日本が戦ってくれて感謝しています2 あの戦争で日本人が尊敬された理由


日本が戦ってくれて感謝しています2 あの戦争で日本人が尊敬された理由

井上和彦 (著)



商品の説明


内容紹介

涙が止まらない!
10万部突破のベストセラー第2弾

■真の友は本当の歴史を知っている!

歴史認識の鍵、第一次大戦「マルタ」における感動の日英同盟を序章に、読者から要望が押し寄せたインドネシア——あの戦争の大義そのものを3章にわたって収録!

日本人は、なぜ熱狂的に迎えられたのか
日本軍は、私たちの祖先は、激戦の中で真摯に振る舞った、義があった、誇りがあった。
それは"武士道"だった……歴史認識を辿る旅、待望の第2弾!

------- 我らインドネシア民族はここにインドネシアの独立を宣言する。
権力委譲その他に関する事柄は、完全且つ出来るだけ迅速に行われる。
ジャカルタ 17-8-'05
インドネシア民族の名において

1945年8月17日、ジャカルタのスカルノ邸で、スカルノとハッタは、インドネシア独立宣言文を高らかに読み上げた。
ここに記された日付「17-8-'05」の「05」とは、なんと「皇紀2605年」のことだった。
インドネシアは皇紀2605年8月17日にオランダ王国から独立したのである。(本分より抜粋)
-------


内容(「BOOK」データベースより)

真の友は本当の歴史を知っている!歴史認識の鍵、第一次大戦「マルタ」における感動の日英同盟を序章に、読者から要望が押し寄せたインドネシア―あの戦争の大義そのものを3章にわたって収録!歴史認識を辿る旅、待望の第2弾!

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

井上/和彦
ジャーナリスト。1963年(昭和38)、滋賀県生まれ。滋賀県立膳所高校卒業、法政大学社会学部卒業。専門は、軍事・安全保障・外交問題・近現代史。『正論』などオピニオン誌への寄稿が多い。歯に衣着せぬ発言で難解な軍事問題などを分かりやすく解説することから“軍事漫談家”の異名を持ち、多数のテレビ番組に出演。「日本文化チャンネル桜」の自衛隊・安全保障番組キャスター、航空自衛隊幹部学校講師、東北大学大学院非常勤講師、国家基本問題研究所客員研究員、商社シンクタンク部門の主席アナリストも務める(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)




マレーシアに住んで分かったこと投稿者 アマゾンカスタマー トップ50レビュアー 投稿日 2016/8/26

夫の転勤でクアラルンプールに、家族4人で3年間住んだ。もう20年以上前のことだが、マレーシアの人々の温かさを、今も忘れることはない。その時マレー人の高齢者から「日本軍は海路から来るだろうとする英国軍の意表をつき、日本軍は陸路の熱帯ジャングルをものともせず自転車でマレー半島を南下して、シンガポールの英国を落とした。それがマレーの独立のきっかけを作った」という話をきいた。私が学校では習わなかった当地の人の生の声だった。その日本軍は「銀輪部隊」と呼ばれており、侵略者の烙印とは別の印象を、人々に与えていることに、感動したものだった。一方、マレー独立に感慨をもたない中国系のマレーシア人は、英国統治時代に統治者のパシリとして満足し、マレー人の上に君臨していたため、日本軍が来たことが、むしろ迷惑だった側面がある。おなじマレーシアの中にも、温度差はあったが、個人的には中国系マレーシア人とも、仲良く出来て、よい思い出は今も宝物だ。井上さん、よい本を書いて下さってありがとう。



投稿者 waka 殿堂入りレビュアートップ10レビュアー 投稿日 2015/9/1

第一次世界大戦で、日本は日英同盟に基づいて参戦し、世界平和のために各国と力を合わせて戦い、戦勝国となった。
昨年(2014年)、安倍首相はオーストラリア・イギリス・フランスを訪れ、それぞれの首相・大統領と会談し、安全保障分野での関係強化を図った。オーストラリアでは、敵対した第二次世界大戦よりも、今後は第一次世界大戦時の協力関係の歴史を重視する歴史認識に転換したことを印象付けるセレモニーが行われた。また、2014年のパリ祭の軍事パレードでは、第一次世界大戦開戦100年を記念して参戦した約80ヵ国が招待されており、日本は“戦勝国”として参加した。
日本人の魂を蝕み続けた「自虐史観」を治癒する特効薬は、この第一次世界大戦での戦勝国としての記憶だと感じた著者の井上和彦氏は、2014年、地中海の島国・マルタ共和国へ飛び立った。
大正6(1917)年1月、日本は同盟国イギリスの要望で、地中海などへの艦隊派遣を決定した。その任務は、ドイツ・オーストリアの潜水艦(Uボート)による攻撃から連合軍の輸送船を守り、通商保護に努めるとともに、被害を受けた船舶の救助を行うというものだった。当時、Uボートによる被害は甚大だった。日本の駆逐艦は、魚雷を受けた英国の輸送船の乗員のほとんどを救助し、手厚く看護し、送り届けた港で人々から「英雄」として大歓迎を受けた。
日本艦隊は1918年11月までに、348回の出撃を行い、788隻の輸送船や病院船などを護送し、兵員70万人の輸送を助け、そして敵潜水艦の攻撃を受けて海に投げ出された連合国の兵士や看護婦ら約7000人を救助した。その見事な護衛ぶりから、“地中海の守護神”と呼ばれ、護衛以来が殺到したという。
敵潜水艦の魚雷を受けるなどして79名の日本兵が戦死し、彼らはクレタ島の英海軍墓地に仮埋葬された後、マルタ島の英連邦戦没者墓地に埋葬された。その墓地を訪れた井上氏は、「ヨーロッパのどこをさがしてもこれ以上に誇らしい日本軍の遺跡は他にない」と感嘆する。そして、日本海軍の大活躍が連合国の勝利に大きく貢献し、日本国は第一次世界大戦の戦勝国だったという史実を再確認した。

この書は、大東亜戦争クライマックスというべき「インドネシア」での戦いに、ページの約半分を費やしている。インドネシア独立のプロセスこそが大東亜戦争の大義そのものだったからである。
アメリカが主導した「ABCD包囲網」によって、原油をはじめとする工業資源を入手できなくなった日本は、国家の生存のためにアジア最大の油田地帯である蘭印(インドネシア)を獲得しなければならなくなった。
350年にわたるオランダ植民地支配で苦しんでいたインドネシアの人々は日本軍を大歓迎した。日本海軍の堀内大佐は、地元民の話に耳を傾け、租税額を減らしたり、塩の製造法を指導するなど、地元民の生活を改善した。また堀内大佐は、敵のオランダ軍捕虜に対しても武士道精神で接し、丁重に扱った。日露戦争時の乃木大将もロシア兵捕虜を手厚く処遇し、堀内大佐は乃木大将の日本軍人精神を引き継いだ武人だった。
その堀内大佐は戦後、オランダによる復讐裁判によって“B級戦犯”の容疑がかけられ、死刑に処せられた。オランダ軍は、自分たちを打ち負かした堀内大佐に復讐したのだ。「当時のオランダ軍の民度の低さには、はらわたが煮えくり返る」と井上氏は述べている。いわれなき戦犯の汚名を着せられて処刑された日本兵は約1000名を数え、中でもオランダが最多の226名を処刑している。

昭和17(1942)年1月から3月初旬にかけて、日本軍はセレベス島、ボルネオ島、スマトラ島、ジャワ島での戦いで勝ち続ける。
この一連の海戦で、日本軍は世界戦史に輝く美談を残した。日本艦隊によって撃沈されたイギリス船の敵兵を救助したのである。救助されたイギリス兵は驚いたことに、「士官が兵士に対し『万一の時は、日本艦の近くに泳いでいけ。必ず救助してくれる』といつも話していた」と証言したという。日本海軍の捕虜の扱いの良さは、このようにイギリス海軍内で周知の事実となっていたのである。これは昭和16年12月10日のマレー沖戦での日本海軍機の高貴な行動がそう言わしめたのであろう。戦闘中の敵兵救助を命懸けでやるのは、世界の軍隊の中でも日本海軍だけである、と井上氏は述べている。
昭和17年3月8日、蘭印軍は全面降伏を受け入れ、350年に渡るオランダによるインドネシアの植民地支配は終焉した。その後、日本軍は、オランダ支配下では考えられなかった地元民に対する教育制度の整備をはじめ、インドネシア独立に向けた人材育成、インドネシア語の普及、そしてインドネシア人による軍隊組織「PETA(祖国防衛義勇軍)」の育成を行った。オランダは徹底した愚民政策と搾取を行い、インドネシア人を奴隷として扱っていたのである。井上氏はインドネシアで戦った元日本人将校から、地元民がいかに虐げられていたかといった話を聞く。

日本の敗戦直後の1945年8月17日にインドネシアは独立宣言をする。その日付に、「皇紀2605年」と日本の「皇紀」が用いられたことに、井上氏は驚く。日本による3年半の軍政がインドネシア人にいかに高く評価されていたかがわかる。
が、旧宗主国オランダとかつて蘭印に駐留していたイギリスがインドネシアを再び植民地支配するために舞い戻ってきた。まずイギリス軍がジャワ島スバラヤに上陸し、インドネシア人は「再び支配されたくない」と勇敢に抵抗し、勝利した。「この勝利が、マラヤ、ベトナム、フィリピン、アフリカと、至る所の独立運動に決定的な影響を与えました。我々はアジア・アフリカの人々に植民地主義に抵抗し、そして民族として正しい意志を持っていれば必ず独立が達成できるという手本となりました」と、スラバヤ戦争財団理事長が語っている。
その後、PETAらインドネシアの兵士達は「日本精神」でオランダ軍と戦い、2000人の日本兵がインドネシアに残留してインドネシアの独立のために戦った。そうして、1949年12月、4年半に及ぶオランダとの戦いの末にインドネシアは独立を果たした。そのために残留日本兵1000人を含む80万人の尊い犠牲を払ったのである。井上氏は昨年(2014年)8月、ジャカルタの「カリバタ国立英雄墓地」を訪れ、日本軍人の墓に辿り着いた。その中には、逝去日がわずか10年ほど前のものもあった。そして最後の残留日本兵も、井上氏がインドネシアから帰国した直後に逝去したという。

平成14(2002)年から平成16年までの東ティモールでの国連平和維持活動(PKО)でも、平成16年のインドネシア・スマトラ島沖地震でも、派遣された自衛隊は大歓迎された。日本の自衛隊医療チームが臨時診療所を設けると、たちまちそのニュースが伝播し、それまで他国軍の診療所で治療を受けていた被災者が自衛隊の施設に押し寄せてきたという。日本軍の戦いは、今でもこの国の対日感情に絶大な影響を与えているのだ。
日本は第二次世界大戦の敗戦国となったが、イギリスとオランダは広大な地域の植民地を失い、多くの植民地諸国が独立した。そして日本のおかげで独立を達成したインドネシアの人々は、日本軍の命懸けの貢献と支援に対する感謝の念を忘れず、今も語り継いでくれている。
井上氏が話を聞いた元日本人将校は、井上氏にこう語った。「私たちはね、祖国のため、アジアの解放のために、そりゃ、死に物狂いで戦ったんですよ。日本はなんら間違っていなかった。我々がやってきたらインドネシアの人々は皆喜んでくれたんですよ。将来の日本のために、どうか井上さん、あとを頼みます」。
「さあ、お聞きしたい! 大東亜戦争のどこが、侵略戦争なのか!」。井上氏の熱い思いが伝わってきた。







応援クリックお願いします m(_ _)m


国際政治・外交 ブログランキングへ






関連記事

0 Comments

Post a comment