【韓国の近代史】 保導連盟事件が残した癒えない傷跡 韓国軍が韓国人を100万人処刑? "韓国史最大タブー"の教訓


英語力は国際発言力です★英語は英単語をたくさん暗記しないと実用では使えません

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■首都ソウルの地政学的リスク

ソウルでは数年前からマンションの建設ラッシュが起きています。販売価格は東京のマンションの2~3倍。そんな高額物件が次々と売れるというのですから驚きです。

ソウルは北朝鮮に近接しており、地政学的に極めて危険な都市です。北緯38度線の南北軍事境界線付近には、北朝鮮軍の長距離砲など300門以上がソウルを標的にしており、これらが一斉に火を吹けば、ソウル市民100万人に死傷者が出るといわれています。

それでも、ソウル市民は市内に高額なマンションを買い、そこに資産を形成します。ちなみに、保険会社は戦争で家屋が損傷を受けても保険金を支払いません。どの国でも、戦争は保険金支払いの免責事由となっています。

戦闘が始まれば、朝鮮戦争の時のように、漢江の橋を落とし、漢江を防衛線にする戦略をとることが想定されます。そうなれば、また、ソウル市民はどこへも逃げることができません。

韓国では、首都を南に移すことも検討されました。朴槿恵前大統領の父の朴正煕大統領は1970年代、首都移転構想を打ち出します。これは実現しませんでしたが、その後、盧武鉉大統領がソウルの南東120キロの地に「世宗市」を建設し、ここを新しい首都にしようとしました。

しかし、保守派の反対や2004年に出された憲法裁判所の首都移転違憲判決により、遷都計画は頓挫しました。

■スケープゴート探しの果てに

1950年6月25日、朝鮮戦争の開始から1週間で、韓国は政府を釜山へ移します。李承晩大統領ら政府は国民を見捨てて、ひたすら逃げるのみでした。無為無策の韓国政府に対し、国民の批判と怒りが沸き起こります。

政府はこれらをかわすため、スケープゴートを探し、とんでもないことを始めました。韓国現代史の最大のタブーとされる保導連盟員の大量処刑(保導連盟事件)です。政府は、韓国軍が北朝鮮軍に簡単に敗退するのは韓国民の中に北朝鮮と内通するスパイがいるからだ、と喧伝しました。


保導連盟とは共産主義からの転向者や政治犯、その家族らを再教育するために加盟させた組織で、いわば政府に批判的な人々をリストアップした集団でした。その中には、配給がスムーズになるという理由で、貧困層や素行不良な一般市民も多く含まれていました。

李承晩は「ブラック・リスト」に載っている彼らをスパイと決め付け、軍や警察に処刑するよう命じました。反対派を恐怖政治によって黙らせ、政府の失態をスパイの責任にしてしまおうという魂胆でした。

このとき、多数の保導連盟員が韓国全土で処刑されました。保導連盟事件の犠牲者数には諸説ありますが、この事件の遺族会にあたる「全国血虐殺者遺族会」は114万人が処刑されたと主張。

韓国政府の「真実・和解のための過去史整理委員会」を率いた歴史学者の金東椿氏は少なくとも6万人から11万人、朝鮮戦争研究の第一人者である延世大学の朴明林教授は、1950年だけで20万人が処刑された可能性があるとみています。

いずれにせよ、朝鮮戦争で犠牲になった韓国の民間人の相当部分が、北朝鮮軍によって殺されたのではなく、自国の政府によって殺されたことを忘れてはならないでしょう。(金東椿氏は、北朝鮮軍がのちに国連軍によって北へと押し戻される際、同様の規模で「南の協力者」の集団処刑を行ったとも推測しています)

この大量処刑で、政府批判はピタリと静まります。政府にとって、この措置は極めて効果的であったのです。

危機は敵・味方区別なく、あらゆる存在を「脅威」に変えてしまいます。脅威が脅威を呼ぶ負の連鎖の中で冤罪(えんざい)が巻き起こり、必然的に、多くの犠牲者が発生します。

■ようやく応援のアメリカ軍が来たが……

韓国政府が釜山へ移った7月2日以降、待ちに待ったアメリカ軍の部隊投入が始まります。「アメリカ軍が来ればもう安心だ」と李承晩は手放しで喜んだといいます。

ところが、アメリカ軍は士気の高かった北朝鮮軍に各地で敗退しました。アメリカ軍では第2次世界大戦の終結時に多くのベテラン軍人が退役しており、急ごしらえの実戦経験のない部隊が編入され、士気も低かったのです。

アメリカ軍は大田(テジョン、韓国中部の都市)で大敗すると、釜山まで撤退します。その際、北朝鮮軍によりアメリカ兵捕虜が虐殺される「303高地の虐殺」が起きています。北朝鮮の金日成は、「解放記念日」の8月15日までに釜山を陥落させて朝鮮半島を統一すべし、と声明を発表します。

焦った李承晩は日本の山口県に亡命政府を受け入れてもらうよう、日本と交渉を始めています。大の日本嫌いであったにもかかわらず、日本に助けを求めたのですから、まさに恥も外聞もありません。

しかし、当初は敗退し続けていたアメリカ軍も、釜山近郊でようやく北朝鮮軍を押し返しはじめました。「アメリカに助けてもらう」という李承晩のもくろみは、何とかギリギリのところで達成されたのです。

2017.7.30
http://president.jp/articles/-/22707




■朝鮮戦争の勃発までの・・・ 詳細年表 ■

★韓国の李承晩大統領が、日本へ侵攻するために全韓国軍を韓国南部に移動させた。
その空きを突いて北朝鮮が南進したのが朝鮮戦争の始まり★


1945年10月:南朝鮮に大韓民国臨時政府、臨時大統領に李承晩が就任。
1946年9月:李承晩による反米運動が全土で盛んになる。進駐米軍は早く出て行けと撤退を要求。
1948年8月:大韓民国の建国。李承晩大統領は米国から1949年6月までに米軍完全撤退を勝ち取る。
1948年8月:李承晩大統領、「対馬島返還を日本に要求」 軍事武力行使を示し日本に叩き付ける。
1948年9月:反米運動の中で追い出されるように米軍撤退作業開始~10ヶ月間で完全撤収。
1949年1月:李承晩は政府樹立直後の新年記者会見で日本に対馬島返還を要求。軍事侵攻をも表明。
1949年2月:韓国軍は一斉に対馬から40kmの釜山港に集結開始(南部へ韓国軍大移動)
1949年3月:韓国軍は釜山で揚陸訓練開始。韓国にいたアメリカ陸軍第24軍が対馬上陸の訓練で、
        日本侵攻の演習と知り、釜山の軍事演習にマッカーサーとトルーマン大統領が激怒。

1949年4月:上記理由で、激怒した米英が国連安保理で韓国の国連加盟容認から一転して、韓国加盟を否決。
1949年5月:上記理由で、マッカーサーが韓国李政権への軍事物資援助を全て停止。
1949年6月:アメリカ第24軍本体が本国に撤退 韓国には国連監視団500名のみ残し引き上げ。
        韓国は防衛上の後ろ盾を失う。

1950年1月:米国務長官が“アチソンライン”を示し米軍は韓国に関与しない、韓国を切り捨てると宣言。
1950年1月:名ばかりの米韓軍事援助相互協定を調印。韓国側は軍事支援強化を求めるが米国は拒否。
        理由は韓国の北進を防ぎ、韓国の日本への侵攻防止、ソ連との約束で韓国に兵器を拒否した。

1950年6月:再び、李承晩が"対馬島と北九州"への軍事侵攻に韓国全軍を南部へ移動指示、釜山港に集結開始。
1950年6月10日:北朝鮮大機動演習を開始。全師団が南国境地帯で演習移動しているが、米国は韓国に知らせず。
1950年6月17日:韓国軍が釜山にぞくぞく集結。全軍が釜山港に集結。対馬と北九州侵攻準備で北国境はスカスカ。
1950年6月:スターリンが米国に何度も問い合わせ。米軍はソ連と交戦はしない。朝鮮半島は米国の守備範囲でない。
        米軍は存在しない。アチソン国務長官が正式外交ルートで「朝鮮半島は米国の守備範囲でない」と声明を出す。

1950年6月22日:国境がスカスカとなり北朝鮮軍最高司令官金日成が全面的南進作戦命令を発する。
 








■朝鮮戦争での李承晩と金日成…臆病者の典型的な朝鮮人■

朝鮮戦争で、李承晩は、北朝鮮の侵攻直後から逃げてばかりで、 北朝鮮軍がまだ、ソウル近郊にも達してないのに釜山近くまで逃げて行方不明状態になり、 途中の太田付近で米軍の少尉に説教を食らうと、韓国軍の指揮権を米軍に委譲すると言って、さらに列車で逃走w

安全で敵も遠かった釜山近郊でも、すぐそばで、米軍の大砲の試射音がしただけで、 李承晩は顔色を変えて日本に行くと言い張り出して、アメリカの大佐から、あんたの部下は戦ってるよと長々と小言を言われたw

日本にいたマッカーサーも呆れ果てて、何があっても日本には上陸させないと打電。
(それに対して、李承晩は北九州がダメなら、島根、鳥取でも良いとアホな返電w)

金日成も、米軍の仁川上陸に慌てまくり、まだ、平壌から米軍は遠いのに、 中国国境まで不眠不休で逃げて逃げて逃げまくり、
国境線で鉢合わせした中国軍司令官の膨徳懐に、列車から引きずり降ろされてビンタ3発食らった。

さらに、膨徳懐に、 「もう、戦ってるのは中国兵だけだから、我々の戦争だ。お前は命令書に名前だけ書いてろっ」 と一喝されて指揮権を剥奪され、それに「ええ、同志に任せます」とへつらって従った。

開戦直後から、南北ともに軍最高司令官が逃げ出し、指揮権を奪われた屈辱民族www

両方とも、実際に見た人達の証言が中国・ソ連、米国それぞれに残っているので、 疑いようのない「史実」w



■武器を放棄して逃げまくる韓国軍■

朝鮮戦争の戦史なら、必ず出てくるけど、李承晩が韓国軍が弱いのは連合軍、米軍が新式の装備をくれないからだ、 同じものをくれれば米軍よりも強いと言い張って、マッカーサーに直訴、 他の米軍将軍らが猛反対したが、米軍の一般部隊よりも装備は良かった。

韓国軍は供与された新品の戦車、装甲車、自走砲、対空機関砲、野砲、無反動砲、重機関銃、迫撃砲、バズーカ、小銃拳銃、それら弾薬ともどもすべてを遺棄して、 大半の新品トラックも置き去りで逃走、

毎度毎度、チャルメラだけで潰走して、最新式の武器弾薬を中国軍に献上、 それで、後半戦の中国軍は俄然、戦闘能力が上がり、特に野砲、無反動砲で米軍を駆逐することが増えた。

もの凄い量の韓国軍の遺棄武器弾薬で、それがなかったら、中国軍は休戦時期に頑張れなかったのは事実。

最前線の米軍の大佐や大尉が切れて、何度か李承晩を大統領府から襟首を掴んで引きずり出し、 韓国軍の前で、 「外国人が戦って、肝心の韓国人は逃げてばかり、おかしいとは思わないのか」と演説させた。

それでも相変わらず逃げるので、遂に韓国師団は解体されて、米英師団に吸収され、 韓国兵は雑用にだけ専念させることになった。


■物乞いに成り済まして逃亡する韓国軍の将軍たち■

朝鮮戦争のとき、中共軍と北朝鮮軍は韓国軍だけを狙った。いい獲物だったからだ。
1951年の敵による春季攻勢では、中共軍の小部隊が韓国軍3個師団の後方にある峠道を1本占領したところ、たちまち数万人の大部隊が浮き足立った

将軍たちは物乞いに成り済まして逃亡した。米軍の指揮官があきれ返り、韓国軍の軍団長に「あなたの軍団はどこにいるのか」と尋ねたところ、軍団長は「知らない」と答えた。恥ずかしいという言葉ですら、表現し尽くせない

そのとき中共軍に捕らえられた数万人の韓国軍捕虜が、端が見えないほど長い列を作っている写真を見た。「今は違う」と、幾度も自分に言い聞かせた。しかし現在の状況は、果たして韓国軍の本質がその当時とは違うのか、と問い掛けている。
また、韓国国民本質がその当時とは違うのか、と問い掛けている

http://www.chosunonline.com/news/20101205000023

★古代から現代まで、いつの時代も「臆病者」で「卑怯者」だねw…万年属国民族





■「韓国守る必要なし」トランプ氏に喝采送る米有権者 ★朝鮮戦争で「敵前逃亡」ばかりしていた韓国軍に“根深い”不信■

トランプ氏の身勝手にもみえる発言の裏には、朝鮮戦争で「自分たちの戦争」を米国に押し つけ、敵前逃亡だらけの韓国軍イメージがトランプにあるからだ。当時を知る米国人の間にも、また陸軍士官学生にも浸透している事情があるからだ。

トランプは中高校は6年間全寮制「陸軍幼年学校」→ フォーダム大学2年間→ 転校 ペンシルベニア大学(不動産科)2年間

"マシュー・リッジウェイ将軍"の「THE KOREAN WAR」著書は陸軍幼年学校の教科書でもあった。

トランプ氏は中高校6年間を全寮制「陸軍幼年学校」で、陸軍の名将と言われる"マシュー・リッジウェイ将軍"の陸軍教本を学んでおり、朝鮮戦争で韓国軍が次々と裏切るなかで苦労しながら部下をどのように指揮して戦ったかも知っているのだ。

朝鮮戦争で米軍中心の国連軍を率いたマシュー・リッジウェイ将軍の、困難な“朝鮮戦争後半戦”をしのいだ名将は

◆◆◆自著「THE KOREAN WAR」(日本語版・恒文社)◆◆◆

で、韓国軍のありのままの姿を描写している。


★⇒「韓国軍の態度だけが私の悩みだった。進撃する中国軍は韓国軍部隊を次々と敗走させ、そのたび韓国軍は補充困難な、高価な多数の(米国供与の)装備を放棄した」。

★中国軍の攻勢に韓国軍が「戦線の遙か後方まで駆逐され」た。そして「退却する韓国軍が放棄した装備は、肩をすくめるだけで済むものではなかった。それは完全装備の数個師団を充分に装備できた」と嘆いている。
武器を放り出して敵前逃亡するのは韓国軍の常だった

★リッジウェイによれば「李承晩大統領の第一の課題は、彼の軍隊に充分な統率力を確立することであった」が、李大統領自身が、戦争勃発時に民衆や軍を置き去りにして韓国南部へ逃走を続けた人物だ。そんな最高司令官に倣ったのか、韓国軍の敵前逃亡癖はなおらなかった。逃げる上司と、逃げる部下…。

2年前のセウォル号沈没事件を彷彿させる。

★誰より韓国軍を弱兵と見下し軽蔑していたのは中国軍だった。戦線に突破口を開こうとする際、中国軍は、英軍やトルコ軍、米軍の担当戦線区域ではなく、常に韓国軍の担当区域を攻撃し、もくろみ通り韓国軍は総崩れとなった。リッジウェイによれば「韓国軍1個師団の崩壊によって、他の国連軍部隊の各側面が危険にさらされ、彼らもまた後退を余儀なくされた」。

リッジウェイは「第一線から全ての韓国師団を引き上げ、訓練する時間が必要」と結論づけている。
こんな戦いぶりが3年以上続き、ようやく中国・北朝鮮軍と国連軍の間で停戦交渉が結ばれようとしたとき、李承晩は、“反乱”を起こす。停戦の前提条件のひとつだった捕虜交換を阻止するため、収容所の看守に捕虜釈放を命じ、北朝鮮軍捕虜を市中に解き放ったのだ。反日かつ反共だった李承晩は、朝鮮半島全土が韓国のもの、つまり自分のものになるまで戦争を続けるよう望んだ。

国連軍参加各国の態度ははっきりしていた。その声をまとめれば「そんなに戦争を続けたいなら、あなたたちだけでやりなさい」。
第二次大戦を戦い抜いてわずか5年後、地の果ての極東で小国の内戦に縛り付けられる理由がどこにあるのか。
国連軍は予定通り停戦協定を結び、日本統治も含め極東の安定に責任を持つ米軍を除いて韓国を去った。
2013年、韓国紙の中央日報はこの捕虜釈放について「李承晩は韓国の単独行動でいくらでも停戦体制を崩すことができるという点を世界に知らせた」と、李承晩の“外交力”を肯定的に評価している。
こういった「韓国は常に正しい」式の見立ては韓国以外では通用しない。

★リッジウェイは、日本ではダグラス・マッカーサーほど知名度は高くないが、米国では「最高の軍人」との評価が確定している。
朝鮮戦争当時、中国軍の人海戦術に押され士気阻喪した米第8軍を戦闘集団としてよみがえらせた手腕は、米陸軍で統率(リーダーシップ)の手本として今も信奉されるとともに、一般のビジネス書にも組織運営の理想として取り上げられている。
そのリッジウェイの著書によって、多くの米国民が、「本当の朝鮮戦争」を知っているのだ。
そして、上官と部下が揃って逃げる韓国軍の実態も-。





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