通州事件 目撃者の証言


通州事件 目撃者の証言 (自由社ブックレット5)
単行本(ソフトカバー) – 2016/8/7
藤岡 信勝 (著)





内容紹介

1937年7月、通州で、支那人の保安隊と学生による日本人居留民大虐殺があった。 事件の翌日、居留区に入った日本軍は二百数十名の遺体を目にし、絶句した。切断された四肢や頭部、えぐり取られた局部や目、剥がされた頭皮、割かれた妊婦の腹…およそ人倫に外れた、凄惨な暴虐の限りを尽くした痕跡の数々――。 日本では戦後、通州事件は長い間隠蔽され、忘れ去られた出来事となってきた。その「惨殺」がどのように行われたのか、詳細な事実は殆ど知らされてこなかった。犠牲者は亡くなっているし、脱出者は凶行の現場を見ていないからである。

ところが、支那人の男性と結婚し、支那人を装って通州に暮らしていた一人の日本人女性が、群衆に紛れて、蛮行の一部始終を見ていたのである。

学生の青竜刀で斬られた老婆は女性に「かたきをとって」「なんまんだぶ」と、念仏をとなえて息をひきとった。老婆のいまわの念仏が心から離れなかった女性は支那人と離婚して帰国後、ある寺の住職と出会い、五十年間黙してきた体験談をつぶさに語り出した…。 女性の実名を明かしての目撃談は、その場にいた者にしか語れない迫真のリアリティに満ちている。まさに「天網恢々疎にして漏らさず」、支那人の悪逆非道な蛮行が、白日のもとに曝されることになった。女性は真に貴重な歴史の証人になったのである。 本書は、その目撃証言の全文である。


出版社からのコメント

今では虚構であることが明らかになった「南京事件」。南京で日本兵が行ったとされる残虐な暴行殺戮は、実は支那人がやっていた蛮行を日本兵に投影したものであることが、本書を一読されれば得心できると思います。「和をもって貴しとなす」という平和理念がDNAに刻み込まれた日本民族にはおよそ考えられない悪鬼の業です。日本人を残虐な民族としておとしめるため世界にキャンペーンをはる中国に、「通州事件」の真実を





1937年7月29日、今でいう中国人による、日本人大虐殺が行われた。
当時の日本人居留地で暮していた、日本人の大半が惨殺された恐ろ
しい事件。女性の多くは強姦された上で惨殺されている。
犠牲者の殆ど全てが、ごく普通の暮らしをしていただけの一般人。
その殺され方は凄惨を極め、目玉や陰部をえぐり出されたり、強姦
した上で女性の陰部に銃剣を突き刺してさらし者にされたり、身体
を切断されたり、腸をぶちまけられたりと、とても人間のやる行為
とは思えない残虐さだった。腹を裂かれて殺された妊婦もいる。
男性、女性、損傷が激しく性別不明の遺体、老若男女あわせて少な
くとも260名前後の日本人が虐殺された。勿論、まだ幼い子供たち
も容赦なくいたぶられ殺されている。牛の鼻輪のように針金を鼻に
通された子供の死体まであったという。

この日本人虐殺事件を語る時、「その3ヵ月前に盧溝橋事件を日本軍
が起こしたからだ」と主張する人がいる。
だが、日本軍と中国軍の一部が衝突したからといって、ただ普通に
暮しているだけの日本人住民がこれほどまでに凄惨に殺される理由
にはならない。
そんなものは、非武装の住民を虐殺する正当な理由にはならない。
それこそ、究極の民族差別であり、残虐行為の正当化という愚劣な
言い分でしかない。いや、言い分にすらなっていない。
中国人は、日本人を残虐だと、いったいどの口で言うのか。

本書は、その凄惨を極めた通州事件を生き残った日本人女性Sさん
の貴重な証言である。虐殺を目の当たりにしたその言葉はあまりに
も重い。犠牲者の無念の思いと、このSさんの執念とがこれだけの
内容を語らせたのだと思う。
長らく黙殺されてきたこの証言が、ようやく今、書籍化されて日の
目を見ようとしている。
先の大戦をかえりみる時、「日本の侵略戦争によって多くの人命が
失われたことに思いをはせる・・・」ことばかりを強調する人々がいる。
だが、それではあまりにも犠牲になった我々日本人の先輩方が報わ
れない。日本、中国、朝鮮、生まれた国や土地はそれぞれでも、人
の命に軽重があっていいはずがない。
その点、日本人も他国の人々も、あまりにも日本人犠牲者を軽々し
く見てきたのではないだろうか。
その中でも、通州事件などは発生した日時すら知られてこなかった。
マスコミも殆ど取り上げない。それでは、犠牲者の方達が報われな
さすぎる。

今こそ、闇に覆われてきたこの虐殺事件に光を当てるべきだと思う。
多くの人々が知り、思いをはせる事で少しでも通州事件の被害者の
方々のご無念が晴れることを切に願う。
その通州事件を知るにおいて、本書は本当に貴重な資料だと思う。
この凄惨な事件を学ぶのに、右も左もない。
多くの人に知ってもらいたい。






この書の内容紹介を読んだとき、「何故、今頃?」「何故、今まで出なかったの?」と不思議に思った。編著者の藤岡氏の説明で納得がいった。
藤岡氏は、5年ほど前、佐賀県因通寺の住職、調寛雅師(2007年没)の著書「天皇さまが泣いてござった」(1997年発行)と出会う。調氏はこの書で、戦後、日本人が野蛮な侵略をした世界一残虐な民族であるかのように教え込まれたことに強い憤りと危機感を持っていて、こうした罪悪史観の克服がこれからの日本人の課題であることを、熱意を込めて語っていた。そして、この中に、通州事件の目撃者の証言が載っていたのである。
目撃者佐々木テンさんは大分県出身で、小学校を卒業しないうちに大阪に勤めに出て、昭和7(1932)年に大阪に来ていた中国人に請われて結婚し、中国に渡る。そして昭和9(1934)年に、通州に移住する。昭和11年の春、それまで親日的だった通州の町全体の空気が変わってきた。なかでも朝鮮人が中国人に対して日本人の悪口を言いふらすようになり、テンさんは夫の言いつけに従って、日本人であることを隠すようになる。
昭和12年になると、そうした空気は更に激しいものになり、7月8日の盧溝橋事件後は家の外に出ることもできないほどになった。そして7月29日の惨劇を夫とともに、目撃することとなる。
このテンさんの証言を疑う文書があり、藤岡氏はそれに対して「何らおかしいことはない」と分かりやすく説明している。歴史研究者の間では、佐々木テン証言を史料価値がなく使えないという意見があるようで、史料として使わせまいとする意図は成功しているようだと述べている。
テンさんはその後、夫と離婚して昭和15年に帰国し、晩年に西本願寺の別府別院に参詣するようになる。テンさんがそこに通うようになったのは、通州事件で腕を切られた老婆が「かたきをとって」と言い、「なんまんだぶ」と唱えて息をひきとったことが大きいという。事件から50年間、口を閉ざして通州の体験を語らなかったテンさんが調寛雅師の説教を聞いて、「この人なら自分の体験を嘘話と扱わずに受け止めてくれるのではないか」と思ったに違いなく、あるとき、「思い余ったような表情で」自らの体験を語り出したという。
藤岡氏は、「老婆の念仏が女性を御仏の前に進ませ、住職との出会いを導き、私がその記録に感動して今、それを皆さんに伝えようとしているのだ、と思っている。本書を手にするあなたも、その人と人との不思議な巡り合わせの連鎖の中にいる」と述べ、「この記録は、これらの方々の後世日本人への貴重な贈り物というべきです」と述べている。

小林よしのりが「戦争論」(1998年)で、「もうそろそろ、『日本人=残虐な加害者』『中国人=善良な被害者』などという虚構の公式を捨てたらどうだ!?」と述べている。残虐な加害者は中国人だとよく分かる書である。



長いレヴューは不要。一部始終を目の辺りにした日本人女性による五十年目の証言の再録。五十年も経たからこそ、ようやく地獄図絵を語ることが出来たのであろう。常軌を逸した極限の体験は、これほどまでに詳細かつ鮮明に、そして整然と記憶に焼き付けられるものなのか。
 同じ人間なのだから、中国人も日本人と同じようなところの多い人たちなのだろう、などと気楽に考えている多くの日本人よ。本書を読み、彼らの本性をとくと思い知るがいい。そして、彼らは日本人とは根本的に異なる人間なのだという事実を深く心に刻み付けよ。こういう連中だからこそ、彼らは今も、少数民族を弾圧し、南シナ海に軍事施設を造り上げ、尖閣を奪おうとすることを恬として恥じず、これらの蛮行を少しでも周辺国から非難されると、何が悪いとばかりに傲然と反撥するのである。







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