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オーストラリア (ニュー・サウスウェールズ州)の図書館  1928年のある日の記録には狩りの成果として「アボリジニ17匹」とある。

 ●谷底に突き落とす殺し方で…

 オーストラリアが近代の歴史に顔を出すきっかけとなったのは、1776年の米国の独立戦争だった。


 それまで米国というか、アメリカ大陸にあった英国植民地は、開拓民の送り込みの地としてだけでなく、本国でさんざん悪さをした犯罪者の流刑地でもあった。それが英本国の財政逼迫につき、アメリカの植民地に印紙税をかけたのが発端となってついには独立戦争にまで発展した。

 そして米国は独立する。英国は植民地を失ったのも痛手だが、それ以上に困ったのが流刑地を失ったことだった。 それでオーストラリアが急浮上し、1776年以降、新しい遠流の地とされた。


しかし行ってみると気候はいい、冬の寒さも本国英国よりはるかにしのぎやすい。先住民アボリジニはいるものの、いたって穏やかだし、最大の害獣が野生化した大ディンゴくらいで、毒蛇とか致死性の風土病とか、生活を舜かすものは何もなかった。 こんないいところを、犯罪人専用とするのはもったいない。英政府は1801年、ここを安全で有望な移住地に切り替えた。


移住してきた人々は、それまでの流刑者とは違うという意味で「1801年以降の市民」と名乗った。


しかし、彼ら移住者の程度は流刑者よりもお粗末たったことを歴史は伝えている。彼らは奥地に向かって開拓を始めるが、それば先住民の虐殺と同義語だった。
彼らはあらゆる殺し方をした。アボリジニの集落の飲み水に毒薬を入れたり、米大陸のインディアン殺戮と同じに襲撃しては撃ち殺したりした。しかし、最もポピュラーな殺し方は、丘陵地に住む彼らをI人ずつ谷底に突き落としていくというものだった。羊と同じ、抵抗することを知らないアボリジニは黙って突き落とされていった、という。


●強姦されて混血児を生む母親

20世紀に入っても、オーストラリア人は虐殺をやめなかった。アボリジニ狩りの日を決めてはハンティングを愉しんだ。 ニュー・サウスウェールズ州の図書館にはその狩りの記録が残されている。1928年のある目の記録には狩りの成果として「アボリジニ17匹」とある

歯止めない殺戮は、例えば約50万人のアボリジニが住んでいたタスマニア島ではわずか四半世紀で彼らを根絶やしにした。最後の何百人かは岩だらけの孤島に移し、全員を飢え死にさせている。
300万人というのが、1801年当時のアボリジニの控えめな人口だが、20世紀の半ばでそれは30万人に減り、今も決して増えてはいない。

それは表向き社会保障制度の充実という形を取る。アボリジニは農地も奪われ、かといって街では就職口もない。それで政府は失業手当(Dole)を与え、施設に収容する。というと聞こえはいいが、収容施設は米国のインディアン居留地と同じ、鳥も通わぬ辺鄙な場所に作られ、そこに押し込まれればもう外の世界には戻れない。ナチスが民族浄化に使ったゲットーと大差はない。

先住民の女性はもっと過酷な生き方が強いられる。彼女たちは実にしばしば白人の慰みものにされ、混血児を生まされる。しかし子供の父親ははっきりしない。つまり強姦されているのだ。そうすると政府が出てきて、混血児は母親から引き離され、白人の里親のもとに送られて教育と生きる権利を与えられる。

有色人種は虐殺か淘汰だが、一滴でも白人の血が入れば彼らは生かされる。かつてメキシコを征服したスペインは原住民の男は殺したが、女を強姦して子供を生ませた。メキシコはその混血のメスチゾが国民の過半を占める。それと同じことを今、やっている。



 ●「赤ん坊の投棄」との嘘をつく

 そのオーストラリアで、シドニー五輪が聞かれた。大会のテーマは友愛と和解だった。


豪州の暗い過去、つまりアボリジニヘの非人道的な対応はやめた、今は白人と先住民は和解し、友愛が生まれたという主張だ。それを象徴するように混血の女性アスリートが聖火ランナーを務め、開会式の祭典では多数のアボリジニの男女が会場いっぱいに踊りまわってみせた。

しかし、それは彼らのいう「Bull shit(たわごと)」でしかなかった。

和解の象徴のように扱われた女性アスリートは自分の生母がだれかも知らない。白人の血が混じったというだけで、彼女もまた生母から無理やり引き離されたひとりだった。
開会式で踊った先住民も、実は白人が体を黒く塗ったニセ者だった。本物の彼らは出演を拒否し、華やかな会場の外で「私たちを減ばさないで」と座り込み抗議をしていた。


APもロイターもそれは流さず、彼らの声はかき消された。

その翌年、インド洋でアフガン難民を乗せたフェリーボートが難破した。通りかかったオランダのコンテナ船が430人の難民を救助し、目の前にあるオーストラリア領クリスマス島に入ろうとした。しかし、豪政府は言を左右にして入港を認めなかった。もし認めれば、続々アジアの有色人種が流れ込んでくるからだ。

露骨な白豪主義に、米国からもいい加減にしろと非難の表明があった。

これに対して豪政府は沿岸警備艇からの報告として「彼らは邪魔になる赤ん坊を海に投げ込んだ」と発表。これを受け、ハワード首相は「そんな非人道的行為をする者を受け入れるわけにはいかない」と拒絶を表明した。難民船は追われたが、やがてこの赤ん坊投棄は豪政府が有色人種を嫌うあまりに創り出されたまったくの嘘だったと判明した。


この話にはもう一つ重大な示唆がある。


だれかが企んで嘘をつこうとすると、その嘘に本人の歴史と民族性がはっきり投影されるということだ。オーストラリアの場合、白人優越主義の立場から有色人種難民を拒絶したい。それには彼らを人道的対応が不似合いな集団だと思わせればいい。それでもっともらしく「赤ん坊の投棄」という嘘をついた。

でも、なぜ投棄なのか。実は彼らの祖父も父も、アボリジニを投棄して殺してきたからだ。経験と民族性がそういわせたのだ。

 
●「日本人の残虐さ」の裏側に…

今、中国が日本を批判するのに急だ。温家宝など「ODA卒業」を仄めかした小泉首相に「仰げば尊し」ではなく「日中戦争で何人中国人を殺したか」とすごんでみせる。
日中戦争の死者を中国は東京裁判で130万人と主張した。それを江沢民が3500万人に水増しし、それをもっともらしく見せるため南京や北京の抗日記念館を大増設した。

やれ子供は銃剣で串刺しにされ、女は暴行され手足を切断され……と証拠写真が続々出てくるが、藤岡信勝氏や東中野修道亜細亜大教授が指摘するように、影の向きが違ったり日本兵の服装が違ったり。まともなのは一枚もない。

何より中国側の主張に日本人はきょとんとする。そんな殺し方に馴染みがないからだ。


なぜ食い達いが起きるか。 江沢民や胡錦清のいう「日本人の残虐さ」はハワード豪首相が犯したミスと同じ「中国人のやり口そのまま」だからだ。



 創った嘘に民族性が丸見えになっていることに、彼らは気付かない。


胡錦清に火野草平の『麦と兵隊』を読むことを勧めたい。日本人が理解でき、ついでに恥を知ることもできる。



http://ayarin.iza.ne.jp/blog/entry/562736/






西洋人がオーストラリアを「発見」した段階では、50万人から100万人ほどのアボリジニがオーストラリア内に生活していた[7]。言語だけでも250、部族数に至っては、700を超えていた[要出典]。

しかし、1788年よりイギリスによる植民地化によって、初期イギリス移民の多くを占めた流刑囚はスポーツハンティングとして多くのアボリジニを殺害した。「今日はアボリジニ狩りにいって17匹をやった」と記された日記がサウスウエールズ州の図書館に残されている[8]。

1803年にはタスマニアへの植民が始まる。入植当時3000~7000人の人口であったが、1830年までには約300にまで減少した[9]。虐殺の手段は、同じくスポーツハンティングや毒殺、組織的なアボリジニー襲撃隊も編成されたという[10]。数千の集団を離島に置き去りにして餓死させたり、水場に毒を流したりするといったことなども行われた[11]。

また、1828年には開拓地に入り込むアボリジニを、イギリス人兵士が自由に捕獲・殺害する権利を与える法律が施行された。捕らえられたアボリジニ達は、ブルーニー島のキャンプに収容され、食糧事情が悪かった事や病気が流行した事から、多くの死者が出た。

これによりアボリジニ人口は90%以上減少し、ヴィクトリアとニューサウスウェールズのアボリジナルの人口は、10分の1以下になった[12]。さらに1876年には、タスマニア・アボリジナル最後の生存者である女性のトルガニニが死亡して、多い時期で約3万7千人ほどいた純血のタスマニアン・アボリジニが絶滅した[13]。

特に東海岸沿岸部等の植物相の豊かな地域に居住していたアボリジニは、当初はイギリス移民との平和関係を保っていたものの、後の保護政策に名を借りた強制的な移住もあり、この入植者達によるハンティングという惨劇を語り継ぐ者をも残さず姿を消している。

19世紀の末には、アボリジナルは絶滅寸前の人種(死にゆく人種)として分類されるようになる[要出典]。

1920年頃には、入植当初50-100万人いたアボリジナル人口は約7万人にまで減少していた[14]。同1920年、時のオーストラリア政府は先住民族の保護政策を始め、彼等を白人の影響の濃い地域から外れた保護区域に移住させたが、これはむしろ人種隔離政策的な性質があったようである。元々オーストラリアに移住した白人は、犯罪者が大半を占めていた。そして、徹底的な人種差別政策、いわゆる白豪主義をもって、移民の制限及びアボリジニへの弾圧政策を続けた。当時のオーストラリア白人には、世界の他の地域に居住する白人に較べて犯罪率が高く、勤勉性に欠ける傾向がみられる、という報告も存在する[要出典]。

また、1869年から公式的には1969年までの間、アボリジニの子供や混血児(ハーフ・カーストと呼ばれ売春婦として利用される事があった)[15]を親元から引き離し白人家庭や寄宿舎で養育するという政策が行なわれた。様々な州法などにより、アボリジニの親権は悉く否定され、アボリジニの子供も「進んだ文化」の元で立派に育てられるべきという考え方に基づくものと建前上は定義されていたが、実際はアボリジニの文化を絶やしアボリジニの存在自体を消滅させるのが目的であった。政府や教会が主導して行なわれたこの政策で子供のおよそ1割が連れ去られ、彼らの行き先は実際には白人家庭でも寄宿舎でもなく、強制収容所や孤児院などの隔離施設であった。そして、隔離施設から保護を放棄されたり、虐待を受けたり、遺棄された者も少なくはなかった。結果として彼らからアボリジニとしてのアイデンティティを喪失させることとなった。彼らは"Stolen Generation"(盗まれた世代)、または"Stolen Children" (盗まれた子供達)と呼ばれている。尚、「盗まれた世代」の政策が実際に徹底されて行われていたか、またどの程度の規模だったのかは、未だにわかっていない。

無論、アボリジニも全くの無抵抗だったわけではなかった。これらの政策に対してのデモや暴動を起こすものも少なくなかったが、結果としては白人たちの敵愾心を煽るにとどまった。逮捕者の中には、まともな裁判を受けることなく、そのまま死刑に処せられた者もいたほどである[要出典]。

一方、不毛な乾燥地域である内陸部のアボリジニは周辺の厳しい自然環境に守られながらどうにか固有文化を維持し続けた。今日でもアボリジニ文化の史跡は沿岸部都市より隔絶された内陸地に多く残る。近代のアボリジニ激減と、文字文化を持たなかった事から文化的痕跡を残さず消滅した部族も多く、彼等の言語や文化の系統を調査する試みは進んでいない。音声的に完全に失われた言語も多く、それらの民俗学的調査は「既に大半のピースが失われたパズル」に准えられている。

その後、アボリジナル人口は徐々に回復し、1996年には約35万人になった。これはオーストラリア総人口の約2%である


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%9C%E3%83%AA%E3%82%B8%E3%83%8B






先日、アボリジニー女性と長く話をする機会があった。
彼女は推定40歳弱のアボリジニー女性。明日、生まれて以来一度もあったことのない姉に会うのに、とても緊張している、と言う。
私は、家庭の事情か、とちょっと思ったけれど(馬鹿な私)、よく聞いてみると、まだ一度もあっていない弟もいて、母親とは、3年ほど前、生まれて初めて会えた。という。
ベルギーに住んでいる弟もいるのよ。と写真を見せてくれた。

ヨーロッパ政府の先住民政策のことを少しでも知っている人ならすぐにわかると思うが、そう、これは、イギリス政府 (後にはオーストラリア政府)の先住民同化政策のひとつで、アボリジニー女性から生まれた赤ちゃんを出産後 母乳をやるのも許さず、すぐ取り上げ、ハクジン夫婦のもとで育てさせる。というもの。こうすることにより、アボリジニーのこども達は、親から文化を継承せず、イギリス人化する と考えたのだ。
私は知識としては知っていたけれど、まさか、こんな若い人がまだ、その政策の当事者として存在していることが、驚きだった。
私の勉強不足のせい、なのですが、ただ、この事実を豪州政府は公にはしない。
事実をしるためには、アボリジニーから聞いた話をドキュメンタリーにした本やビデオしかないのだ。

彼女曰く、この政策は、1980年まで続いた。だから今26歳以上のアボリジニ-は、みんな親を知らないで育った。「そんな最近まで!!」私には衝撃だった。
自分のこどもが、政府によって取り上げられ、2度と会えないのだ。親は子供の写真を見ることも、消息を知らされることも この制度が廃止されるまではなかったという。
たとえ、海外に行っても、死亡しても、知らされなかったのだ、と言う。

これだけでも、悲しいのに、彼女の話は終らない。

この制度は、ただアボリジニーを先祖から引き離し、イギリス人文化に馴染ませるためだけのものではなく、アボリジニーを抹殺するかわりに、彼らの肌を白くする政策でもあったのだ。

アボリジニーをひきとる親のほとんどは、女児を好む。

女児なら大きくなれば強姦し放題だからだ。そして妊娠させる。そしてその赤ちゃんの肌は母親より少し白くなる。だから、政府はそれをよしとしたのだ。
強姦したいハクジンの父親は、早ければ8歳くらいには、強姦すると言う。
彼女の周りでも、たくさんのアボリジニー女性がまだ幼い頃に強姦され、12、13歳で妊娠した人がいっぱいいたはずだ、と言う。もちろん 強姦された挙句生んだ赤ちゃんは、すぐ政府によって取り上げられるのだ。そしてその子も女児なら、運が良くなければ、強姦される運命だ。

男児はどうなるのか。地方や役人によっては、男児は、何の役にも立たないので、(アボリジニー女性は、ハクジン男性の性の遊びの役に立つが、アボリジニー男性がハクジン女性とセックスするのは、許されないし、アボリジニー女性と性交渉をすると、二人の赤ちゃんの肌の色は白くならない) 不必要として、生まれた直後 近くの壁にたたきつけて殺したのだ と言う。
私には、言葉も出なかった。

彼女は自分を育ててくれたハクジン両親はいい人で、とても幸運だったという。
統計などなくてわからないけれど、幸運なアボリジニーは少ない と言った。

彼女は自分の父親が誰だか知らないという。あるとき、病気で医者に行った時、医者から、両親にその病気をしたことがあるか、聞いていらっしゃい、それが予防に役立つと言われ、母親に父親の所在を聞いた。母親が インド人の男性だ、と教えてもらい、会いに行く直前、母親から止められて、何事かと思ったら、よく考えたら違うと言う。笑いながら、インド人だったら、あなたの肌はこんなに白くないわよね、と娘の肌をさすりながら言った と言う。で、父親は、アイルランド人、ハクジンだと言って、でも死んだのだ、と。
彼女は 父親に会うのはあきらめた、と言った。母親が話したがらないから。と。
考えてみればこのお母さんも 親から引き離されて、ハクジンの親の元、苦労して育ったわけだから、何があったかは、想像にかたくない。

彼女は、自分の肌をさすりながら、豪州政府はこの肌でもまだ白さが足りない、と言うわ。といった。肌の白さ、をこれほどまでに気にしながら生きていかなければならのは、信じられないほど理不尽だと思った。

彼女は言う。過去も悲しいけれど、今も悲しい。なぜかと言うと、時折話す、オーストラリア人(ハクジンだと思うけれど)は、総じてこの話を信じないと言う。政府がそんなことするはずない、と。彼女は、じゃあ、なぜ多くのアボリジニーがこんな都市に住んでいるの?各地にあった、トライブにいないの?なぜアボリジニーの言葉が話せないの?と聞くのだそう。

私には、ハクジンオーストラリア人が政府の行ったこの蛮行をしらないのはありえるとして、その本人からこういうことをされた、と言われて、政府がするわけない、と否定するその気持ちがよくわからない。
それほどまでに、政府を信じきっている気持ちが。いや、政府というか、ハクジンがそんな残酷なことをするわけない、とおもっているのかもしれない。

イギリス政府が行った数々の蛮行、植民地支配も何もかも習わず、海賊も彼らの誇り、アメリカ大陸の”発見”と勉強するし、あの土地の近代化をひたすら美化し、第一次大戦も、その後のすべての戦争も (ベトナム戦争、湾岸、今の戦争も)ひたすら、正義の戦いとして教わってきているからね。彼らは。ベトナムは、やるべきでなかった、とはいうけれど、政府には、ちょっと批判的でも、自国の兵士への同情だけ(ベトナムへはなし、)。

反省の”は”の字もない。

ここまで、国際社会の中で(おそらく、対非ハクジン国、民族にかぎって)イギリス系の自分達が間違っているわけない、という、強い信仰があるのだろうな。
一般の日本人が、沖縄の人から、占領された後、こういうひどいことを日本政府から、組織的にされた、と言われたら、頭から否定するかな。特に、強姦とか、殺人とか、そういうものは、抑圧につきものだし、あるかも、と思うのが、普通だと考えてしまう。

まあ、それはともかく、私はこの話をきいて、この国にいまでもひたすら起こりつづけている、先住民女児への、先住民男性からの強姦、性暴力事件の深層が、こういうところにあるのではないかと感じました。(下の方に投稿してあります。)

また、アボリジニー女性が強姦された事件で、容疑者がハクジン男性、アボリジニー男性にかかわらず、裁判員に女性が複数いても(ハクジンのみ裁判員)、裁判で有罪にならず、釈放されてくる事実を見て、アボリジニー女性らが、「私達が強姦されても、とにかく、ハクジン達は、彼らが女性であるか、男性であるかにかかわらず、同情はけっしてされない。どういうわけか、私達は、強姦されてもいい生き物と思われている」、と言った言葉の裏の意味が、今少し理解できる。

さらに、大学時代、クラスで見た(女性学の授業、フェミニスト系の女性教授の中には、アボリジニーのことを理解しようとする人はいる)まだ、上陸したばかりのイギリス軍がアボリジニ-を虐殺する物語のビデオですが、クライマックスは、偶然に森に入っていた9歳くらいの少女は殺されるのをまぬがれ、じっと木の陰から、自分の親、兄弟、姉妹を含む、部族全員がイギリス軍の手によって銃殺されるのを目撃する というような話だったのですが、悲しすぎて、涙がとまらなかった。明かりがついて、60人くらいの生徒の誰ひとり(私以外全員ハクジン女性(一応見た目ですが)、涙ひとつ、うるうるした様子ひとつないのには、映画の内容以上に驚いたことを覚えています。が今、その理由がわかります。


ついでに書きますが、こちらでは、もちろん、ハクジンが全員ひどいのではありません。何とかしようとするハクジンだっているのです。

最近こういう不満がハクジンから出され、報道されました。

今では、アボリジニーの赤ちゃんが母親から強制的に奪われることはなくなりましたが、アボリジニー家庭はすさみ、アルコール中毒やら暴力やらで、親としてきちんと子育てできない家庭が多く、中には、ハクジン夫婦が 好意で親が落ち着くまで預かる制度があります。(これは、ある程度管理されていて、強姦などはできないようですが)
そのハクジンの親で、それは 自分の子供のように一生懸命面倒見る人もいるわけです。

その中で、学校にきちんと行かせ、宿題をさせ、ドラッグをすわないように ある意味愛情こめてしつけている親がいました。政府はその親に対し、こういう”質のいい”子育てをするのは、契約違反だから、すぐ止めないと、告訴する、というのです。

腹を立てた親が、テレビ局に話して公になったわけです。

政府いわく、先住民のこどもはいずれ、ドラッグを吸い、しつけもろくにできない親元に返るのだから、かけ離れたことをするのは だめ。ということです。
ハクジン親は、親がたとえ吸っても、あなたは自分の身体のため、やめなさい。と教えて何が悪い、また、勉強に興味を持ち、学校に行く習慣ができれば、その子の将来の利益になる、と主張しました。

また、別の アボリジニーの子供をあずかった親からも こんな政府への不満がテレビ局にとどきました。
このこどもが自分のこどものように可愛く、将来は頑張って欲しいから、その子と別れる時、将来大学に行きたくなったら私に連絡しなさい。援助してあげる、と言ったそうです。それを知った政府にそんなことはするなと言われた、と。不公平だと。

あづかった親は、言う。政府は他の子に対し不公平だというが、本当の理由は違う。
彼らは、アボリジニーに、その地位を向上してほしくないのだ。


話をもとのもどすと、そのアボリジニー女性に、私は ここはあなたの土地よ。と言ってしまった。
むなしいだけなのに。
マオリの人に、私たちは、同じ先住民でもアボリジニーよりずっとましなんだ。といっていたことが胸にしみた。

どうなったら、彼らの幸せはやってくるのでしょうか。

私は、彼女に、日本人には、伝えるから、と約束しました。

http://www.asyura2.com/0601/social3/msg/428.html



White Australia policy  Aborigines mass slaughter




http://youtu.be/eEFA04B1O6g





「世界差別問題叢書 5 増補 アボリジニー」明石書店1993年、p42






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