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40年間で100億本の木を植えた韓国に世界が賛辞…

■1.李朝朝鮮の飢餓地獄■

 本誌55号では、北朝鮮の悲惨な食糧事情により、年間数十万人規
模の餓死者が出ているという推計を紹介した。しかし朝鮮半島での
飢餓地獄は今に始まった事ではなく、19世紀の李朝時代も同様だ
った。


 たとえばフランス人宣教師シャルル・ダレの遺した「朝鮮事情」
には、次のような記述がある。

 1871年から、1872年にかけて、驚くべき飢餓が朝鮮半島を襲
い、国土は荒廃した。あまりの酷さに、西海岸の人々のなかに
は、娘を中国人の密航業者に一人当たり米一升で売るものもい
た。
北方の国境の森林を越えて遼東半島にたどり着いた何人か
の朝鮮人は、惨たらしい国状を絵に描いて宣教師達に示し、
「どこの道にも死体が転がっている」と訴えた。

 しかし、そんなときでさえ、朝鮮国王は、中国や日本からの
食料買入れを許すよりも、むしろ国民の半数が死んでいくのを
放置しておく道を選んだ。[1,p64]

 まさに現在の金正日政権とそっくりだ。こういう次第であったか
ら、李朝時代の朝鮮では人口はほとんど増加しなかった。1753年の
730万人が、百年後の1850年でも、750万人になったに過ぎない。こ
れが当時の農業生産で養える上限だったのであろう。


■2.20年間で倍増の人口爆発■

 朝鮮半島が急激な人口増加を迎えるのは、20世紀に入ってからで
ある。1906年(明治39年)からの20年間で、980万人から、1,8
66万人と倍増した。さらに1938年には、2,400万人となった。日韓
併合時代である。[1,p29]

 この人口増加の原因としては、いくつかの要因がある。一つは第
6代宇垣一成総督による「農産漁村振興運動」などの民生向上活動
である。30年で内地(日本)の生活水準に追いつく事を目標に、
農村植林、水田開拓などの積極的な国土開発による食料の増産が図
られた。併合当初米の生産量が約1千万石であったのが、20年後
の昭和に入ると、2千万石へと倍増した。[1,p80]

 もう一つは医療制度の確立、特に伝染病の予防である。1910年か
ら徹底的な検疫を実施し、コレラ、天然痘、ペストなどは、1918年
から20年の大流行を最後に押さえ込まれ、乳児死亡率が激減した。

 さらにインド、中国から朝鮮にかけて猛威を振るっていたハンセ
ン病退治のための救ライ事業として、世界的規模と質を誇る小鹿島
更正園を作って、6千人以上もの患者を収容している。[1,p85-86]

 農村振興は、終戦後も朴正熙大統領のセマウル運動として続けら
れる。宇垣総督の秘書役であった鎌田澤一郎氏が、その経験を買わ
れて何度も朴大統領に呼ばれ、アドバイスをしている。[2,p44]

 北朝鮮が現政権から解放された暁には、日本も援助をして、この
ような農村振興をもう一度やり直さねばならないだろう。日韓併合
時代にどのような国土開発事業を行って、朝鮮半島の民生向上に成
功したのか、今のうちに研究しておく必要がある。


■3.植林、河川・砂防工事、ダム建設、、、■

 李朝時代の飢餓の一因は、現在の北朝鮮と同様、森林破壊にあっ
た。定住しない焼き畑農民は、山林を焼き払い、一定期間耕作する
と、他へ移ってしまう。さらに、冬季の薪需要のための乱伐。そこ
に豪雨が来れば、表土は流出し、禿げ山となってしまう。


 1885年にソウルから北朝鮮を徒歩で踏破した旅行者は次のような
旅行記を残している。

どこまでいっても禿げ山と赤土ばかりで、草も全て燃料のた
めに刈り取られている。
山地が痩せていて、昨年も沢山の餓死者が出た。
ここは退屈極まりない土地で、山は禿げ山、植生はほとんど
見られない。
 


森林は緑のダムである。森林がなくなれば、降れば洪水、降らね
ば干ばつとなって、農業生産は崩壊する。治水の前に治山が必要と
いうのが、寺内初代総督の方針であった。朝鮮総督府は1911年から
の30年間で、5億9千万本の植林を行った。朝鮮全人口の一人あ
たり約25本という膨大な数である。[1,p114]

 内村鑑三の日記には、ある朝鮮人から日本人が毎年沢山の有用樹
木の苗木を植えていることを感謝する手紙をもらって非常にうれし
かったと書いている。[2,p39]

 植林事業と平行して、洪水予防と灌漑のための全国的な河川事業、
日本国内にもなかった17万キロワット級のいくつもの巨大水力発
電所建設、15万ヘクタール以上もの砂防工事等々、大規模かつ総
合的な国土開発事業が展開された。

 これらの結果、水田開発が進み、明治43年の84万町歩が、昭
和3年ごろには162万町歩と倍増した。[1,p108]


■4.きめこまかな農民保護政策■

 こうした大規模な国土開発とともに、きめこまかな民生安定化の
施策がとられた。宇垣総督時代には、当時8割を占めた小作農の生
活を安定させるため、朝鮮農地令を実施して小作権を確立し、税制
を整理して、負担を軽くした。さらに低利資金を融通して高利債務
を返還させ、多角農業主義により綿花栽培や山羊飼育を奨励した。
[3,p414]

 また従来、朝鮮農民が見捨てていたような不毛の地に入植して、
開墾する日系移民も約3,800戸あった。
これらの移住農民が、米の
改良品種、新農法を持ち込み、養豚、養鶏、養蚕などの多角経営を
図り、また厳冬にも家族ぐるみで副業に励む姿を見せた。日系農家
の自力更正が、朝鮮農民の意識改革に大きな役割を果たしたのであ
る。[1,p153]

 興味深い事に、米作保護のために、現在の日本と同様の逆ざや価
格政策がとられた。昭和18年の生産者の手取り価格は生産奨励金
なども含めると一石62円50銭、消費者価格は43円、この逆ざ
やは政府が負担していた。

 農業生産が軌道に乗ると、日本への輸出が急成長した。併合当時
わずか11万石だったのが、昭和3年には760万石までになった。
これは日本の農家を圧迫し、日本政府は朝鮮米の輸入制限を図ろう
とするが、総督府は徹底的にこれに反対して、朝鮮農民を守った。
[3,p414]

 朝鮮経済の保護育成政策は、関税制度にも明らかである。朝鮮か
ら日本に輸出されるものは免税だが、輸入は移入税を課した。後進
国が自国の産業育成を図るときに、輸入関税で保護するというのは、
常套手段だが、日本は朝鮮経済に対して、これを適用したのである。


ちなみに当時の日本人の土地所有は1割程度なので、総督府の農
業保護の恩恵の9割は、朝鮮農民が受けたと言える。また治山治水
事業での労働に対しては、作業者に日当が支払われている。これは
李朝時代には無かった事である。


■5.開発をささえた資金源は■
 

こうした膨大な開発投資、産業保護を可能にした資本はどこから
出てきたのだろうか。

 宇垣総督時代の総督府予算は昭和5年で、約2億円の規模であっ
た。それに対し、朝鮮内部の税収は5千万円程度。日本の政府予算
(すなわち日本国民の税金)から、毎年千数百万円から2千万円の
規模の補填がなされた。この予算獲得のため、総督府の関係者が帝
国議会や大蔵省の説得に奔走したというから、官僚の世界は今も昔
も変わりない。それでも足りない分は、日本の金融市場から集めた
公債によってまかなわれた。[1,p142]

 ちなみに大英帝国支配下のインドでは、その予算の1/3を国防
費の名目で、イギリスに納めていた。それにも関わらず、第2次大
戦で徴集した264万人のインド兵の費用は、イギリス人将校の給
料も含めて、インド自身に負担させていたという。[1,p179]

 朝鮮総督府の事業は、その他にも教育の普及、工業発展など多く
の面にわたる。その投資は、結果的に見れば、すべて日本からの持
ち出しで、我が国の経済に大きな負担となった。

しかし戦後の韓国は、このインフラを踏み台に、自由民主主義国
として発展した。外交面での摩擦は続いているが、台湾とともに、
ある程度豊かな自由民主主義国家が近隣にあるということは、我が
国の現在の国益からみても、計り知れない価値を持つ。

■6.食料危機対応のモデルケース■

 北朝鮮が金日成政権から解放されたら、飢餓地獄から北朝鮮国民
を救うべく、朝鮮総督府が行った国土開発事業をもう一度、始めか
らやり直さねばならないだろう。費用の問題は別として、そのモデ
ルは、朝鮮総督府によって示されたと言って良いであろう。

 実はこの国土開発の方法は、朝鮮総督府の独創ではなく、我が国
江戸時代に、上杉鷹山公(米沢藩藩主)、恩田木工(信州松代藩)、
二宮尊徳などが行った農村振興を発展させたものだ。それは西洋的
な自然征服ではなく、治山治水を通じて、自然と共生しつつ、農業
生産の向上を図るという、優れたエコロジー的発想なのである。

 環境破壊による食糧危機は、北朝鮮だけではない。中国の最近の
洪水被害も国土破壊の結果であり、いよいよ食料自給が困難になっ
てきている。中国が食料輸入国に転落すれば、現在の国際食料価格
が急騰し、アジア、アフリカ、南米などにも飢餓が広まろう。そう
した視点から見れば、朝鮮総督府による国土開発事業の世界史的な
成功は、貴重なモデルケースとなるはずである。



http://www2s.biglobe.ne.jp/%257Enippon/jogbd_h10_2/jog056.html




しかし 朝鮮人はこんなこと言ってます…




40年間で100億本の木を植えた韓国に世界が賛辞


彼の事務室のドアを開けた瞬間、森のにおいが押し寄せる。壁には壁紙の代わりに五葉松の板材が、事務空間には鉄製やプラスチック什器ではない木材用品が見える。チェ・ワンヨン山林科学院長(58)の事務室だ。快適な空間で働いているが、彼はこのごろ23日、ソウルで開幕する第23回世界山林科学大会準備で目が回るほど忙しいと言った。

「過去40年間、100億本の木を植えて坊主の山を豊かな山にした韓国の成果に世界が賛辞を送っています」

山林の未来に対するアイディアが総集結する場が韓国で用意されたことはこうした背景のためだと言った。

--韓国は山林分野でほかの国に比べて進んでいるのか。

解放直後、韓国の山はヘクタール当たりの木の量が9立方メートルにすぎないほどにはげ山だった。戦争でさらにひどくなったが、今は1ヘクタールあたり103立法メートルと12倍に増えた。国連食糧農業機構(FAO)は韓国を早期緑化成功模範国に指定し、発展途上国再造林モデルとして提示している」

--韓国の山林は経済性が落ちるという指摘もある。

「長く飢えた人に脂っこい食べ物を食べさせれば消化させることができない。山も同じではげ山に生き残れる数種を選択してみると現在の山林生態系が形成された。これからは数種を入れ替えていく段階だ」

--気候変化と低炭素が話題だ。森はどんな役割をするのか。

「木は地球上で唯一、二酸化炭素を保存する役割をする。木をエネルギー源に使えば元々の木が保存した炭素を排出するだけだ。また木で家を建てればその家が炭素を排出せず、長い間蓄積する役割もする。すべての炭素低減活動は費用がかかるが、森を育てることは金を稼ぎながら炭素を減らせる唯一の方法だ」

--ソウル総会の特徴は。

「110カ国から4300人の山林・環境・経済専門家と政府閣僚たちが出席する。今回は歴代最多人員が出席する。昨年ノーベル経済学賞の受賞者であるエリナー・オストロム米インディアナ大学教授と熱帯林保護の権威者であるピーター・アシュトン ハーバード大教授らがテーマ発表をする。参加者らは全員、韓国の森と伝統文化を体験する学術旅行をする予定だ」


http://japanese.joins.com/article/972/131972.html?sectcode=&servcode=


40年間で100億本の植樹をしたそうです!

365日一日も休まずに植林しても、

一日あたり68万5千本植えた計算ですね(爆笑)

24時間 休まずに植林しても、
一時間あたり2万8千500本植えた事になります。

24時間 休まずに植林しても、
1秒あたり8本植えたそうです(爆笑)


こんなウソを平然と記事にするのが朝鮮人です。





本当は、日本の植民地当時、日本人が朝鮮のハゲ山に植林しても

焚き木にするために朝鮮人がすぐに抜き取ってしまったそうです。


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無題

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