ドイツ派遣の韓国人鉱山労働者、47年前の苦難を語る

■ドイツ派遣の韓国人鉱山労働者、47年前の苦難を語る■




 「地下1000メートル、気温40度を超える坑道で、ドイツに派遣されたわれわれ鉱山労働者は、命懸けで石炭を掘った。1964年12月、朴正煕(パク・チョンヒ)大統領(当時)夫妻がドイツを訪れ、粉じんにまみれたわたしたちの黒い手を握りながら、『無事に作業を終え、元気な姿で韓国に帰ってきてください』と声を掛けてくださったとき、みな涙をこらえ切れず泣いた」


 韓国の鉱山労働者のドイツ派遣47周年を記念し、ソウル市内のプレスセンターで21日、元鉱山労働者による特別講演および総会が開かれた。韓国派独坑夫総連合会のキム・テウ会長(70)が、朴元大統領がドイツを訪問した際の炭鉱での様子を振り返ると、60-70代の出席者約300人は目を真っ赤にして、すすり泣く声も聞こえた。


 出席者たちの頭には白髪が目立ち、顔にはしわや染みが刻まれていた。1963年12月、若い労働力として西ドイツに派遣された、当時の鉱山労働者や看護師たちが、派遣47周年を記念して一堂に会した。キム会長は、「数百人規模の会合は今回が初めて。当時は貧しかった韓国が、今では主要20カ国・地域(G20)首脳会議を開催するほどの先進国に成長した。この発展の陰には、われわれのようにドイツに派遣された鉱山労働者の存在があったという自負心から、今回の会合を開催するに至った」と語った。


 60年代の韓国は、世界で最貧国の一つだった。当時、韓国政府はドイツから3000万ドル(現在のレートで約25億円)の商業借款を受け、経済開発を行う予定だったが、借款を保証する手段がなかった。このため、鉱山労働者5000人と看護師2000人を労働力としてドイツに輸出し、これらの労働者の稼ぎを担保に借款を実現させた。63年12月21日の247人を皮切りに、77年までに鉱山労働者7968人と看護師およそ1万2000人が、ドイツに派遣された。




約300人が初めて一堂に会す


 高麗大経済学科3年のとき鉱山労働者として派遣されたキム会長は、「国際社会では当時、『戦後の韓国の経済再建は、ごみ箱にバラの花が咲くのを期待するようなものだ』と言われていた。われわれも、生きるために自ら志願して鉱山労働者になるしかなかった」と語った。


 ドイツに派遣された鉱山労働者は、一銭でも多くの稼ぎを得るため、現地の労働者が避けたがる危険な労働にも取り組んだ。炭鉱で最も深い場所での作業や、事故現場の復旧作業など、困難な仕事も引き受けた。


 鉱山労働者は、ほとんどが高卒以上の高学歴者だった。最初の労働者募集の際には、競争率が10倍を超えた。高学歴の鉱山労働者たちは、日々懸命に働いて母国に送金し、仕事の合間は勉学に励んだ。韓国派独坑夫総連合会によると、ドイツに派遣された鉱山労働者のうち、後に大学教授になった人が30人に上るという。


 韓国教員大のクォン・イジョン名誉教授(70)はこの日、「ドイツでの炭鉱労働を回顧して」という手記を読みながら、途中で涙を流した。「当時は飢えがあまりにもひどかったため、鉱山労働者としてドイツに渡ったが、奴隷以下の生活を強いられた。最初に炭鉱に入った日、ドイツの作業員からひどく冷やかされた」と当時の苦しみを打ち明けた。その場で話を聞いていた出席者たちも、涙をぬぐった。


 キム会長は、「ドイツに派遣された鉱山労働者たちの汗と涙が、韓国の近代化の種になり、現在に至っているということが人々の記憶から忘れ去られないよう、記念館を建てるのが目標。世界各国に住む当時の労働者やその子孫が来韓したときのために、小さな宿泊施設も建設したい」と今後の目標を語った。


アン・ジュンホ記者

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

http://www.chosunonline.com/news/20101222000057




こんな野蛮な民族を文明人にするために、多額の資金と人材を注ぎ込んだ日本人…本当にお人好しだね(笑)






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