蘇った負の歴史、米国名門大学に奴隷売買の過去

南部ルイジアナ州のバトンルージュに住むマキシン・クランプ(69)は、地元のテレビでは初の黒人司会者として活躍した女性だ。2016年2月、マキシンにかかってきた1本の電話は、驚くべき知らせをもたらした。



「あなたの高祖父(祖父母の祖父)が判明しました。彼の名はコーネリアス。あなたの町のすぐ近くの農場で奴隷として働いていました」

 コーネリアスという名には馴染みがあった。マキシンの一族にはコーネリアスと名づけられた者が何人かおり、先祖から受け継いだ名であることは分かっていた。だが家系の情報は途切れており、どれほど調べても先祖のコーネリアスに行きつくことができずにいた。

「なんということかしら! ああ神さま・・・」

 思いがけない知らせに感激したマキシンは、話の続きを聞いて強い衝撃を受けた。高祖父コーネリアスがルイジアナに来たのは、ある大学が行った奴隷売買によるものだったというのだ。

大学の奴隷所有が当たり前だった時代

 1838年の秋、首都ワシントンの河港にはルイジアナ行きの船に積み込まれる黒人奴隷の姿があった。272人の男女のなかには生後2カ月の子を抱いた母親や妊婦、親と引き離されて泣き叫ぶ子供もいたとNYタイムズ紙は描写する。



「なぜこのようなむごい仕打ちを」「神さまにお祈りするためのロザリオをください」と声をあげる奴隷もいたが、無視され、船倉へと追い込まれていった。その中に十代半ばのコーネリアスの姿もあった。

 奴隷たちをルイジアナの農場に売り渡したのは、カトリックの修道会であるイエズス会が運営するジョージタウン大学だった(写真)。1789年にワシントンで創立された名門校だったが、当時は経営難から存続の危機に陥っていた。経営難に苦しむ学長(イエズス会の神父)は、起死回生の策として奴隷の売却を決めたのだった。

(ワシントンに隣接するメリーランド州にはイエズス会が所有する農場があり、そこで働く労働者の中には、裕福なカトリック信者から寄進された奴隷が含まれていた。)




 奴隷の労働によって経営が成り立っていた大学は、ジョージタウンのみならずハーバードやコロンビア、ブラウンなど数多い。当時は、宗教団体であるイエズス会ですら、奴隷の所有は「不道徳な行いではない」と認識していた。


反対論を押し切って奴隷売買を強行

 だが奴隷の売買ということになると、イエズス会にも躊躇があったらしい。ルイジアナなどディープサウスでは奴隷の待遇が過酷になりがちなことが知られていた。




 さらに神父たちが最も頭を悩ませたのは信仰の問題だった。カトリックに改宗させられていた奴隷たちは、毎週教会でミサを受けていたが、もしもそれが続けられなくなれば地獄に落ちると信じられていたのだ。

 これについてローマのイエズス会本部は「彼らを地獄へ落とすよりは、(大学が)経済的に困窮する道を選ぶべきだ」として、奴隷の売却に反対していた。だがジョージタウン大学の学長は奴隷272人の売却を強行。現在の貨幣価値にしておよそ3億5000万円の利益を得た。

 このことはカトリックの総本山であるローマ法王庁の知るところとなり、激怒した法王グレゴリウス16世(1765~1846年)は、カトリック教徒による奴隷売買はいかなる理由があっても禁止する勅令を発した。

 その後、ルイジアナを訪ねたイエズス会の神父が、奴隷たちが過酷な待遇に苦しんでいることや、地域にカトリック教会がなくミサが受けられない状況にあることをワシントンに伝えたが、売却益は大学の借金返済などに消えており、すでに打つ手はなかった。

人種差別の罪に時効はない?

 近年アメリカでは、黒人への暴行致死事件などをきっかけに反人種差別の運動が再燃し、全米の大学に広がっている。

 ミシガン大学では、白人とアジア系が大半を占める学生団体が、黒人をイメージさせる「ラッパー」や「ギャング」をテーマとする仮装パーティーを行い、学内に人種間の強い緊張が生まれた。学内は一触即発の状態となり、差別とどう向き合うのかについて考える学生と教員の対話集会が12時間にわたって行われた。

 100年前の人種差別も火種になっている。名門プリンストン大学には第28代アメリカ大統領ウッドロウ・ウィルソン(在任1913~1921年)の名を冠した大学院がある。ウィルソンに人種差別を容認する言動があったことは衆知の事実だが、近年そのことを改めて糾弾する学生の声が強まり、大学院からウィルソンの名を外そうという運動が巻き起こった。


2016.6.21
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/47113



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