【書籍】南京大虐殺の虚妄を暴く迫真の史料「敗走千里」 兵士が赤裸々に描いた戦争の実態


■やはり、英語は英単語をたくさん暗記しないと実用では使えません■

これまで色々と英語をマスターしようと頑張ってきた人なら共感してもらえると思いますが、英語を実際に使えるかは、どのくらい英単語を知っているかで決まりますよね。

ここでご紹介する英単語記憶法は、東京大学の元医学博士が開発した「ミリオン・ボキャメモリー」という方法で、これまでのような長い時間をかけて暗記しなければならない大量の英単語を「短時間で効率的に覚える」学習方法です。

下記のサイトに、この超効率的な英単語記憶法を解説したサンプル動画がありますので、その驚異的な英単語記憶法を体験してみてください。
この動画を一度見るだけでも、そこで解説されている英単語が何のストレスもなく覚えてしまうのを実感できると思います。

>>ミリオン・ボキャメモリーの詳細はここをクリック<<
※購入後、気に入らなければ購入日から120日以内であれば無条件で代金は返却してもらえます。






■通州事件…盧溝橋事件発生から3週間後の1937年7月29日
北平(北京)東方の通州で中国保安隊による大規模な日本人虐殺事件が発生した■


夫を生きたまま腹を切り裂き…「これはおいしいぞ、日本人の腸だ、焼いて食べろ」…そうして、その妻である妊婦の腹を切り裂き胎児を取り出す。

それはこの男の人の頭の皮を学生が青竜刀で剥いでしまったのです。
頭の皮を剥いでしまったら、今度は目玉を抉り取るのです。このときまではまだ日本の男の人は生きていたようですが、この目玉を抉り取られるとき微かに手と足が動いたように見えました。








★ ★↓↓ 記事はここから ↓↓★ ★





★「敗走千里」陳登元著、別院一郎訳




戦後GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の手で封印された幻の戦争文学が、完全復刊した。

著者は10代半ばで日本に留学、大学卒業を翌年に控えた昭和12(1937)年に本国に一時帰国したところを、中国軍に強制徴募され、前線に送られた。酸鼻を極める戦場を体験、重傷を負って戦線離脱、上海の病院を退院直前に脱出し本稿を書き上げた。  その原稿を日本の恩師へ送り、恩師が訳者となる形で出版した。

 兵士が赤裸々に描いた戦争の実態は、幹部の腐敗や兵士たちの略奪を記録し、南京大虐殺という虚妄を暴くカギを握る。

 圧巻はなだれを打って退却する中国兵たちを迎え撃つ「督戦隊」の存在だ。日本軍に追われて逃げ戻ってくる友軍に容赦ない一斉射撃を浴びせ見る間に死体の山を築く。  射撃によって退却の勢いを止め、再び日本軍へと向かわせようとするが、退却の流れは止まらずうずたかい死体の山が生まれるばかり。主人公は死体の山の下にもぐって助かろうとする…。

 南京郊外にできた死体の山はどうやってできたのかを示唆する凄惨な場面だ。ほかに、正規軍が軍服の下に便衣(民間服)を用意し、いつでも一般市民に変装できるようにしていたことや、略奪・暴行が日常化していたことも描かれている。

 南京大虐殺という虚妄を暴く迫真の史料といってよい。

http://www.zakzak.co.jp/soc/news/170707/soc1707070026-n1.html




戦後GHQによって没収・廃棄された幻の“問題作"が、今ここに完全復活!

中国人兵士が自ら語った、中国軍の腐敗と掠奪の記録。

昭和13年に刊行されるや、またたく間に100万部を超えるベストセラーとなった、“知られざる"戦争文学の名著が、現代に甦る!

“南京大虐殺"の虚妄を暴き、日本人を“自虐史観"から解き放つ、第一級の史料!
GHQは、いったい本書の“何を"怖れたのか──


〔戦後、日本を占領したGHQ(連合国軍総司令部)は昭和21年、 戦前・戦中に出版された7,700点を超える刊行物を「宣伝用刊行物」に指定。これらを、個人宅と図書館を除くあらゆる場所から秘密裏に没収し、 紙パルプに再利用するためとして、事実上の廃棄処分にした〕




僕はこの二度と得がたい戦争を記録しておく決心をしました。
幸い、僕の耳はまだ、砲弾にやられた断末魔の人間の叫喚が残っています。
ひどい血の匂いが鼻に残っています。バラバラになった人間の腕や、
脚や、首や、胴や、そんなものが眼に残っています。
僕は書きました。僕の経験し、見聞せる範囲内においての
ほとんど残らずを書きました。戦争とはこんなものです。
僕は神の如き冷静さをもって、純然たる第三者の立場から、
すべてを客観し、描写しました。
この中に、僕の言う戦争の匂いが出ていれば、
それを感覚していただければ、幸甚に存じます。
(著者・陳登元の手紙より)

“南京大虐殺"のカギを握る「便衣兵」とは何なのか。
南京市街にあったという「死体の山」は誰が築いたのか。
日本兵は、一般市民に対して、本当に残虐なことをしたのか。
──こうした疑問に対する答えは、すべて本書の中にある!

◆便衣兵(一般市民に変装したゲリラ)の真実──

「弱ったなぁ」彼はいかにも弱ったように言う。
「便衣の用意がないんだ。軍服のままだったらすぐ捕まっちまうだろうし……」
「軍服じゃ駄目だ。どうして今までに用意しておかなかったんだ。
便衣を用意しとかねえのは、今じゃおまえひとりぐれえのもんだぞ」


◆督戦隊(敵前逃亡を防ぐ味方の部隊)に射殺される中国兵の悲劇──

退却軍の前面、側面に陣していた督戦隊の機関銃は一斉に猛烈な火を吹き、
雨霰と銃弾を浴びせかけてきたのである。
見る間に屍体の山が築かれた。が、それでも後から後からと押してくる
退却軍の流れは止まない。屍体の山は段々高くなっていった。


◆中国兵による略奪と暴行の残忍さ──

ある一人の兵が持っていた耳飾りの如き、
現に、たった今まである女の耳にぶら下っていたものを
無理に引きちぎってきたからだろう、血痕が滲んでさえいた。
「で、その女はよかったか? 幾つぐらいなんだい?」
「二十ぐらいかな……そりゃいい女よ。
でもな、その女はもういないよ、南京に行くと言ったから……」
銀貨の男は、そう言う張開元の目をじっと見つめていたが、
やがて、はっとしたように、
「おめえ、まさか、やっちまやしめえな」と言って、
ギュッと、銃剣で何かを突き刺す真似をした。


◆これが中国軍の“正体"だ──

陳子明は全てを見た。そして、聞いた。
彼は、これだけで戦争なるもの、更に軍隊なるものの本質を
残らず把握したように思った。
戦争なるものが一つの掠奪商売であり、軍隊なるものは
その最もよく訓練された匪賊であるということである。




この本のAmazonカスタマーレビューより

5つ星のうち 5.0
焚書図書が72年ぶりに甦る投稿者 h.t 投稿日 2017/6/29

 本書の前半は前線における支那軍の様子と兵士たちの人間模様を中心に描かれ、後半は李芙蓉という女性との王上尉(大尉)とホウ中尉、次に王上尉と陳子明の戦争の中でも揺れ動く男女の三角関係が描かれている。前半で主人公の陳子明が見たものは、給料の満足に支給されない支那の兵隊にとっては、表面は如何ともあれ、掠奪が依然として給料であり、戦争なるものが一つの掠奪商売であり、軍隊なるものはその最もよく訓練された匪賊であると述べている。
 著者は「戦争というものは非常に揮発性を持った感覚の集合体、これが発揮してしまっては戦争の抜け殻になってしまう」としています。戦後GHQが7000冊以上を焚書し、プレスコードや4大教育指令などで歴史が捻じ曲げられて72年。昭和13年に出版され100万部以上の大ベストセラーとなった本書は、当時の日本人が支那事変(日中戦争)をどのように捉えていたかの材料を現代の日本人に伝える必読書ではないでしょうか。

≪当時の時代背景≫
1936年12月 〈西安事件〉共産主義者が国民党軍と日本軍を戦わせて双方を弱体化させるために蒋介石を罠にかけて日本との戦闘を仕向けた
1937年7月7日〈盧溝橋事件〉国民党軍と日本軍の双方に発砲して戦わせる共産党の作戦であったと1949年の中国独立の演説で周恩来が発表
1937年7月29日〈通州事件〉北京郊外の通州で支那軍により日本の民間人200名以上が文字通り虐殺された
1937年8月13日〈第2次上海事変〉日本軍の10倍近い支那軍が突然日本軍に攻撃し、8年に及ぶ支那事変(日中戦争)が開始された
1937年11月 主人公の陳子明が2か月間の戦闘の後、生死にかかわる負傷し戦線を離れる
1937年12月13日〈南京陥落〉戦後の歴史捏造である南京大虐殺や日本軍の略奪、強姦などの暴行などは支那軍の仕業であることが本書により容易に推測できる。
1938年1月 著者の陳登元から訳者の別院一郎のもとに1通の手紙と共にどっさり原稿が届けられる
1938年3月 『敗走千里』が出版され100万部以上のベストセラーとなる

≪本文抜粋≫
「僕は一足先に国へ帰る。君達も一日も早く日本の知識学問のエッセンスを吸収して帰ってきたまえ。あらゆる角度から眺めて軍事、科学、その他の文化面において一歩遅れている。だが同じ水準に達した時、日本は決して我が中国の敵では有り得ない。我が中国は必ず日本を圧倒することができる。」P79
⇒戦前も支那は日本打倒を目指していた、八紘一宇と近隣窮乏化政策の両方をうまく組み合わせることが国の安全保障にとって大切なのは、現在の我が国にも通底するものです。

「幸いにして、中国は今や欧米諸外国の同情を得ている、彼等をうまく誘導することによって我々はやがて、自分たちは手をこまねいていて、欧米諸国と日本を戦わせるのだ。」P81
⇒「夷を以て夷を制す」という考え方は連綿と続いてきたもの、聖徳太子の「和を以って貴しとなす」が日本流だが国際社会ではどこまで通用するか甚だ疑問です。

「彼の知っている日本人は、殊に、日露戦争に関する書物などを読んだところでは、日本軍はロシアの捕虜を殺すどころか、非常に丁重に扱っている。捕虜の癖に、日本娘と恋愛に陥って、戦後結婚したというローマンスまで伝わっている。それほど、日本軍は敵国軍に対して寛大だったのだ。」P125
⇒日露戦争のロシア捕虜と松山市の赤十字社看護婦の竹場ナカが恋に落ちた話は有名。「マツヤマに行こう」が敵であったロシア兵の合言葉でもありました。
小中学生に贈る 語り伝えたい美しい日本の姿 エピソード2
https://youtu.be/f3yo6IA-Lts?t=4m39s

「じゃ、ついでにもう1つ教えて頂こうか。イギリスや、アメリカや、ロシアや、フランスや、そういった国は侵略者じゃないのかね・・・日本一国を眼の敵にして・・・」P231
⇒欧米の植民地支配を非難せず、日本のみを侵略者として非難するのは間違いだと当時も多くの支那人が考えていた事がうかがえます。

「激流が巨巌にぶつかって飛沫を揚げるように、退却軍の前面、側面に陣していた督戦隊の機関銃は一斉に猛烈な火を吹き、雨霰と銃弾を浴びせかけてきたのである。見る間に屍体の山が築かれた。が、それでも後から後からと押してくる退却軍の流れは止まない。屍体の山は段々高くなっていった。そして遂に、その激流を阻止したのだった。」P254
⇒支那人の犠牲者は、日本軍の攻撃よりも味方の兵士の蛮行と督戦隊によるものの方が多かったことが推測できます。







この記事を拡散したいと思ったら、応援クリックお願いします m(_ _)m


国際政治・外交 ブログランキングへ



★ ★↑↑ 記事はここまで ↑↑★ ★



■やはり、英語は英単語をたくさん暗記しないと実用では使えません■

これまで色々と英語をマスターしようと頑張ってきた人なら共感してもらえると思いますが、英語を実際に使えるかは、どのくらい英単語を知っているかで決まりますよね。

ここでご紹介する英単語記憶法は、東京大学の元医学博士が開発した「ミリオン・ボキャメモリー」という方法で、これまでのような長い時間をかけて暗記しなければならない大量の英単語を「短時間で効率的に覚える」学習方法です。

下記のサイトに、この超効率的な英単語記憶法を解説したサンプル動画がありますので、その驚異的な英単語記憶法を体験してみてください。
この動画を一度見るだけでも、そこで解説されている英単語が何のストレスもなく覚えてしまうのを実感できると思います。

>>ミリオン・ボキャメモリーの詳細はここをクリック<<
※購入後、気に入らなければ購入日から120日以内であれば無条件で代金は返却してもらえます。






関連記事

0 Comments

Post a comment