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【この本 読むべし】 英国スパイ物語 (中公選書) 単行本

英国スパイ物語 (中公選書) 単行本 2018/2/21








内容紹介

 ボーア戦争からはじまるイギリスの20世紀は、二つの世界大戦とロシア革命への対応を柱に、一大情報戦争の時代でもあった。それを現場で担った情報機関と、闇にかくされたスパイの群像を多くの史料をもとに、本書は詳しく追っていく。 

敵の組織に潜入して情報を得るために彼らが行った手法の数々、相手を欺くため周到な準備のうえに行われた大がかりな秘密作戦の全貌。それらは敵の行動原理と指導者の心理を読み切ったうえで展開される息づまるドラマであり、本書にて縦横に描かれる。 

そして、一筋縄ではいかない二重スパイの群像、情報戦に欠かせない暗号解読者たち。飛び抜けた能力と行動力、エキセントリックともいえる奇妙な人間性を宿した彼らの実像は、戦争と革命の時代を背景に、本書で次々と明らかにされていく。 
相手国(ソ連、ナチスドイツ)のスパイや治安組織との暗闘にも筆が割かれており、本書はまさに、特異な20世紀裏面史といえるだろう。


内容(「BOOK」データベースより)

英国情報組織の生成発展のドラマを描きながら、能力と魅力あふれるスパイ、二重スパイたちの活動を、二度の世界大戦とロシア革命期を中心に活写。相手国(ソ連、ナチス・ドイツ)のスパイや治安組織との暗闘にも筆が割かれており、加えて、暗号解読のスリリングな事情などに記述は及ぶ。本書はまさに、特異な二〇世紀裏面史といえるだろう。


著者について

一九四二年、北海道生まれ。北海道大学文学部卒業、東京都立大学大学院修了、社会学博士(一橋大学)。ロンドン大学、ケンブリッジ大学、マドリード大学客員研究員などを歴任。一九七七年より法政大学教授。現在、法政大学名誉教授。主要著書に『スペイン:未完の現代史』『スペイン通信:自由への闘い』『スペイン国際旅団の青春』『紳士の国のインテリジェンス』ほかがある。武道家(合気道六段、居合道四段、杖道三段)としても活躍。




ボーア戦争から第二次世界大戦までの英国情報史

ボーア戦争におけるロバート・ベーデン=パウエル陸軍大佐(のちにボーイ・スカウトを設立する)の活躍から、第二次世界大戦中のダブル・クロス・システムまでの、英国情報コミュニティの歴史を述べたノンフィクション。

川成洋氏は1942年に北海道で生まれた。1966年に北海道大学文学部を卒業。1969年に東京都立大学英文学専攻大学院修士課程を修了。ロンドン大学、ケンブリッジ大学、マドリード大学の客員研究員を歴任。1977年に法政大学理工学部教授となった。2003年に『スペイン内戦を戦ったイギリス人義勇兵の研究――ケンブリッジの若き文士たちを中心にして』で一橋大学から社会学博士号を取得。2013年に法政大学を定年退職し、名誉教授となった。スペイン内戦関係をはじめ著書多数。

スペイン内戦は欧州の内戦としてはロシア内戦に次いで凄惨であったといわれるが、その裏側で繰り広げられた諜報戦も熾烈を極めた。国民派は軍事情報・警察機関(SIPM)、共和派は軍事調査機関(SIM)を設立して同胞相食んだ。国民派の背後ではドイツやイタリア、共和派の背後ではソ連のスパイたちが暗躍した。

ドイツ国防軍最高司令部(OKW)のアプヴェール長官ヴィルヘルム・フランツ・カナリス提督は、元ベルリン駐在スペイン大使館付き武官で右派軍閥のスペイン軍人同盟(UME)の一員であるホアン・ルイス・ベイグベデル・イ・アティエンサ陸軍大佐と早い段階から接触し、UMEがクー・デターを起こした際の支援を要請されていた。1936年7月25日にアドルフ・ヒトラーが招集した会議でカナリスは国民派を支援すべしと主張し、イタリア情報機関と調整しながら軍事援助を推進し、フランシスコ・フランコ・イ・バアモンデ総統の個人的信頼を得た(のちにカナリスは反ヒトラー派に転じて処刑されるが、第二次世界大戦後にフランコはカナリスの遺族をスペインで保護している)。

カナリスはヴィルヘルム・ライスナー海軍少佐の指揮下に外哨を設置した(ライスナーは「グスタフ・レンツ陸軍大佐」と名乗ったので、「レンツ局」と呼ばれた)。秘密国家警察(ゲシュタポ)は、ヒトラーがスペインに派遣した義勇軍「コンドル兵団」に秘密野戦警察(GFP)を随行させた。一方、ソ連内務人民委員部(NKVD)のアレクサンドル・ミハイロヴィッチ・オルロフは通商代表部員に偽装してスペインに派遣され、共和派を支援するとともに、共和派内の反スターリン勢力を粛清し、世界55か国から馳せ参じた約4万人の義勇兵たちから工作員を徴募した(オルロフ自身がのちに粛清を恐れて米国に逃亡する)。

赤軍参謀本部情報総局(GRU)長官ヤン・カルロヴィッチ・ベルジン陸軍大将は「グリシン」「スタリク」などと名乗って共和派の首席軍事顧問を務めた(帰国後粛清される)。NKVDの「ウォルター・クリヴィッキー」ことサミュエル・ギンスブルグは「マルチン・レスナー博士」と名乗ってハーグに派遣され、パリ、チューリッヒ、ロンドン、ワルシャワ、コペンハーゲン、アムステルダムに貿易会社を設立して武器調達と募兵を行った(のちに西側に亡命するが、ワシントンで暗殺される)。アプヴェールは「レスナー博士」の組織に工作員を浸透させて欠陥兵器をつかませようとした。

このようにスペイン内戦の裏側で展開された苛酷な諜報戦が、川成氏をしてスパイに興味を抱かせたのではなかろうか。川成氏のスパイ関係の著書には『紳士の国のインテリジェンス』(集英社、2007年)があり、また訳書にリチャード・プラット『スパイ』(同朋舎、1998年)、『スパイ事典』(あすなろ書房、2008年)がある。



本書は、まえがき、第一章~第八章、あとがき、参考文献、註からなっている。
第一章では、ベーデン=パウエルの活躍と秘密業務局(SSB)の創設について述べている。
第二章では、第一次世界大戦中の活動について述べている。
第三章では、ロシア革命で活躍した英国スパイについて述べている。
第四章では、海軍情報部第25課(ID25)――通称「四十号室」――と政府符号・暗号学校(GC&CS)について述べている。
第五章では、第二次世界大戦中の活動について述べている。ただ、カナリスがSISに内通していたことには触れていない。
第六章では、英国保安機関(SS)が運営した二重スパイたちについて述べている。
第七章では、連合軍がシチリア島でなくギリシャに上陸するとドイツ軍に信じ込ませるために、将校のそれに見せかけた死体に偽の書簡を持たせてスペイン沖に流す「ミンスミート作戦」について述べている。
第八章では、連合軍がノルマンディーではなくパ・ド・カレーに上陸するとドイツ軍に信じ込ませるために、二重スパイたちをいかに活用したかを述べている。

参考文献では、註で取り上げているもの以外の37点の文献を紹介している。
註では出典を明らかにしている。近年出版された文献が多く、本書が最新の研究成果を反映していると分かる。ただ、英語に精通しているはずの川成氏なのに、出典のほとんどは日本語書籍だ。

フランシス・ウォルシンガム卿から第二次世界大戦後までの英国情報コミュニティの歴史については、奥田康弘『国家戦略とインテリジェンス いま日本がイギリスから学ぶべきこと』(PHP研究所、2011年)が詳しい。

SIS創立100周年記念事業として、クイーンズ大学ベルファスト校英国史教授キース・ジェフリーがSIS公文書館の記録に基づいて執筆した『MI6秘録 イギリス秘密情報部1909―1949(上)(下)』(筑摩書房、2013年)は、SISの正史といえる。

SISの創設からポスト冷戦期までについては、小谷賢「SIS(MI6)はどのように変遷してきたのか」(『軍事研究』2007年3月号別冊『ワールド・インテリジェンス Vol.5 特集 イギリス情報機関』所収)が手際よくまとめている。

暗号解読については、バーバラ・W・タックマン『決定的瞬間――暗号が世界を変えた』(みすず書房、1968年)が、四十号室によるツィンメルマン電報の解読について述べている。

GC&CSによって解読されたドイツのエニグマ暗号の情報(暗号名「ウルトラ」)の配付に携わったフレデリック・ウィリアム・ウィンターボーザム空軍大佐が、『ウルトラ・シークレット――第二次大戦を変えた暗号解読』(早川書房、1976年)で詳細を明かしている。エニグマ暗号解読に関する最近の研究成果には、広田厚司『エニグマ暗号戦』(光人社、2004年)がある。

オーストラリア海軍の将校でGC&CSに勤めていたエリック・ネイヴは、ジェイムズ・ラスブリッジャーとの共著『真珠湾の裏切り』(文藝春秋、1991年)で、GC&CSは日本の暗号も解読していたと述べている。

SISや特殊作戦執行部(SOE)やSSが共同でニュー・ヨークのロックフェラー・センターに置いた英国保全調整部(BSC)の部長ウィリアム・スティーヴンスン卿については、ウィリアム・スティーヴンスン(スティーヴンスン卿とはまったくの別人)『暗号名イントレピッド――第二次世界大戦の陰の主役 』(早川書房、1978年)が詳しい。ちなみに、BSCの元次長で同書に序文を寄せたチャールズ・ハワード・「ディック」・エリス陸軍大佐は、後年チャップマン・ピンチャー『裏切りが奴らの商売』(サンケイ出版、1981年)で英国とドイツとソ連の三重スパイであったと暴露されている。

アーノルド・クラミッシュ『暗号名グリフィン――第二次大戦で最も偉大なスパイ――』(新潮社、1992年)は、ドイツのシュプリンガー出版社で働きながら原爆やロケット開発などの機密情報をSISに提供したパウル・ロスバウトについて述べている。
アラン・バージェス『暁の七人――ハイドリッヒの暗殺』(早川書房、1976年)は、SOEのチェコ人工作員によるラインハルト・ハイドリッヒ暗殺について述べている。

アンソニー・ケイヴ・ブラウン『謀略――第二次世界大戦秘史 (上)(下) 』(フジ出版社、1982年)は、英国で戦略欺騙をつかさどったロンドン統制班(LCS)について述べている。

ミンスミート作戦については、ダブル・クロス委員会で作戦を指揮したユーウィン・エドワード・サミュエル・モンタギュー海軍少佐が、『放流死体』(鱒書房、1957年)で詳細を明かしている。最新の研究成果としてはベン・マッキンタイアー『ナチを欺いた死体―― 英国の奇策・ミンスミート作戦の真実』(中央公論新社、2011年)がある。

SSの二重スパイついては、ダブル・クロス委員会の議長を務めたジョン・セシル・マスターマン卿が、『二重スパイ化作戦』(河出書房新社、1987年)で詳細を明かしている。最新の研究成果としてはマッキンタイアー『英国二重スパイ・システム――ノルマンディー上陸を支えた欺瞞作戦』(中央公論新社、2013年)がある。マッキンタイアーはまた、『ナチが愛した二重スパイ』(白水社、2009年)で、二重スパイの一人、エドワード・アーノルド・チャップマンの伝記を記している。二重スパイの自伝としては、ドゥシュコ・ポポフ『スパイ/カウンタースパイ――第二次大戦の陰で』(早川書房、1976年)やジョン・モー『ダブル・エージェント――英国情報部二重スパイの回想』(河出書房新社、1989年)がある。

フィルビーは、ソ連亡命後、『プロフェッショナル・スパイ』(徳間書店、1969年)で自らの経験を暴露した。もちろん、同書は国家保安委員会(KGB)の検閲済みであろう。たとえば、1945年にイスタンブール副領事に偽装していたNKVDのコンスタンチン・ヴォルコフが英国亡命を図って失敗した件について、フィルビーはヴォルコフの素振りから亡命意図がNKVDに露見したのだろうと述べている。実際にはフィルビー自身がNKVDに通報したことは明らかだ。

SIS係官でKGBに寝返ったジョージ・ブレークは、No Other Choice:An Autobiography(Simon & Schuster,1991)で自らの経験を暴露した。日本語で読めるものとしては、SOEでブレークの同僚だったE・H・クックリッジ(エドワード・シュピロ)が書いた『売国奴』(番町書房、1963年)がある。クックリッジは、ブレークが英国総領事館副領事に偽装してSISソウル支局長を務める間に朝鮮戦争が勃発し、北朝鮮人民軍に捕らえられて抑留中にソ連国家保安省(MGB)に徴募されたと述べている。

米中央情報局(CIA)工作員で韓国情報機関に協力した中島辰次郎は『馬賊一代――(下)謀略流転記――』(番町書房、1976年)で、朝鮮戦争中にブレーク救出を計画したが、北朝鮮側に露呈して中止したと述べている。クレア・スターリング『テロ・ネットワーク――国際テロ組織の秘密戦争』(サンケイ出版 、1982年)は、ブレークの従兄がエジプト民族解放運動の創始者アンリ・キュリエルであったと明かし、ブレークの寝返りは朝鮮戦争以前である可能性を指摘している。

SSの科学顧問ピーター・ライトは『スパイキャッチャー』(朝日新聞社、1987年)で自らの経験を暴露している。ライトはSS総監ロジャー・ヘンリー・ホリス卿がKGBのモグラであったと主張しているが、英国政府は公式に否定している。オレグ・アントノヴィッチ・ゴルディエフスキー大佐やヴァシリー・ニキティッチ・ミトロヒン少佐といったKGB亡命者からも、この疑惑を裏付ける証言は出ていない。

SISを解雇されたリチャード・トムリンソンは、1999年5月12日にSIS係官116名の氏名、赴任した年と任地をインターネット上に公開した。また、The Big Breach:From Top Secret to Maximum Security(Cutting Edge Press,2001)で自らの体験を暴露した。同書でトムリンスンは、SISがセルビア大統領スロボダン・ミロシェヴィチを交通事故に見せかけて暗殺することを検討したと述べている。そして、これと酷似した状況で死亡したダイアナ妃も、SISに暗殺されたのではないかと主張している。だが、2008年にロンドン高等法院はダイアナ妃の死因を事故死と結論付けている。

英国の情報コミュニティの現状については、黒井文太郎の「イギリス「情報コミュニティ」のしくみ」「イギリスの対外諜報機関「秘密情報局」(SIS/通称MI6)の全貌」「「保安局」(SS/通称MI5)と「統合テロリズム分析センター」」「キャサリン・ガン事件と英「政府通信本部」(GCHQ)」「「国防省情報参謀部」「ロンドン警視庁テロ対策司令部」「重大組織犯罪局」」(いずれも『軍事研究』2007年3月号別冊『ワールド・インテリジェンス Vol.5 特集 イギリス情報機関』所収)が詳しい。

英国陸軍特殊航空任務(SAS)連隊の元隊員で北アイルランドでSSの下請け仕事をしたこともあるバリー・デイヴィスは、『実戦スパイ技術ハンドブック』(原書房、2007年)で最新のスパイ技術を明かしている。同書にはトムリンソンが序文を寄せている。






◆川成洋『英国スパイ物語』を読み解く


※要旨


・歴史上、イギリスは、
自国が関与した戦争や厳しい対外問題において、
紆余曲折を経て終結したときには、
抜け目なく自国の利益を確保していた点が興味深い。


・1588年、
スペイン国王フェリペ2世は、
エリザベス女王のイングランドへの膺懲を完遂するため、
130隻からなる大艦隊の遠征に踏み切った。
海戦は10日ほどであったが、スペインは敗北した。


・イングランド側は、
スペイン艦隊を無敵艦隊と呼び、
「無敵艦隊撃退」を自国の自信と矜持のシンボルとするようになった。


・実はこの国難に際して、
イングランドの「秘密情報部の父」といわれた
サー・フランシス・ウォルシンガムが、
大陸に亡命中に自ら構築した個人的なスパイネットワークを活用して、
ヨーロッパ列強の宮廷、ローマ教皇庁、
さらにスペイン宮廷からも情報を集め、
スパイン側の動静をつかんでいた。


・事態にうまく対処することができたのも
これが一因である。


・諜報業務にあたってそのウォルシンガムは、
イングランドの世界戦略を担う海外秘密部員について、
「紳士だからこそ、汚い仕事に手を染めることができる」
と言い切っている。


・ウォルシンガムを先達とする伝統は、
連綿と続いたわけではないが、
戦時となれば、イギリス流の経験論が底流となり、
彼のやり方がスパイ組織の再興・構築・維持に
大いに寄与したのは、的外れではない。


・戦争に明け暮れた20世紀において
イギリスは、ヨーロッパ列強のなかで
2回の世界大戦に敗北しなかった唯一の国だ。


・世界大戦という、国家存亡に関わる危機のときに、
かつてのウォルシンガムの「箴言」を体現し、
実践する後継者的人物と組織が、
密かに活動していたのだ。


・「スパイは世界で2番目に古い職業である」
スパイの歴史は人類の歴史とほぼ同じと
考えて差し支えない。


・こうした経緯を引き継いで、
欧州でスパイ活動をとりわけ重視したのが
イギリスである。


・ウォルシンガムは、
イギリスがスペインの無敵艦隊を撃退したのちにも、
国内の諜報網や海外のスパイネットワーク維持のために
費用を投じていた。
「いかなる情報にも金がかかりすぎることはない」
という信念からである。


・彼は女王に情報機関の重要性を進言したが、
女王は彼に財政的な支援を一切、行わなかった。



・スパイであれ、
インテリジェンス・エージェントであれ、
結局は人材である。
英国の伝統的なリクルート方法は、それなりに成功していた。


※コメント
英国の情報に関する歴史を振り返ることは、
わが国にとって、とてつもなく重要なことである。
今後の研究を進めたい。

https://ameblo.jp/jyoho2040/entry-12379709849.htmlより





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■終戦直後の日本人引揚者を襲う朝鮮人たち…「竹林はるか遠く」

朝鮮人の男たちが、藪の中へ女の人たちを引きずっていくのを見たし、若い女性に乱暴しているのも見たわ(111頁)。

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■通州事件…盧溝橋事件発生から3週間後の1937年7月29日
北平(北京)東方の通州で中国保安隊による大規模な日本人虐殺事件が発生した■


夫を生きたまま腹を切り裂き…「これはおいしいぞ、日本人の腸だ、焼いて食べろ」…そうして、その妻である妊婦の腹を切り裂き胎児を取り出す。

それはこの男の人の頭の皮を学生が青竜刀で剥いでしまったのです。
頭の皮を剥いでしまったら、今度は目玉を抉り取るのです。このときまではまだ日本の男の人は生きていたようですが、この目玉を抉り取られるとき微かに手と足が動いたように見えました。







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