人の腸だ、焼いて食べろと申しているのです。

【参考書籍】「天皇さまが泣いてござった」著者:しらべ かんが 教育社発行 


凌遅刑の残虐な写真にて閲覧注意↓(処刑された人間の肉は漢方薬にされた)

http://chiquita.blog17.fc2.com/blog-entry-4775.html#more






第二次上海事変における中国人による日本人捕虜の残虐処刑 (1996 CNN)

http://www.youtube.com/watch?v=Nr_eThF6I00&feature=related

1946年

上海での残虐行為を写真が裏付ける
1996.9.23 10:15 EDT (14:15 GMT)

トム・ミンティアー(CNNバンコク支局チーフ)

【タイ・バンコク (CNN) 】日本と中国の関係は、小さな島々の領有権問題の議論連鎖によって、ここ数カ月緊張状­態にあるが、59年前に撮られた18枚の小さく不鮮明な白黒写真の存在は、日中関係に­更に火に油を注ぐものになるかもしれない。

1937年の上海界隈でスイス人写真家によって撮影された写真は、すべて中国兵士によ­る日本人捕虜と、日本の軍事侵攻に協力して逮捕された上海住民に対して行われた残虐行­為を撮影したものである。

上海に仕事で滞在し、中国人による処刑を見届けるよう言われたトム・シメンさんが隠し­ていたそれらの写真は見るもおぞましいものである。しかし彼は息子にこれらの写真を公­表するように言った。

ジョン・シメンさんは「父は出版を望んでいた。病院生活での経済負担の資金源になるだ­ろうと言っていた」と語った。

ジョン・シメンさんは写真を公表するための出版社を探している。写真一枚につき3千ド­イツマルクを支払うとの申し出もあった。しかしながら彼にとって最も重要なことは、父­親が言っていた上海で起こった事を世の中に知らせることである。

シメンさんは「奴らは楽しんでいたと思う。首が切り落されるのを待っていて、そしてそ­れでサッカーをした・・・考えただけで身の毛がよだつ」と語った。

首を木の枠で固定して吊るし餓死するまでそのまま放置するなど、中国兵は様々な拷問方­法で捕虜を虐待殺戮したとシメンさんの父は彼にそう言ったという。

射殺され共同墓穴に捨てられた捕虜が多かったが、特に日本に協力した中国人に対しては­、大きな刀によって首が切り落されたという。

「当時日本人に協力した者は、中国人にとっては日本人よりも更に悪いものでした。何故­なら裏切り者だからです」とシメンさんは言う。

シメンさんの父親は、中国出国に際してネガを破棄したそうだが、彼の妊娠中の母が写真­を服の下に隠して国外に持ち出したのだそうだ。

「これらの写真は日本と中国の一連の戦争において、1937年の上海での両国の関わり­に関して、新たなスポットを浴びせるものとなりそうである」とシメンさんは語る。彼は­また、第二次世界大戦中ドイツのナチスによって行われた残虐行為とは対照的に、中国で­起こったことの多くが未だ知られていないのが現状であるとも述べた。(CNNウェブサ­イトより。訳:redfox2667)

註:このCNNの報道は1996年のものであり、報道中に登場する複数の写真が清朝末­期、辛亥革命、上海クーデターなど、1937年の第二次上海事変より古い時代の清国/­中華民国の処刑写真でトム・シメン氏が自ら撮影したものではないと後に判明している。

それらの写真は当時外国駐留軍の兵士が現地でダフ屋から買って本国に持ち帰ったもので­同一写真が確認出来るケースもあるが、その撮影時期や場所が分らない物も多く信憑性は­全く分らない。

しかし1937年当時の中国では残虐処刑や死体損壊は普通に行なわれていた時代で、見­せしめで処刑に群衆が駆り集めらるのは中国では近年でも行なわれている事であり、トム­・シメン氏が上海で処刑を目撃したという状況は十分考えられる。






http://blogs.yahoo.co.jp/jjtaro_maru/folder/1017430.html

通化大虐殺      1946年2月3日  満州通化省

昭和21年(1946年)2月3日に支那共産党に満州国通化省通化市は支那共産党軍に占領されていましたが、中華民国政府の要請に呼応した日本人が蜂起しました。しかし、計画は事前に露見していました。ろくな武器を持っていなかった蜂起軍は変電所、支那共産党司令部、公安局を襲撃しましたが、共産党軍の重火器によりあえなく敗退しました。このとき、1月10日に日本人の有力者が逮捕され投獄されていたのを奪還にも行っていますが、軽機関銃で撃ち殺され全員戦死したどころか、獄舎にも向けて銃撃したので、獄舎にいた140名も全員殺害されました。

その後、共産党軍は事件に関係したものだけでなく、関係しないものまで全員逮捕したので3000人にもなったといいます。零下20度近い獄舎、憲兵隊跡、公安局、県大隊などへ死の行進をさせました。獄舎の8畳ぐらいのところに100人ぐらい詰め込み、5日間立ち尽くしになり、水も飲めません。気が狂って叫ぶ人が出ると「うるさい」と窓から弾が飛びます。
5日目から尋問が始まりますが、尋問の前に殴りつけて白状を迫り、倒れると外に放り出されて凍死するものも出ました。死刑になったもの、凍死したもの、拷問によって死んだものはトラックに積んで凍結している揮川に投げ捨てられました。逮捕された留守宅は女性や子供ばかりで、朝鮮人部隊が家宅捜索として掠奪し、女性を陵辱しました。自殺した女性もいます。

満州製鉄林業課のイイヅカ氏
「となりの教室から、調べられている人の悲鳴が聞こえてくる。板の間に正座させられて、事件のことを知っているだろうと聞かれる。知らないと答えると、木刀で容赦なく打ち据えられる。拷問に耐えかねて、二階の便所から逃げ出した人がいた。ところが、一緒に便所に行っていた人まで、お前が逃がしたのだろうといわれて僕らの見ている前で撃ち殺された」

通化にいた上坪隆(RKB毎日放送)
「男は無差別に次から次へ銃殺される。銃殺された日本人の衣服を剥ぎ取るために待ち構えていた中国人が、ドラを鳴らしながらワーッと群がってくる。丸裸にされた遺体は凍てついた土手を滑り台のように滑って凍った川につきおとされる。川床にはかちかちになった死体がごろごろ転がっていた」

次のような証言もあります。
「中国共産党の本拠地である延安から派遣された若い裁判官の前で、台の上に日本人が立たされる。満州時代の罪状を民衆に問う。黒山の野次馬の中から『俺達を酷使した、俺達を殴った』という声が上がる。裁判長が『どうする』と問うと、『打死!打死!(殺せ殺せ)』と民衆が叫び、これで裁判は終わり。その日本人は背中に『南無阿弥陀仏』と書かれ、馬に乗せられて市内引き回しの上、河原に連れて行かれて次々と銃殺された」

この事件の戦死者は厚生省援護局の資料では約300名で事件後の死者は1200名となっています。大虐殺を行ったのは朝鮮人部隊がほとんどで、共産党軍主力は通化を離れて作戦展開しており、司令部はこの虐殺を知って銃殺中止命令を出したようです。
通化の日本人はこの年の夏の終わりにようやく引き揚げることができました。この年(昭和21年)の暮れに中華民国政府軍が通化を奪還すると事件犠牲者の慰霊祭が行われました。昭和22年(1947年)には支那共産党軍が通化を再び占領しました。

通化事件の遺族は昭和27年(1952年)に遺族会を設立し、昭和30年(1955年)以降、毎年2月3日に靖国神社で慰霊祭を行っています。



参考文献
「通化事件」松原一枝著
「愛新覚羅浩の生涯」渡辺みどり著
「少年は見た 通化事件の真実」佐藤和明著
WikiPedia「通化事件」







■『中国はいかにチベットを侵略したか』 マイケル ダナム著 (講談社インターナショナル) ■

初めは友好的に振る舞い、そのうち暴力的になる。既成事実を周到に積み重ね、不条理を条理とする。これが彼らの常套手段だ。中国の侵略の実態。多くの民衆が多くの民衆が、手足を切断され、焼かれ、死んでゆく中、不気味な力に勇敢に立ち向かったチベットの戦士たちが伝える警告の書。

-それはさながらこの世の地獄だった。

1956年は、中共の約束事が耳をかす値打ちもない大嘘だったことがはっきりしたという点で、チベット人にとって忘れられない年だった。 民主的改革? 土地改革? 援助? 進歩? れらはすべて暴力、脅迫、飢餓、死にいい換えてみればずっと分かり易い。

それが中共の共産主義への道だった。チベットを乗っ取り、完全にわが物にするのが中共側の目的だったのだ。これが毛沢東のいう「大家族の一員としてチベットを抱擁する」という意味であった。

妻、娘、尼僧たちは繰り返し強姦されまくった。特に尊敬されている僧たちは狙いうちされ、尼僧と性交を強いられたりもした。ある僧院は馬小舎にされ、僧たちはそこに連行されてきた売春婦との性交を強いられた。あくまでも拒否した僧のある者は腕を叩き切られ、「仏陀に腕を返してもらえ」と嘲笑された。大勢のチベット人は、手足を切断され、首を切り落とされ、焼かれ、熱湯を浴びせられ、馬や車で引きずり殺されていった。 さらに高僧たちは「霊力で穴から飛び上がって見せろ」と嘲られ、挙句に全員射殺された。 おびえる子供たちの目の前で両親は頭をぶち抜かれた。 (本文より)


中共のチベット侵略と占領は二十世紀最大の悲劇の一つである。百万人以上のチベット人が殺され、仏教建築物、書籍、芸術品などほとんどが破壊し尽くされた。 (ダライ・ラマ十四世・序文より)

■中国軍がチベット人を無差別に射殺(日本語字幕付)■

6歳から10歳のチベット人少年僧を無差別に射殺する中国軍
目撃した欧米人…「チベット人を野犬を狩っているように撃ち殺している」

http://www.youtube.com/watch?v=RwDG-L7P7Zo&feature=related

http://www.youtube.com/watch?v=fYinWeqihtE







■文 化 大 革 命 当 時 の 中 国 の 人 肉 食 ■
『食人宴席―抹殺された中国現代史』 カッパ・ブックス
鄭 義 (著), Zheng Yi (原著), Ko Bunyu (原著), 黄 文雄 (翻訳)

【 無 抵 抗 な 一 般 人 が 人民解放軍や紅衛兵によって虐殺され「食われる」】


現在の日本でもかなり禁書の部類に入る。滅多に手に入る事は無いが中国語版の1/3程度の内容に抑えられているそうでであるから是非中国語を完全翻訳して見たいと思ってしまう。

とはいえそれでも内容的にはかなり衝撃的な物が多い。中国の人喰いの歴史を知りたい人には必読では無いだろうか

事件の一端が明らかになったのは、中国・広西省武宣県である。
ここだけで「殺され、迫害によって死んだ人間は524人、その内、食われた者は百数十人。 武宣県の食人者は推定1万~2万人にのぼる」。ここでは上からの犠牲者割り当てに応じて、走資派や実権派をデツチ上げ、「まず批判闘争宣言があり、糾弾集会を行い、その後生きているままに人肉を削ぎ、生きている人間が絶命すると、 人間の心臓、肝臓、胆嚢、腎臓、胸肉、骨髄、太もも、足、筋、・・人間の骨肉を切り取り、削ぎ取って、それを煮たり、揚げたり、炒めたり、そして酒にゆっくりと漬けたりして、さまざまな調理方法で、 豊かな献立にしたのである。また<人肉宴会>では酒を飲み、杯を交わし、論功行賞をした。」「こうして食人の嵐がうずを巻き、集会があるごとに闘争があり、闘争があるごとに死者が出て、 死者が出れば、かならず食われ、惨劇が繰り広げられたのだ」。


龍祥大隊事件では被害者が小派で殺人者が生きている内に肝臓を取り出したが間違えて肺を取り出したのでもう一度肝臓を取ろうとすると目玉がギョロリと動いた→結構肺と肝臓を間違えると言う事はあったらしい

殺人者への質問。
「過去に喰った人の肝臓はかまどで焼いた方がおいしいですか あるいは煮た方がおいしいですか?」
「勿論焼いた方がおいしいし、香ばしい。しかし、生臭い事もある」
人を殺してもすぐは体内の血があついので、素手では内臓を取り出せない

殺される前に一言
「絶命するまで待ってくれ。性器は死んでから切ればいい」
→生きたまま切られる。






■大勢の中国人が、泣き叫ぶウイグル少年を蹴り、指を折り集団で暴行暴行している動画■

デンマークの市会議員が、「中国人が焼け死ねば、世界が“中国ごみ”から解放される」「もし目の前に中国人がいたら、撃ち殺すだろう」と発言…

このデンマークの市会議員は、この動画を見たようです。

http://hoi333.blog.fc2.com/blog-entry-695.html







■中国人は平気で嘘をつく■
中国に長くいる英米人に、「中国人の性格で我々とは最も違うものを挙げてください」と訊いたら、 ほぼ全員が躊躇なく「嘘つきです」と答えると思う。

欧米では、嘘は憎悪や軽蔑と同じ響きをもつものであるが、 中国語にはそういう語がない。必要がなかったからである。 そこで、それに近い中国語を使って「嘘ではありませんか?」と言ったとしても、非難の意味はない。 ましてや侮辱には全くならない。特別な意味のない言葉なのである。 中国人の言動は誤魔化しとすっとぼけに満ちているが、暮らしているうちに、真意がわかるようになる。

■中国人の特異性と残虐性■
あるアメリカ人領事が目撃した話である。任地の揚子江上流でのことで、西洋人には信じられないことだが、中国人にはたいした事件ではないそうである。
豚と中国人を満載したサンパンが岸近くで波に呑まれ転覆し、豚も人も投げ出された。 岸で見ていた者は直ちに現場に漕ぎ出し、我先に豚を引き上げた。舟に泳ぎ着いた人間は、頭をかち割って殺し、天の恵み、とばかりに新鮮な豚肉を手にして意気揚々と引き上げ、後は何事もなかったかのようにいつもの暮らしが続いたという。

暗黒大陸中国の真実 ラルフ・タウンゼント 芙蓉書房出版

http://www.asahi-net.or.jp/~xx8f-ishr/ankoku_tairiku.htm






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