【キリスト教の野望】 布教のためにやってきたフランシスコ・ザビエルは、キリスト教の不合理な面をつく日本人に悩まされた。





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布教のためにやってきたフランシスコ・ザビエルは、キリスト教の不合理な面をつく日本人に悩まされた。

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http://blog.jog-net.jp/201206/article_2.html


■1.「日本へ行けば、人々は理性豊かである」

 1547年12月、キリスト教の東洋への布教のためにマレー半島のマラッカにやってきたフランシスコ・ザビエルは、日本人・池端彌次郎と出会う。彌次郎は武士であったが、商売の争いから殺人を犯してしまい、かねて交渉のあったポルトガル商人に頼んで、マラッカに逃れてきたのだった。

 自分の犯した罪に苦悩していた彌次郎は、そのポルトガル商人から、高徳の聖人ザビエルに会って、懺悔と安心の道を求めるが良いと勧められた。ザビエルは彌次郎と出会った印象を次のようにローマのイエズス会あてに報告している。(原文は正漢字、正仮名遣いだが、本稿では常用漢字、現代仮名遣いに改めさせていただく)

__________
 もし全ての日本人が彌次郎と同じように知識欲の旺盛な人々であるとすれば、日本人は新たに発見された諸地域の中で最高級の国民であると思われる。彌次郎は私の聖教講義に出席した後、信仰箇条のすべてを自分の国語で書き直した。彼は度々教会に来て祈祷を捧げ、それからいろいろと私に質問した。・・・[1,p185]

 日本に行ってきたポルトガル商人達は全員が私に言うのだが、私がもし日本へ行けば、人々は理性豊かであるから、インドの異教徒達を相手にして得るよりも遙かに多く、我らが主デウスに対する奉仕をなすことができようとの事だ。[1,p186]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 この結果、ザビエルは「内心の深い喜びを以て日本に行く事を決心した」。


■2.「日本人は理性的だから、大部分がキリスト教徒になる」

 ザビエルは二人のイエズス会士と彌次郎を伴って、支那人の船に乗り、途中暴風雨に遭いながらも、53日の苦しい航海の後、1549年8月に彌次郎の故郷である鹿児島に上陸した。種子島に鉄砲が伝来したのがこの6年前、そして織田信長の桶狭間の戦いが11年後である。

 ザビエルは自ら日本の民衆と接して、自分の期待通りであった事を発見し、本国にあててこう報告している。[1,p193]

__________
 此の国は、霊的に豊かな収穫をもたらす肥沃な土地で、今までの処では、人々がキリスト信者になることを、不思議とは思っていないようです。国民は理性的な人間です。彼等は無知の故に、多くの誤謬の状態の中に住んでいるけれども、理性が彼等の間では大切にされています。・・・

 日本人は理性的な国民でありますから、その大部分がキリスト信者になることを、イエズス・キリストにかけて期待しています。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 ザビエルにとって、キリスト教こそが理性的な宗教であり、日本人はたまたまそれを知らないために、仏教や神道などの「誤謬の中に住んでいる」けれども、彼等が自ら持つ理性を発揮すれば、かならず大部分がキリスト教を理解し、信仰するようになるだろう、と期待したのである。


■3.「デウスは祖先に対して無慈悲である」

 しかし、ザビエルの期待は裏切られた。日本人の理性が足りなかったのではなく、理性が豊か過ぎて、キリスト教の教義の中にある不合理な一面を見過ごさなかったからである。京へ上る途中、山口で布教を行った際には、次のような質問がなされた。[1,p228]

__________
 山口の信者は、その洗礼の前に、デウスの全善(JOG注: 全能)に就いての重大な疑問に襲われた。それは、デウスは私達が来るまで、決して日本人に啓示をお与えにならなかったから、全善ではないということであった。

又私達の教えているように、デウスを礼拝しない者は、地獄に堕ちるとすれば、デウスは祖先に対して無慈悲である。何となれば、デウスは教について何も識らない祖先が、地獄に堕ちることを許したからである。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 先祖思いの日本人は、先祖をほったらかして自分だけ天国に行こうなどとは思わなかった。しかし、ザビエル達の説く処によれば、先祖はデウスの教えを聞いていないから、天国に行けないという。

 デウスが全能なら、はるか太古の昔から日本にも現れて、我が祖先も救ったはずだろう。今頃、のこのこ日本に現れて、これから人々を救います、というのでは、全能ではありえない。

 しかもデウスが勝手に遅く登場したがために、それまでに亡くなった祖先は救われないというのでは、無慈悲きわまりないではないか、というのである。


■4.「若(も)しデウスが善なら、悪魔なぞ作る筈がない」

 また悪魔についても、日本人は次のように問いかけた。[1,p293]

__________
 彼等は、悪であり人類の敵である悪魔の存在を信ずるが故に、創造主のことを認められないと言った。又、若(も)しデウスが善なら、そんな悪い者を作る筈がないというのである。

それに対して私達は、デウスはそれ等を皆善いものとして造ったが、彼等が自分勝手に悪くなったので、デウスは彼等を罰した。その罪は永劫に続くと答えた。

すると彼等は、デウスはそれ程に残酷に罰するなら憐れみのない者だ、しかも若しデウスが、私達の教の如く、人間を造ったことが本当なら、何故こんなに悪い悪魔がいて、それが人間を誘惑することを許しておくのか。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 鋭い合理的な問いかけに、たじたじとなっているザビエルの姿が思い浮かぶ。

 ここで留意すべきは、ザビエルは19歳でパリ大学で哲学を学んだ当時の西洋社会での第一級の知識人であり、その彼の説くキリスト教の教義を、当時の日本人(それも学者僧侶など知識階級以外の一般人)が聞いてすぐに、こうした論理的なつっこみを仕掛けてきたことだ。当時の日本人は一般階級にいたるまで、鋭い理性を持っていたことが窺われる。

「日本人は理性的な国民でありますから、その大部分がキリスト信者になる」というザビエルの期待は裏切られた。「理性的な国民」は、合理的な装いの下に隠された「全能の神と悪魔」といった非合理性を見過ごさなかったのである。


■5.「近代的理性は鎌倉時代に始まった」

 以上、我が国にキリスト教が伝来した当時の光景を見たが、本稿の趣旨は、なぜ当時の日本人が、かくも合理性を備えていたのか、という点である。この点を歴史的に解明したのが、日本思想史の碩学、小堀桂一郎・東大名誉教授の大著『日本に於ける理性の傳統』[1]である。

 この著書では、我が国における近代的理性は鎌倉時代から始まったとして、慈円、明恵上人、道元などの著作が縦横に引かれており、さすがに「最後の帝大教授」と形容されるだけの博引旁証ぶりである。

 本稿では、その中でもわかりやすい一般民衆の逸話を中心に、我が祖先たちが、どのように理性を発揮してきたのかを見てみたい。

 鎌倉時代は「武士が主君から領地を与えられて所有する」という意味での封建社会が発達した。「封建主義」というと、いかにも前近代的・非合理的に聞こえるが、土地の私有を制度化するには、私有財産の所有権を互いが理解し、その権利を守るための法治制度の発達が必要であり、これらは近代社会に不可欠の基盤なのである。

 現代社会でもいまだに土地を国有化している近隣諸国もあるが、そういう国では政府の一片の通達で大規模工場も移転させられるような具合であって、およそ封建時代以前の有様と言うべきである。

 土地が私有化されていくと、当然、人々の間で、ある土地がどちらの所領か、という争いが起こる。その争いは将軍・源頼朝以来の幕府に持ち込まれていたが、それらの先例を、鎌倉幕府第3代執権・北条泰時が中心となって整理し、成文化したものが、1232年に編纂された『関東御成敗式目』である。


■6.「理非に於いては親疎あるべからず、好悪あるべからず」

『式目』の末尾には、この法体系の基本理念としての「道理」を明白に掲げている。

__________
 およそ評定の間、理非に於いては親疎あるべからず、好悪あるべからず。ただ道理の推すところ、心中の存知、傍輩を憚(はばか)らず、権門を恐れず、詞(ことば)を出すべきなり。[1,p83]

(裁判の場にあっては決して依怙贔屓(えこひいき)なく、専ら道理に基づいて、傍の目、上なる権力者の意嚮(いこう)を恐れることなく信ずる所を言え)
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 現代の裁判官や検事・弁護士にもそのまま通用する言い分であろう。現代でも後進国においては、裁判は政府に強いコネを持つ方が勝つ、という事を良く耳にするが、これに比べれば800年も前にあくまで「道理」を中心に公正な裁判をしようとした先進性は驚くべきものがある。

 この『式目』は、徳川時代には寺子屋での子供の教科書として用いられていたというから、ここで述べられているような道理の重視が、庶民の間にまで定着していたであろう事は、想像に難くない。


■7.「これは当方の負けなり」

 泰時の道理の重視は、単に口先だけのことでも、また限られた為政者だけの思いだけでもなく、一般人にも広く浸透していた事を示す逸話がある。それは沙石(しゃせき)集という鎌倉時代中期の仏教説話集に収められている、泰時も登場する一話である。

 ある時、下総国(千葉県北部が主)の地頭と領家(荘園領主)との間でいさかいが生じ、両者の話し合いでは決着がつかなかったので、鎌倉幕府に裁定が持ち込まれた。

 北条泰時が代官となって、両者とじっくり問答を行った際、領家が肝心の道理を述べた時、地頭は手をはたと打って、泰時の方に向かって「これは当方の負けなり」と言った。同席した一同はわっと笑い出したが、泰時はうち頷いて、笑わずに言った。

__________
 立派な負けっぷりである。泰時は長い間、代官として裁定を行ってきたが、あきらかに道理で負けていると思われる側でも、なおも負けじと主張を続ける事はあっても、自分から負けたと言う人はいなかった。

 相手の方に道理があると分かったら、ただちに負けを認めたのは、返す返す立派な態度である。正直な人柄が見て取れる。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 と、涙ぐんで褒めた。領家の方も、「今まで道理を理解していなかっただけで、故意ではない」として、6年分の未納を3年にまけてくれた。沙石集の作者は次のように、結論つけている。

__________
 されば、人は道理を知りて、正直なるべき物なり。咎を犯したる者も道理を知りて、我が僻事(ひがごと、間違い)と思いて正直に咎(とが)をあらわし、おそれつつしめば、その咎ゆるさるる事なり。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 裁判の席上、相手の方に道理があると分かった途端に、自らそれを認めるというのは、現代でも珍しいことだろう。当時でも珍しかったからこそ、物語に取り上げたのだろうが、こういう物語が世の中に広く読まれた、というその事実が、我が先人たちが道理を大切なものとして尊重してきた証左であろう。


■8.「和気藹々(あいあい)と議論を尽くせば、物事の道理が自ずから明らかになる」

『関東御成敗式目』は51箇条あるが、これは聖徳太子の憲法十七条を基礎に、天地人の三方に配して三倍としたと伝えられる。

 形式だけでなく、その内容においても通ずるところがある。「道理」に関連して、憲法十七条にはこういう一文がある。[a]

__________
然(しか)れども、上和らぎ、下睦びて事を論(あげつら)ふに諧(かな)ひぬるときは、則(すなは)ち事理自ずから通ふ。何事か成らざらむ。[4]

(地位や年齢の上下はあっても、和気藹々(あいあい)と議論を尽くせば、物事の道理が自ずから明らかになる。そうなれば、出来ない事などあろうか)
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 ここでも「事理」という言葉で、「物事の道理」が重視されている。そして「道理」とは、議論や裁判、宗教論争など、人と人との対話の中から発見されるもののようだ。専制国家、独裁国家、全体主義国家では、独裁者が権力で自らの主張を押しつけてしまうから、他の人が「道理」を言ったところで、踏み潰されてしまう。

 西洋で合理主義が発達したのも、対話を主としたギリシア哲学や、ローマでの元老院での議論という伝統があったからであろう。そして、我が国も同様に、専制を嫌い、衆議を重んずる伝統があったからこそ、合理的思考が発達したのである。

 明治期に憲法、議会、裁判所、内閣、行政組織、会社組織などの近代的な仕組みが一挙に導入されて、短期間の間に国民生活に定着したのも、こうした合理的思考方法が長い歴史の間に、一般民衆の間にまで浸透していたからであろう。

(文責:伊勢雅臣)

■リンク■

a. JOG(082) 日本の民主主義は輸入品か?
 神話時代から、明治までにいたる衆議公論の伝統。
http://www2s.biglobe.ne.jp/%257Enippon/jogbd_h11_1/jog082.html

b. JOG(003) 悲しいメキシコ人
 日本がスペイン領になっていたら
http://www2s.biglobe.ne.jp/%257Enippon/jogbd_h9/jog003.htm

c. JOG(154) キリシタン宣教師の野望
 キリシタン宣教師達は、日本やシナをスペインの植民地とすることを、神への奉仕と考えた。
http://www2s.biglobe.ne.jp/%257Enippon/jogbd_h12/jog154.html

d. JOG(497) 冷戦、信長 対 キリシタン(上)~ 信長の危機感
 信者を増やし、キリシタン大名を操る宣教師たちの動きに信長は危機感を抱いた。
http://www2s.biglobe.ne.jp/%257Enippon/jogdb_h19/jog497.html

e. JOG(498) 冷戦、信長 対 キリシタン(下)~ 信長の反撃
 信長の誇示する軍事力を見て、宣教師たちは日本の植民地化を諦めた。
http://www2s.biglobe.ne.jp/%257Enippon/jogdb_h19/jog498.html

f. JOG(435) 島原の乱 ~ 持ち込まれた宗教戦争の種子
 欧州から持ち込まれた宗教戦争の種子が突然、日本の地で芽を出した。
http://www2s.biglobe.ne.jp/%257Enippon/jogdb_h18/jog435.html

■参考■(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

1. 小堀桂一郎『日本に於ける理性の傳統』★★、中公叢書、H19
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4120038629/japanontheg01-22/







---------------Japan On the Globe(154) 国際派日本人養成講座
_/_/
_/ 地球史探訪:キリシタン宣教師の野望
_/
_/ _/   キリシタン宣教師達は、日本やシナをスペイン
_/_/  の植民地とすることを、神への奉仕と考えた。
-----------------------------------------H12.09.03 27,253部


■1.日本布教は最も重要な事業のひとつ■

 イエズス会東インド巡察師アレッサンドロ・ヴァリニャーノ
は日本に3年近く滞在した後、1582年12月14日付けでマカ
オからフィリッピン総督フランシスコ・デ・サンデに次のよう
な手紙を出した。

 私は閣下に対し、霊魂の改宗に関しては、日本布教は、
神の教会の中で最も重要な事業のひとつである旨、断言す
ることができる。何故なら、国民は非常に高貴且つ有能に
して、理性によく従うからである。

 尤も、日本は何らかの征服事業を企てる対象としては不
向きである。何故なら、日本は、私がこれまで見てきた中
で、最も国土が不毛且つ貧しい故に、求めるべきものは何
もなく、また国民は非常に勇敢で、しかも絶えず軍事訓練
を積んでいるので、征服が可能な国土ではないからである。

 しかしながら、シナにおいて陛下が行いたいと思ってい
ることのために、日本は時とともに、非常に益することに
なるだろう。それ故日本の地を極めて重視する必要がある。
[1,p83]

 「シナにおいて陛下が行いたいと思っていること」とは、ス
ペイン国王によるシナの植民地化である。日本は豊かでなく、
強すぎるので征服の対象としては不向きだが、その武力はシナ
征服に使えるから、キリスト教の日本布教を重視する必要があ
る、というのである。

■2.シナ征服の6つの利益■

 スペインの勢力はアメリカ大陸を経て、16世紀半ばには太
平洋を横断してフィリピンに達し、そこを足場にしてシナを始
めとする極東各地に対し、積極的な貿易と布教を行っていた。

 宣教師達はその後もスペイン国王にシナ征服の献策を続ける。
1570年から81年まで、10年以上も日本に留まってイエズス会
日本布教長を努めたフランシスコ・カブラルは、1584年6月2
7日付けで、スペイン国王あてに、シナ征服には次の6つの利
益があると説いている。

 第1に、シナ人全体をキリスト教徒に改宗させる事は、主へ
の大きな奉仕であり、第2にそれによって全世界的に陛下の名
誉が高揚される。第3に、シナとの自由な貿易により王国に多
額の利益がもたらされ、第4にその関税により王室への莫大な
収入をあげることができる。第5に、シナの厖大な財宝を手に
入れる事ができ、第6にそれを用いて、すべての敵をうち破り
短期間で世界の帝王となることができよう、と。

 このようにスペイン帝国主義と、イエズス会の布教活動とは、
車の両輪として聖俗両面での世界征服をめざしていた。

■3.日本人キリスト教徒の「ご奉公」■

 さらにカブラルはシナ人が逸楽にふけり、臆病であるので征
服は容易であると述べ、その例証に、13人の日本人がマカオ
に渡来した時に、2~3千人のシナ人に包囲されたが、その囲
みを破り、シナ人の船を奪って脱出した事件があり、その際に
多数のシナ人が殺されたが、日本人は一人も殺されなかった事
件をあげている。

 私の考えでは、この政府事業を行うのに、最初は7千乃
至8千、多くても1万人の軍勢と適当な規模の艦隊で十分
であろう。・・・日本に駐在しているイエズス会のパード
レ(神父)達が容易に2~3千人の日本人キリスト教徒を
送ることができるだろう。彼等は打ち続く戦争に従軍して
いるので、陸、海の戦闘に大変勇敢な兵隊であり、月に1
エスクード半または2エスクードの給料で、暿暿としてこ
の征服事業に馳せ参じ、陛下にご奉公するであろう。
[1,p95]

 日本に10年以上も滞在したイエズス会日本布教長は、日本
人を傭兵の如くに見ていたのである。

■4.人類の救済者■

 宣教師は教会のほか、学校や病院、孤児院を立てた。地
球が球形であることを伝え、一夫一妻制を守りるよう説い
た。これらにより、キリスト教の信者が西日本を中心に増
えた。この当時、キリスト教とその信者をキリシタンとい
った。[2,p117]

 中学歴史教科書の一節である。同じページにはザビエルの肖
像画があり、そこに記されたIHSという文字について、「イ
エズス会の標識で『耶蘇、人類の救済者』の略字」と説明され
る。キリシタン宣教師達は、まさに未開の民に科学と道徳を教
え、社会事業を進める「救済者」として描かれている。

 数ページ後には家康によるキリシタン弾圧が次のように描か
れている。

 家康は貿易のために、はじめキリシタンを黙認していた
が、やがて禁教の方針をとった。信者に信仰を捨てるよう
に命じ、従わない者は死刑にした。[1,p130]

 さらに家光が、「キリシタンを密告した者に賞金を出すなど
して、キリシタンを完全になくさせようとした」事を述べ、厳
しいキリシタン取り締まりに島原・天草で約4万人の農民が一
揆を起こして、「全滅」した事を述べている。

 この教科書を読んだ中学生は、「救済者」達に対するなんと
野蛮な宗教弾圧かと思うであろう。しかし、なぜ家康は黙認か
ら禁教へと方針を変えたのか、については一言も説明がない。
秀吉も同様に、初めのうちはキリシタンを奨励していたのに、
急に宣教師追放令を出している。いずれもキリシタン勢力から
国の独立を守ろうとする秀吉や家康の防衛政策なのである。

■5.日本準管区長コエリョの秀吉への申し出■

 キリシタン宣教師の中で、イエズス会日本準管区長ガスパ
ル・コエリョは、最も行動的であった。当時の日本は準管区で
あったので、コエリョはイエズス会の日本での活動の最高責任
者にあたる。

 天正13(1585)年、コエリョは当時キリシタンに好意的であ
った豊臣秀吉に会い、九州平定を勧めた。その際に、大友宗麟、
有馬晴信などのキリシタン大名を全員結束させて、秀吉に味方
させようと約束した。さらに秀吉が「日本を平定した後は、シ
ナに渡るつもりだ」と述べると、その時には2艘の船を提供し
よう、と申し出た。当時、日本には外航用の大艦を作る技術は
なかったのである。

 秀吉は、表面はコエリョの申し出に満足したように見せかけ
ながらも、イエズス会がそれほどの力を持っているなら、メキ
シコやフィリピンのように、我が国を侵略する野望を持ってい
るのではないかと疑い始めた。

■6.コエリョの画策とバテレン追放令■

 翌々年、天正15年(1587)に秀吉が九州平定のために博多に
下ると、コエリョは自ら作らせた平底の軍艦に乗って、大提督
のような格好をして出迎えた。日本にはまったくない軍艦なの
で、秀吉の軍をおおいに驚かせたという。

 その前に秀吉は九州を一巡し、キリシタン大名によって無数
の神社やお寺が焼かれているのを見て激怒していた。秀吉は軍
事力を誇示するコエリョに、キリシタンの野望が事実であると
確信し、その日のうちに宣教師追放令を出した。

 コエリョはただちに、有馬晴信のもとに走り、キリシタン大
名達を結集して秀吉に敵対するよう働きかけた。そして自分は
金と武器弾薬を提供すると約束し、軍需品を準備した。しかし、
この企ては有馬晴信が応じずに実現されなかった。

 コエリョは次の策として、2,3百人のスペイン兵の派兵が
あれば、要塞を築いて、秀吉の武力から教界を守れるとフィリ
ピンに要請したが、その能力がないと断られた。コエリョの集
めた武器弾薬は秘密裏に売却され、これらの企ては秀吉に知ら
れずに済んだ。[1,p109-114]

■7.秀吉のキリシタンとの対決■

 秀吉の朝鮮出兵の動機については諸説あるが、最近では、ス
ペインやポルトガルのシナ征服への対抗策であったという説が
出されている。スペインがメキシコやフィリピンのように明を
征服したら、その武力と大陸の経済力が結びついて、次は元寇
の時を上回る強力な大艦隊で日本を侵略してくるだろう。

 そこで、はじめはコエリョの提案のように、スペインに船を
出させ、共同で明を征服して機先を制しよう、と考えた。しか
し、コエリョが逆に秀吉を恫喝するような態度に出たので、独
力での大陸征服に乗り出した。その際、シナ海を一気に渡る大
船がないので、朝鮮半島経由で行かざるをえなかったのである。

 文禄3(1593)年、朝鮮出兵中の秀吉は、マニラ総督府あてに
手紙を送り、日本軍が「シナに至ればルソンはすぐ近く予の指
下にある」と脅している。[3,p372]

 慶長2(1597)年、秀吉は追放令に従わずに京都で布教活動を
行っていたフランシスコ会の宣教師と日本人信徒26名をわざ
わざ長崎に連れて行って処刑した。これはキリシタン勢力に対
するデモンストレーションであった。一方、イエズス会とマニ
ラ総督府も、すかさずこの26人を聖人にする、という対抗手
段をとった。丁々発止の外交戦である。

■8.天草をスペイン艦隊の基地に■

 全国統一をほぼ完成した秀吉との対立が決定的になると、キ
リシタン勢力の中では、布教を成功させるためには軍事力に頼
るべきだという意見が強く訴えられるようになった。1590年か
ら1605年頃まで、15年間も日本にいたペドロ・デ・ラ・クル
スは、1599年2月25日付けで次のような手紙を、イエズス会
総会長に出している。要点のみを記すと、

 日本人は海軍力が弱く、兵器が不足している。そこでも
しも国王陛下が決意されるなら、わが軍は大挙してこの国
を襲うことが出来よう。この地は島国なので、主としてそ
の内の一島、即ち下(JOG注:九州のこと)又は四国を包
囲することは容易であろう。そして敵対する者に対して海
上を制して行動の自由を奪い、さらに塩田その他日本人の
生存を不可能にするようなものを奪うことも出来るであろ
う。・・・

 このような軍隊を送る以前に、誰かキリスト教の領主と
協定を結び、その領海内の港を艦隊の基地に使用出来るよ
うにする。このためには、天草島、即ち志岐が非常に適し
ている。なぜならその島は小さく、軽快な船でそこを取り
囲んで守るのが容易であり、また艦隊の航海にとって格好
な位置にある。・・・

 (日本国内に防備を固めたスペイン人の都市を建設する
ことの利点について)日本人は、教俗(教会と政治と)共
にキリスト教的な統治を経験することになる。・・・多く
の日本の貴人はスペイン人と生活を共にし、子弟をスペイ
ン人の間で育てることになるだろう。・・・

 スペイン人はその征服事業、殊に機会あり次第敢行すべ
きシナ征服のために、非常にそれに向いた兵隊を安価に日
本から調達することが出来る。[1,p147-150]

 キリシタン勢力が武力をもって、アジアの港を手に入れ、そ
こを拠点にして、通商と布教、そしてさらなる征服を進める、
というのは、すでにポルトガルがゴア、マラッカ、マカオで進
めてきた常套手段であった。

 また大村純忠は軍資金調達のために、長崎の領地をイエズス
会に寄進しており、ここにスペインの艦隊が入るだけでクルス
の計画は実現する。秀吉はこの前年に亡くなっており、キリシ
タンとの戦いは、徳川家康に引き継がれた。

■9.国家の独立を守る戦い■

 家康が何よりも恐れていたのは、秀吉の遺児秀頼が大のキリ
シタンびいきで、大阪城にこもって、スペインの支援を受けて
徳川と戦うという事態であった。当時の大阪城内には、宣教師
までいた。大阪攻めに先立って、家康はキリシタン禁令を出し、
キリシタン大名の中心人物の高山右近をフィリピンに追放して
いる。

 1624年には江戸幕府はスペイン人の渡航を禁じ、さらに1637
~38年のキリシタン勢力による島原の乱をようやく平定した翌
39年に、ポルトガル人の渡航を禁じた。これは鎖国と言うより、
朝鮮やオランダとの通商はその後も続けられたので、正確には
キリシタン勢力との絶縁と言うべきである。[4]

 キリシタン宣教師達にとっては、学校や病院、孤児院を立て
ることと、日本やシナを軍事征服し、神社仏閣を破壊して唯一
絶対のキリスト教を広めることは、ともに「人類の救済者」
としての疑いのない「善行」であった。その独善性を見破った
秀吉や家康の反キリシタン政策は、国家の独立を守る戦いだっ
た。これが成功したからこそ、我が国はメキシコやフィリピン
のように、スペインの植民地とならずに済んだのである。

■リンク~近代世界システムと日本■
a. JOG(003) 悲しいメキシコ人
 メキシコ人は固有の文化・文明そのものをスペイン人に破壊さ
れてしまった。日本人も戦国時代に同じ運命に陥る危険があった。

b. JOG(090) 戦争の海の近代世界システム
 海洋アジアの物産にあこがれて、ヨーロッパと日本に近代文明
が勃興した。

c. JOG(024) 平和と環境保全のモデル社会:江戸
 鉄砲を捨てた日本人は鎖国の中で高度のリサイクル社会の建設
に乗り出した。

■参考■(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)
1. 「キリシタン時代の研究」★、高瀬弘一郎、岩波書店、S52.9
2. 「中学社会 歴史分野」、日本書籍、H9.1
3. 「国民の歴史」★★★、西尾幹二、産経新聞社、H11.11
4. 「歴史に学ぶ」★★★、村松剛、「日本への回帰 第17集」
  国民文化研究会編、S57.3
_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ おたより _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
               坂井君(福岡県、高校生)より

 今回の『キリシタン宣教師の野望』とても興味深い内容でし
た。今までキリシタン宣教師がこのような考えを持って、日本
に来ていたなんて知りませんでした。

 私は高校2年で、受験には関係ないのですが、こういった話
にはとても興味を持っています。しかし、私の周りを見る限り
こういった話を共に語り合うことができる友人は1人か2人し
かいません。私がこういった話をするとみんな引いてしまいま
す。みんなびっくりするほど無関心で戦争のことについてなど
まったく知らないのです。私は戦争についての知識が多少ある
ので、クラスでは戦争マニアで通っています。

 それほどまでにみんな知らないんです。どうしてみんなはこ
れほど無関心なのでしょうか?それとも私がおかしいんでしょ
うか?時々疑問に思います。正しいか正しくないかは別にして
こういったことをみんなで討論し合うことは、とてもすばらし
いことだと思います。そして、多くの人がこういう知識をもつ
べきです。

■ 編集長・伊勢雅臣より

 平和を守るためにこそ、戦争のことを良く研究しておかねば
なりません。君と語り合える人を、一人でも二人でも捜して語
り合ってください。日本人の1%が変われば、日本は変わりま
す。




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■終戦直後の日本人引揚者を襲う朝鮮人たち…「竹林はるか遠く」

朝鮮人の男たちが、藪の中へ女の人たちを引きずっていくのを見たし、若い女性に乱暴しているのも見たわ(111頁)。

彼ら(朝鮮人)は悦楽を求めて人々の間をよろよろ歩き、そして娘たちを見つける度に外へ引きずり出した。たびたび女たちの悲鳴が響いた。(118頁)。

また、朝鮮人が、日本人を殺したうえで金歯まで抜いている記述もある(129頁)。








■通州事件…盧溝橋事件発生から3週間後の1937年7月29日
北平(北京)東方の通州で中国保安隊による大規模な日本人虐殺事件が発生した■


夫を生きたまま腹を切り裂き…「これはおいしいぞ、日本人の腸だ、焼いて食べろ」…そうして、その妻である妊婦の腹を切り裂き胎児を取り出す。

それはこの男の人の頭の皮を学生が青竜刀で剥いでしまったのです。
頭の皮を剥いでしまったら、今度は目玉を抉り取るのです。このときまではまだ日本の男の人は生きていたようですが、この目玉を抉り取られるとき微かに手と足が動いたように見えました。












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