「親日派のための弁明」を読む

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親日派のための弁明」を読む


■1.日本でベストセラー、韓国では有害図書?!■

 金完燮(キム・ワンソプ)という韓国人青年の書いた「親日
派のための弁明」[1]が売れている。出版社の広告では30万
部突破との由、確かに各地の書店店頭で平積みにされている。
韓国人自身が「日本の植民地統治は本当に「悪」なのか?」と
問いかけた刺激的な内容だ。

 産経新聞のソウル支局長・黒田勝弘氏は、この本に関する韓
国側の状況を次のようにレポートしている。[2]

 韓国の本が日本でこれだけ話題になれば、普通なら必ず
韓国マスコミが「日本で話題!」と紹介するのだが、韓国
マスコミは奇妙に沈黙を守っている。・・・

 この本については本国の韓国では一切、無視されている
のだ。それは明らかに意図的な無視である。いや正確にい
えば無視の一方で、公的機関による「有害図書指定」や検
察捜査など当局による発禁に近い圧力がかかっている。著
者の金完燮氏は日本で著書が翻訳出版されたため6月末か
ら7月にかけて日本訪問する予定だったが、旅券が出ず訪
日できなかった。当局により「出国禁止」になっている。

■2.そんなに危ない思いをしてまで■

 韓国での「親日派」とは、日本統治時代に日本に協力した者
という意味で、「売国奴」「民族反逆者」という非難を込めて
使われる。金完燮はこう説明している。

 いまでも韓国の政治家たちは、だれだれの身内が日本時
代に親日派だったらしいとか、大統領が日本に行って「先
生、私、豊田です」と挨拶をしたのは「親日行為」だとい
う調子で非難している。韓国社会で親日家の烙印が押され
れば、かつてスパイの烙印が押されたのとおなじように、
政治も社会生活もすべて放棄しなければならない。だから
政治家や学者、大学教授、作家を問わず、その種の話題が
出ると慌てふためいて、なんとしてでも親日派に分類され
まいともがくのだ。[1,p143]

 そんな「親日派」のための「弁明」を書くというのだから、
これは中国で堂々と共産党批判の書を出版するくらい勇気のあ
る行為だろう。

 昨年の8月頃、この本の草稿をインターネットサイトで公開
した所、毎日数百人の韓国人から脅迫を受けたという。そして
このサイトは20日余りで「情報通信倫理委員会」という政府
の検閲機関によって、何の通告もなく閉鎖された。友人や家族
からは「そんなに危ない思いをしてまで本を出す必要があるの
か」と言われた。

 また本が出版された今年の3月には、閔妃(ビンヒ、李朝末
期の后、清やロシアの勢力を背景に改革派を弾圧し、後に改革
派と日本人有志により暗殺される)の末裔たちから、「名誉毀
損」と「外患煽動」で告訴され、逮捕された。「こんな事で私
を投獄するなら、日本大使館に亡命を求めざるをえない」とい
って抗議して、ようやく釈放されたという。

 わが国で言えば、言論の自由、出版の自由が保障された現代
では想像が難しいが、強いて例えれば、生命の危険を顧みずに
活動した幕末の志士のような人物と言えようか。

■3.反日感情からの転換■

 韓国で生まれ育った金完燮は、かつて強い反日感情を抱いて
いた。日本語はまったく学ばず、日本を旅行したいとも思わな
かった。その対日観が大きく変化したのは、2年近くオースト
ラリアに滞在していた頃だった。

 オーストラリアと韓国を比較してみたとき、開発途上国
として出発した国は一世代や二世代ぐらいの産業発展では、
とうてい先進国になれないという事実を痛感しました。オ
ーストリアと韓国にはそれほど大きな差があったのです。
私は海外旅行を通して、国際社会における韓国と日本の位
置をより客観的に認識できるようになり、朝鮮の開国期と
日本統治について、一方的に歪曲された歴史認識から徐々
に抜け出し、バランスのとれた認識がもてるようになった
のだと思います。[1,p2]

「一世代や二世代ぐらいの産業発展では、とういて先進国にな
れない」という発見が「日本統治がなければ、李氏朝鮮の専制
体制のままで、自力で近代化するなど到底できなかったのでは
ないか」という問題意識に発展したのだろう。その一方では、
アジアで唯一、近代化に成功した日本があった。

 歳月が流れ、最近「パール・ハーバー」という映画をみ
ながら、私は日本軍を応援している自分を発見した。60
年も前に大規模な空母艦隊を率い、地球の反対側まで出征
して、アメリカの太平洋艦隊を叩きつぶした日本という国
の偉大さに、私は感動し驚きを覚えた。[1,p19]

■4.朝鮮近代化は「生存の問題」■

 近代化の視点から歴史を学び直した金完燮は、次のような結
論に至る。

 王と貴族による専制的な階級社会から抜け出し、法が支
配する市民社会へと移行することは、朝鮮や日本だけでな
く、世界のすべての国家にとってもっとも緊急の課題だっ
た。19世紀末、市民革命の潮流の中で変化を拒否した清
国、ロシア、朝鮮の王朝が順に滅亡し、遅まきながら市民
革命に成功したドイツと日本が国際社会の主役として堂々
と参加できたという事実を見ればそれは容易に証明できる。

 すなわち19世紀末の朝鮮において体制をひっくり返す
革命は、選択の問題ではなく生存の問題であった。・・・
この時期、朝鮮を経由して大陸に進出しなければならない
日本の利害と、市民革命を通じて文明開化を成し遂げなけ
ればならない朝鮮の利害はかなりの部分で一致していた。
・・・当時の日本は国運をかけて朝鮮の独立と改革を推進
し煽ろうとした。この時期に朝鮮の改革派はこぞって親日
路線を選択したが、これは日本だけが唯一朝鮮の改革を後
押しする勢力だったからだ。[1,p145]

 朝鮮統治には近代化という良い面「も」あった、というのが、
本誌を含め、従来からの日本側の主張だった。本誌でも紹介し
たように:[a-c]

・ 農村植林、水田開拓などの積極的な国土開発による食
料増産:併合当初の米の生産量が約1千万石から、2
0年後の2千万石へと倍増。
・ 生活水準の上昇に伴う急激な人口増加:1906年(明治
39年)の980万人から、1938(昭和13)年には2,40
0万人へ。
・ 教育普及:明治43年の併合時には寺小屋程度しかな
かったが、昭和19年までに小学校5,213校、生徒数2
40万人、就学率は61%を達成。

 金完燮は、「良い面もあった」所か、こうした近代化が朝鮮
にとって「生存の問題」であったという。まさに革命的な主張
である。

■5.朝鮮改革を妨げる清国、ロシア■

 明治維新で旧体制を打破して一気に近代化に走り始めた日本
と違って、朝鮮の変革は難航を極めた。日本の圧力で1875年に
開国して以来、500年も続いた李朝専制政治を打倒して新た
な社会を建設しようと、壬午軍乱、甲申政変、東学農民戦争、
甲牛改革、乙未事変と5回も大規模な試みが続いていたが、そ
の都度、高宗や閔妃一族などの専制体制が清国やロシアの勢力
を使って弾圧し、挫折させていた。

 自らが中世いらいの専制政治に依存していた清国やロシ
アは、決して朝鮮の改革と近代化を望まなかったし、朝鮮
の反動勢力を利用して朝鮮半島に対する支配権を維持する
ことに血眼になっていた。これにたいして、朝鮮と似た境
遇にあり、すみやかに発展したがゆえに生き残ることがで
きた日本は、朝鮮が一日も早く改革し近代国家へと移行し
て市場経済体制が定着することを望んだ。だからこそ日本
は機会あるごとに、朝鮮の革命勢力を後援したのだった。
かれらは自国の利益のためにも旧弊な腐りきった朝鮮王朝
と手を結ぼうとはしなかった。これが日本と他の外国勢力
との根本的なちがいであった。[1,p160]

 朝鮮を近代的な独立国として発展させるためには、李朝専制
政治をバックアップする清国やロシアの干渉を排除しなければ
ならなかった。これが国内改革勢力が常に挫折し、また日本が
日清戦争、日露戦争を戦わねばならなかった理由だった。

■6.知識人、農民、日本-3つの改革勢力■

 農民組織である東学党は日本を外国侵略勢力と見なして戦っ
たこともあったが、やがて日本こそが朝鮮改革の後援者と考え
直し、日露戦争では5万余の東学教徒を動員して日本軍の京義
鉄道建設と兵站業務を助け、また諜報部員を朝鮮・満洲各地に
派遣して、戦争遂行に協力した。その後「進歩会」という30
万人規模の団体に衣替えして、国政革新を目指していた。

 また日露戦争の結果、高宗と親露派ら守旧勢力の力が弱まっ
たのを背景に、長らく日本などで亡命生活を送っていた改革派
知識人たちが帰国し「維新会」を結成した。その名の通り、日
本の明治維新をモデルとして、朝鮮の近代化を目指していた。

 この「進歩会」と「維新会」が合同したのが一進会だった。
ここに支配階級出身で近代化を目指す知識人グループと、李朝
政府の圧政をはねのけようとする農民階級、それに朝鮮近代化
を支援することで「攻撃的な防御」地帯を確保しようとする日
本、の3つの改革勢力が結集したのである。

■7.朝鮮民族の生きる道■

 日本政府が韓国を保護しながら独立国として育成していこう
という方針のもとで、日韓保護条約を結ぼうとすると、一進会
は「韓国の外交権を日本に委任せよ」という内容の宣言文を発
表し、大々的なデモを繰り広げて、条約を支持した。1907年3
月2日、伊藤博文が朝鮮の初代総監として赴任した日、一進会
は南大門に「歓迎」と記した強大な垂れ幕を掲げて伊藤を歓迎
した。

 伊藤博文自身は韓国併合には反対だったが、「韓国侵略の元
凶」と見た安重根が伊藤を暗殺すると、1ヶ月後の1909年12
月4日、一進会は大韓帝国2千万人の国民を代表して、100
万会員の名で日韓合邦を要求する声明書を発表した。金完燮は
その内容を次のように要約している。

 日本は日清戦争をつうじて韓国を独立させ、日露戦争で
ロシアに食われかけた韓国を救ってくれた。それでも韓国
はこれをありがたく思うどころか、あの国にくっつきこの
国にくっつきし、結局は外交権を奪われることになったが、
これは私たちがみずから招いたことである。・・・

 近年、韓国に入ってくる日本人は一万人をこえる。この
ままいけば韓国は日本人の国となり、韓国人は日本人の奴
隷に転落することは明らかだ。それゆえ劣等国民として保
護されて生きるよりは、いっそ日本と合併し大帝国をつく
って世界の一等国民として日本人とまったく同じ待遇を受
けながら暮らしてみよう。これが朝鮮民族の生きる道であ
り、(韓国の)皇室を存続できる唯一の道だ。[1,p216]

■8.私たちは国を奪われたのではなく、■

 日本統治には「良い面もあった」という論の前提には、日韓
併合を悪とする考え方があるが、金完燮はそもそも合邦自体が
悪といは考えない。

 朝鮮人にとって、併合と総督府統治はおおむね広範囲な
支持を受けたと考えられる。ポツリポツリと抵抗運動が発
生したり、海外で独立運動する人びともいることはいたが、
彼らが朝鮮社会の主流とはいえない。当時の朝鮮人は自ら
のアイデンティティーを、大日本帝国の臣民と規定して満
足な生活を営んだと思われる。[1.p286]

 「満足な生活を営んだ」という評価は、日本統治時代のGD
P成長率が4.15%と当時の先進国を上回り、人口も2.4倍とな
るほどの高度成長をしていたという事実と合致する。

 私たちは国を奪われたのではなく、日本という、(李朝
専制政治よりも)ましな統治者を受け入れたのである。こ
れは明らかに進歩であり、朝鮮民衆の自然な選択だった。
[p1,63]

■9.「大東亜連邦」の夢■

 このような視点から、金完燮は「民族ごとに独立するのが当
然だ」という論理を受け入れない。一国として独立するかどう
かは手段の問題であって、民衆が幸福な生活を営む事が、目的
であるからだ。独立するだけの国力がなかったこの時期の朝鮮
では、李朝専制体制が選択したように清国やロシアという専制
国家の属国になるよりも、親日派が目指したように日本と合邦
して近代的市民国家の一員としてやっていく方がはるかに民衆
の幸福につながったのである。

 現代のヨーロッパ連合(EU)の動きも、欧州諸民族が寄り
集まって、より強力で豊かな国家社会を実現しようとするもの
である。この流れから見れば、金完燮の次のような「21世紀
大東亜共栄圏の夢」も、あながち荒唐無稽と決めつけるわけに
はいかないだろう。

 結局、日本と南北朝鮮、中国、ASEAN、オーストラ
リア、ニュージーランドを含む広域経済ブロックを構成し、
長期的な視野に立って北米とヨーロッパ型の連邦体制に発
展させることだけが、東アジアがとりうる唯一の明るい未
来展望である。これこそが60年前、大日本帝国が夢見た
大東亜共栄圏だ。[1,p133]

 まずは自由貿易地帯を創設し、一定の年月を経た後、国
境を開放して資本と人材の移動を自由化し、共同議会で中
央銀行を作るなど、可能なところから政治経済的な統合を
推進しなければならない。

 その過程で韓国と日本は連邦制の政治体制を築くことが
できる。韓国は中部と西部、東部の3カ国に分割し、日本
は本州の5つの地域と北海道、九州、四国の8つの国家に
分割して連邦を形成した後、一定期間が過ぎてから大東連
邦に加盟する形態が望ましい。これによって台湾、ニュー
ジーランド、オーストラリアの5つの州、韓国の3つの州、
日本の8つの州など18州で構成された、人口2億の広大
な大東亜連邦が形成される。以後一定期間をおいて北朝鮮
と中国、ASEAN10カ国中で条件が満たされた国家を
順次吸収していけば大陸へ勢力が伸びていくことができる。
[1,p139]





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