FC2ブログ

★注目記事⇒【岩波書店問題】 『紫禁城の黄昏』 映画「ラスト・エンペラー」が大ヒットしたので、岩波書店が岩波文庫として刊行.。しかし著者のスコットランド人宣教師が、日本の満洲国の統治、日本軍の治安への貢献を絶賛してる部分はすべて削除。さらに意図的に「誤訳?」して原文とは正反対内容にすり替える。これが岩波書店です

イギリス人のレジナルド・ジョンストンと いう人が書いた『紫禁城の黄昏』(Twilight in the Forbidden City)という書籍は戦後長らく世界中で再出版されませんでした。

東京裁判でも貴重な資料として提出されたのですが、日本を猛烈に擁護しているので却下されたのでした。


しかし映画「ラスト・エンペラー」が大ヒットしたので、岩波書店が岩波文庫として刊行したのです。



ところが、この岩波文庫ではシナという国のあり方を説明した1章から10章までがまったく削除されて、11章から始まっている。

しかも序文でも満洲国に関係ある人物が登場すると、1行でも2行でも虫が喰ったように 削除するという、信じられないことをやっている。

岩波文庫が削除した理由を推測してみると、

★著者のスコットランド人宣教師が、日本の満洲国の統治、日本軍の治安への貢献を絶賛してるから削除

★皇帝溥儀の家庭教師である宣教師が、日本の警官、官僚、軍人の人格・識見の高さを絶賛してるから削除



このような事をして翻訳出版したのが「岩波書店」です。

ジョンストン,R.F.
1874年、スコットランドのエディンバラに生まれる。オックスフォード大学卒。1898年、香港英国領事館に着任。1919年、皇帝溥儀の家庭教師に就任。宮廷内で唯一の外国人として、その内側を見聞する。1930年、英国に帰国し、ロンドン大学教授に。1938年、死去



岩波書店版





【この岩波版に対するAmazonのレビュー】

★岩波書店が犯した歴史学に対する大罪 2018年12月13日

 東京裁判において被告弁護側は、ワシントン体制の崩壊と満洲の分離独立運動が九ヶ国条約付属第十号決議違反や清帝退位協定違反など度重なる中華民国自身の条約違反行為によって引き起こされたことを証明する証拠資料としてレジナルド・ジョンストン著「禁苑の黎明(1934年)」の摘要とジョージ・ブロンソン・レー著「満洲国出現の合理性(1936年)」の摘要を用意していたが、裁判所は前者を却下し後者を未提出に終わらせてしまった。

 しかし今日の我が国では両書の完全版が復刊され、東京裁判史観の虚構と、これを真実の如く吹聴する著作を発表してきた岩波・朝日知識人たちの欺瞞性と、本書の改竄箇所とその動機が明白になった。

 それにもかかわらず、岩波書店は謝罪も本書の絶版も行わず、入江曜子は謝罪も絶筆も行わない。




★犯罪である 2005年7月5日

本訳書のあとがきにおいて、「主観的な色彩の強い前史的部分である第一章~十章と第十六章『王政復古派の希望と夢』を省き、また序章の一部を省略した」とあるが、これは、明らかに著作者人格権(恒久的権利)の侵害であり、公序良俗に反する。訳者と岩波を告発すべきである。評価以前の問題である。このような本が野放しになっていることに強い憤りを感じる。




★古典作品への冒涜、著者への侮辱、岩波書店のドス黒い汚点 2015年12月16日

マンジュ族の溥儀が漢族の領土では無い故郷(マンジュ)に帰り、マンジュ国皇帝になったという至極当前の話。
祥伝社黄金文庫版のレビュー完訳 紫禁城の黄昏(上) (祥伝社黄金文庫)の際つけたタイトルをそのまま持ってきましたが、本当にこういうことです。

「中国の一部である東北地方を日本が侵略した」「日本は溥儀を利用し皇帝にして傀儡国家を作った」という中華人民共和国と日本国内の御用学者が流布している喧伝が、いかにデタラメなのかが解る非常に有用な書です。
是非多くの日本人に「紫禁城の黄昏」を読んで欲しいと思いますが、本書の岩波訳は全くお薦めできません。
中華人民共和国の建前に反しないよう、読者に知られると都合の悪い重要部分を改竄捏造し、事実を意図的に隠蔽歪曲しているからです。

訳者である入江春名両氏が、正に「中華人民共和国の御用学者」の典型だったのです。
そもそも権力者におもねり、卑劣な歴史捏造行為をしてる時点で学者として失格だと思いますが。



・何を改竄捏造したのか

第一章から第十章までを全削除、第十六章を全削除、序章の一部(康有為に関して述べた部分)を削除、原著者注も訳さず全削除。

読者をミスリードさせるために意図的な誤訳を施す

岩波訳「皇帝がだれかに庇護を求めるとすれば、世界中で一番最後に頼る人物が蒋介石と張学良であることは、あらためていうまでもない。」(p437)

原文直訳「皇帝が庇護を求める場合、誰に頼るとしても、世界中でこの人たちだけには絶対頼りたくないのが蒋介石と張学良だった。」

祥伝社訳「言うまでもないことだが、どう転んでも、皇帝は蒋介石や張学良のような連中に避難所を求めるはずがない。」

皇帝とは溥儀のことです。岩波訳は原文直訳・祥伝社訳と比べると正反対の意味になっていることが解ります。


・第一章から第十章の内容

1894年の日清戦争敗北から、1917年の張勲による溥儀復辟事件まで、溥儀の家庭教師にして本書の著者であるジョンストンと出会うまでの内容。
なんですが、まず大事なのが、著者が「シナ」と「中国」を根拠をあげて使い分けていることと言えるでしょう。
シナとは「清国の領土の最大部分」。中国とは中央の王国、もしくは中華民国の略称で王朝名ではない。
完訳版を読み進めていけば、マンジュ族がハン族(漢族)の領土を征服して大帝国が出来上がったのであって、元々マンジュ(満洲)がシナの領土の一部であったということでは無いと理解できるでしょう。

何故日清戦争敗北後からなのかというと、日清戦争の敗北は、清の社会と外交制度の根幹を揺るがす大事件だったからです。
1840年のアヘン戦争、1857年の第二次アヘン戦争、そして太平天国の乱などの国内の叛乱など、英国に限らず外夷との戦いで
負けることはあっても、伝統的制度を改革しようなどという運動は起こりませんでした。
しかし日清戦争が同国に与えた影響は甚大でした。支配体制の改革を目指す変法派の活動が活発になり、その中心人物が康有為です。

著者が、戊戌政変を第一章にしたことは見過ごしてはいけないでしょう。
著者は康有為ら変法派の態度に共感していて、第五章では明治天皇を「同時代の傑出した日本人」と称えています。
第四章では、1900年頃の満洲は「地名以外は完全にロシア領」と化していた。日本が日露戦争で勝利して、ロシアから勝ち取った
権益や特権は保持したものの、満洲の東三省は満洲王朝に返還したという。満洲王朝の政府を「シナ政府」と表現するのは間違いだという。

岩波と入江春名両氏が削除した理由がはっきりと解ります。この「シナ」と「中国」の使い分けが都合が悪かった。

中華人民共和国は、日本人が「シナ」と呼称することを禁じて、「中国」と呼べと一方的に主張しています。
しかしこれをごっちゃにすると、清国時代も「中国史」という括りに入れられ、あたかも中華人民共和国の歴史の一部であるかの様相を呈します。清は既に滅んだ王朝なのだから中華人民共和国との間に歴史の関連性などあるはずもない。当然領土の連続性も無く、マンジュ(満洲)はマンジュ族の土地という至極普通の結論に落ち着く。「シナ」と「中国」を使い分けると中国領である満洲を日本が侵略したなどという戯言が成立しなってしまうのです。


・第十六章の内容
かなり重要な章だと言えます。第一章から第十章の内容を受けて、マンジュ族の溥儀が先祖の地マンジュに戻る可能性について、当時どのような報道や記録があったのかの、第一級資料です。
みなが中華民国にうんざりしていた。日本の保護下で満洲独立のシナリオ。などの新聞報道が目白押しです。
日本政府が一切関与してないうちに満洲独立の気運は相当盛り上がっていたようです。



以下は祥伝社黄金文庫版のレビューより転載

ジョンストン自身の見識はこうです。
「遅かれ早かれ、日本が満洲の地で二度も戦争をして獲得した莫大な権益を、シナの侵略から守るために、積極的な行動に出ざるを得なくなる日が必ず訪れると確信する者は大勢いた。日本と中華民国(特に満洲で共和国の代表と主張する者たち)が抗争すれば、自分たちが待ち望む好機が訪れるだろうと君主制主義者は考えていた。」

正に現在の日中間の歴史の歪みを言い当て、なかんずく中華人民共和国側が日本の満洲政策を侵略と批判することの欺瞞をあぶり出してる文章と言えます。

・「満洲」と「満州」は全く違う言葉 祥伝社黄金文庫版のレビューより転載
これは本書の内容とは関係ありませんが、読者の中に「満洲」と「満州」の区別と、その前提が間違ってるといけないので予備知識として書いておきたい。

東洋史学者の宮脇淳子氏によると、ヌルハチの時代「マンジュ・グルン」と呼ばれていた国名の「マンジュ」という音を漢字でうつした言葉が「満洲」。「グルン」は国。
「マンジュ・グルン」で満洲国。1932年にマンジュ族の地に成立した国名が満洲国になったのは、実に理にかなってるというかそのままの理由です。

ところがこれを「満州」と呼称すると途端にある誤解が起こります。

「満州」とは「満人の土地or満ちている国」という意味で「マンジュ」とは意味が全く違います。それこそ漢代の昔から、荊州益州涼州といった行政区分の中に「満州」というのがあって、遥か昔から「満州」という地名で呼ばれていた。それで「満州」は昔から「中国」の領土だったのか、という誤解です。
いや今誤解が起こらなくても、いつかは起こるかもしれない。少なくとも起こる可能性はある。
なまじ満洲と漢字で書くから、マンジュ族が漢族の一部族であるかの印象を抱かせる原因になるので、日本では本来ならウイグル・チベット・モンゴルに倣い、カタカナでマンジュと呼称するべきなんでしょうが。

そういう訳で「満洲」とは「マンジュ」という固有名詞の音訳であるから、「満州」と呼称するのは歴史的に見ても正確ではなく、あらぬ誤解を抱かせるので歴史用語としても不適切であり使用は避けた方が良い、というものです。
私は宮脇氏の学説の全てに賛同というわけではありませんが、これに関しては、なるほど区別しないとまずいなと思いました。

岩波訳では一環して「満州」「満州国」です。当時(1989年)の慣行に従ったそうです。しかしこの点は当然岩波書店だけの問題ではありません。
他の書籍でも「満州」「満州国」となっているのを目にします。


・日本人にとって満洲国とは何だったのか
1919年パリ講和会議で日本が「人種平等案」を提出、しかし米英の猛反対で却下された国際連盟という組織がありました。
それは満洲国が掲げた他民族共和という理想からかけ離れた、有色人種を差別をする欧州の小国が自国の権利を主張する、理想も力も無いくだらない組織でした。

「日本は国際連盟を脱退して世界から孤立した」というのは戦後の詐欺史観。当時の世界とは白人世界のことで、国際協調とは欧米の白人の価値観、人種偏見を前提とした体制を維持すること意味しました。
脱退はしましたが国際社会から孤立したわけではありませんし、むしろ人種差別を肯定する組織など脱退して正解ですね。
「日本は世界で初めて人種平等を提唱した国」。このことを念頭に置いて近現代史を俯瞰すれば、満洲国に対する見方が変わると思います。

人種差別が当たり前の時代、日本から分離独立してでも、人種差別の無い理想郷を作りたいと願う日本人達がいた。
日本国籍を捨ててでも、王道楽土の国を建設し欺瞞に満ちた世界に見せ付けてやろうと夢見る日本人達がいた。
そんな理想に共感したマンジュ族・モンゴル族・ハン族・チョソン族・ヤマト族が一致団結して「満洲人」となりました。
そして「自分の自由意志で」天津から満洲へと渡り、北に向かう途中地方官吏やその他の役人が敬意を表するのを許したため、
たびたび停車することなった特別列車に乗った溥儀が到着し、満洲の地に差別の無い王道楽土の見本国家「満洲国」が成立しました。

資源豊富だった満洲国では、日本からの投資により重工業を徹底して育成され、建国13年半後には重工業の中心地となっていました。

戦後毛沢東が国民党に勝てたのは、豊かな満洲国をスターリンから掠め取ったからで、毛沢東本人も「仮に全ての根拠地を失っても、東北さえあれば社会主義革命を成功させることが出来る」と語りました。

中華人民共和国とは全く関係無い土地に、差別の無い理想郷を作ろうと夢見た日本人達がいた。
近代化と共に人種差別とたった一人で戦い続けた日本の、人種差別を断ち切る最後の手段にして希望。それが満洲国の建国でした。

日本人は動物ではない。有色人種は獣ではない。有色人種の中で当時、どの国がそのことを示す力を持っていたか。
アジア・アフリカの中で、人種差別に打ち克とうとリーダッシップを取れるほど近代化された国が日本以外にあったのか。
事実を調べていけば「中国の一部である東北地方を日本が侵略した」などのプロパガンダは全く鼻で笑える戯言です。
袁世凱も張作霖も呉佩孚も張学良も蒋介石も毛沢東も、みな中華世界の天下を取ることだけしか頭に無く、それ以外はどうでもいいと考えていました。

日本人は中国人同士がいがみあっている間に人種差別と戦っていたんだ、と胸を張って答えればいい。
満洲国に関して日本が卑屈にならなきゃいけない理由など一つもありません。


・岩波訳をどう評価するか
私は基本的に誤植の類は気にしないのですが、外国勢力におもねって読者にペテンをかけるが如き行為となると気にもなります。
そしてこれは岩波文庫設立の理念から著しく外れた卑劣行為として見て取れます。
即ち、本行為は活仏ボグド・ゲゲーン聖人様のレビューの通り「かつては民を愚昧ならしめるために学芸が最も狭き堂宇に閉鎖されたことがあった」という宣言に明らかに反し、岩波自身が民を愚昧ならしめるために学芸を最も狭き堂宇に隠蔽しているし、特定の政治勢力におもねり、原著者の歴史観の前面を意図的に排除・誤訳したりするが如きはNowhereman様のレビューの通り
「千古の典籍の翻訳企図に敬虔の態度を欠かざりしか」という宣言に反している。
つまり読者の迷惑より先に、著者ジョンストンに対する最大の侮辱行為であり、かつ古典作品に対する冒涜行為であると。

普段から岩波文庫を愛読している身としては、腹立たしいし情けないし、遅きに失してますが完全訳で汚名返上していただきたいものですが、それも叶わぬ願いとなるでしょう。
岩波としては「シナと中国の区別」などタブーだし、歴史観も大陸に進出する日本と、それに対する中国民族主義という単純な二次元的構図で中華人民共和国にベッタリだし、完訳を読めばそんな単純な図式になどならないと解るはずです。
そもそもこの行為を問題としてとらえていない可能性もある。公式に何かアナウンスがあったわけでもないようなので。


※2015年12月20日追記 通州虐殺事件の歴史を抹殺
昭和12(1937)年7月29日、北京東方の通州で、シナ人の保安隊による大規模な日本人虐殺事件が起こりました。
その殺され方は酸鼻を極めた残虐なもので、およそ人間の仕業とは思えないものでした。

この虐殺事件ですが、祥伝社訳の監修を務めた渡部昇一氏によると、岩波書店の『近代日本総合年表』(三版・1991年)には7月28日まであって、事件のあった29日から8月9日までは空白だそうです。この事件一つ取っても「悪の日本と正義の中国」という構図が崩壊するわけですが、載っていないとはどういうことか。
岩波としてもこの虐殺事件が日本人に知れ渡るのが都合が悪い?その為に隠蔽までするのか?

南京大虐殺という虚構は、通州事件を相対化する為に、通州事件を参考に作り出されたのではないか、それ故日本人に隠蔽するために削除したのではないかという想像はさておき、品性下劣な手口を知りました。「歴史の削除」は岩波のお家芸のようです。







■祥伝社から2005年に『紫禁城の黄昏』完訳本 上下巻 が発行されています。


戦前の満州国建国の際の経緯を知るための貴重な資料として、イギリス人のレジナルド・ジョンストンと いう人が書いた『紫禁城の黄昏』(Twilight in the Forbidden City)という書籍があります。

この本を読めば日本が始めから満州を侵略する意図など無かったことがわかるのです。

ところがこの本は日本側の弁護人が東京裁判において、証拠提出したにも拘わらず裁判官によって採用を 拒否されました。そして著者であるジョンストンもすでに死んでいたために この本の信憑性に疑問があるとして証拠採用されませんでした。

しかし、この本の序文では溥儀自らが「この真実の記録は、この時期の状況を最も詳しく知っているジョンストンという最適任の人間が書いた」と言っており、しかも皇帝の御璽まで捺印されているのです。


ちなみにこの本の日本語訳は祥伝社から2005年に「完訳本 上下巻」が発行されています。

わざわざ「完訳本」と銘打っているのは1989年に出版された岩波書店の訳本では、
★日本側に有利な箇所が 大幅に(全26章中、第1章から第10章・第16章と序章の一部(全分量の約半分)が)省かれているからです。

★つまり岩波書店という会社は意図的に戦前の日本を貶める行為に加担しているのです。


こんな破廉恥な行為を名前の知られた出版社がやっているということが信じられないことです。





完訳版







岩波書店が意図的に削除した部分を、完訳版で確認してみてください





英語版



内容紹介

As part of China's 2008 Olympic welcome to visitors Xiaomina Press, presents this book about the last emperor of China. This book is essential reading for all visitors to China The Author Sir Reginald Fleming Johnston was a Scottish diplomat and the tutor of Puyi, the last emperor of China. Johnston was eye witness Chinese events in the crucial years of the 1920s and 1930s. Johnston was the only foreigner in history to be allowed inside the inner court of the Qing Dynasty. The author carried high imperial titles and lived in both the Forbidden City and the New Summer Palace. In 1934, Johnston looked for a residence in Scotland to retire to. He found a house on Eilean Righ, a small island in Loch Craignish, some 9 miles (15 km) NW of Lochgilphead. He moved there with his enormous library, which included a Chinese Encylopaedia in 1734 volumes and a complete collection of Buddhist scriptures in 1500 volumes. Twilight in the Forbidden City is very much a history of an entire period and not an exclusive portrait of the last Emperor of China. Twilight in the Forbidden City is prefaced by the Emperor Hsüan-T'ung himself in the year 1931 Chosen by Dowager Empress Cixi while on her deathbed, Puyi ascended the throne at age 2 years 10 months in December 1908 following his uncle's death on November 14. Puyi's introduction to emperorship began when palace officials arrived at his family household to take him. Puyi screamed and resisted as the officials ordered the eunuchs to pick him up. His wet-nurse, Wen-Chao Wang, was the only one who could console him, and therefore accompanied Puyi to the Forbidden City. Puyi would not see his real mother again for six years. Puyi's upbringing was hardly conducive to the raising of a healthy, well-balanced child. Overnight, he was treated as a god and unable to behave as a child. The adults in his life, save his wet-nurse Mrs. Wang, were all strangers, remote, distant, and unable to discipline him. Wherever he went, grown men would kneel to the floor in a ritual kow-tow, averting their eyes until he passed.





この記事を拡散したいと思ったら、応援クリックお願いします m(_ _)m


国際政治・外交 ブログランキングへ



★ ★↑↑ 記事はここまで ↑↑★ ★



■国際関係アナリスト北野幸伯氏の無料メルマガ「ロシア政治経済ジャーナル」

国際関係アナリスト北野幸伯氏の国際情勢の分析を、無料で読むことができます。

★まぐまぐ2015年総合大賞1位

数年前のバックナンバー記事を読むと、現在の国際情勢を正確に予知していることに驚きますよ

★このメルマガの無料購読申し込みは(バックナンバーも読むことができます)
http://www.mag2.com/m/0000012950.html





■日本の情報・戦略を考える「アメリカ通信」の無料購読申し込みはこちら

https://archives.mag2.com/0000110606/index.html?l=yft0bd414b




■【国際派日本人養成講座】創刊20年目・5万8千部発行・まぐまぐ殿堂入りのメルマガ無料購読申し込みはこちら

https://www.mag2.com/m/0000000699.html





■終戦直後の日本人引揚者を襲う朝鮮人たち…「竹林はるか遠く」

朝鮮人の男たちが、藪の中へ女の人たちを引きずっていくのを見たし、若い女性に乱暴しているのも見たわ(111頁)。

彼ら(朝鮮人)は悦楽を求めて人々の間をよろよろ歩き、そして娘たちを見つける度に外へ引きずり出した。たびたび女たちの悲鳴が響いた。(118頁)。

また、朝鮮人が、日本人を殺したうえで金歯まで抜いている記述もある(129頁)。







■通州事件…盧溝橋事件発生から3週間後の1937年7月29日
北平(北京)東方の通州で中国保安隊による大規模な日本人虐殺事件が発生した■



『通州事件の惨劇 (Sさんの体験談)-日本人皆殺しの地獄絵-』

★「通州事件 目撃者の証言」 (自由社ブックレット5) より 藤岡 信勝 (著) 自由社; 初版 (2016/8/7)

夫を生きたまま腹を切り裂き…「これはおいしいぞ、日本人の腸だ、焼いて食べろ」…そうして、その妻である妊婦の腹を切り裂き胎児を取り出す。

それはこの男の人の頭の皮を学生が青竜刀で剥いでしまったのです。頭の皮を剥いでしまったら、今度は目玉を抉り取るのです。このときまではまだ日本の男の人は生きていたようですが、この目玉を抉り取られるとき微かに手と足が動いたように見えました。

目玉を抉り取ると今度は男の人の服を全部剥ぎ取りお腹が上になるように倒しました。

そして又学生が青竜刀でこの日本の男の人のお腹を切り裂いたのです。縦と横とにお腹を切り裂くと、そのお腹の中から腸を引き出したのです。ずるずると腸が出てまいりますと、その腸をどんどん引っ張るのです。

人間の腸があんなに長いものとは知りませんでした。十メートル近くあったかと思いますが、学生が何か喚いておりましたが、もう私の耳には入りません。そうしているうちに何かワーッという声が聞こえました。

ハッと目をあげてみると、青竜刀を持った学生がその日本の男の人の腸を切ったのです。そしてそれだけではありません。別の学生に引っ張らせた腸をいくつにもいくつにも切るのです。一尺づつぐらい切り刻んだ学生は細切れの腸を、さっきからじっと見ていた妊婦のところに投げたのです。

このお腹に赤ちゃんがいるであろう妊婦は、その自分の主人の腸の一切れが頬にあたると「ヒーッ」と言って気を失ったのです。その姿を見て兵隊や学生達は手を叩いて喜んでいます。残った腸の細切れを見物していた支那人の方へ二つか三つ投げて来ました。そしてこれはおいしいぞ、日本人の腸だ、焼いて食べろと申しているのです。


1937年 通州事件(つうしゅう)中国冀東保安隊による日本人虐殺事件。被害者約200名
  ・婦人は24時間強姦されたあげく鼻や喉に針金をつけられ殺害現場まで引き擦られる。
  ・旭軒では17~40歳の女性はことごとく強姦され
   陰部を銃剣で刺さたもの、口中に土砂を填めてあるもの、
   腹部を縦に断ち割つて等にて惨殺。
  ・錦水楼では女性達は手足を縄で結ばれ強姦され、斬首。
  ・男は目玉をくりぬかれ、上半身は蜂の巣の様
  ・子供は手の指を揃へて切断され惨殺
  ・南城門では腹部の骨が露出し、内臓が散乱
  ・首を縄で縛り両手を併せて針金通し一家六名数珠繋ぎにして引廻し惨殺。












■英国で10万部超、世界23ヵ国で翻訳、英国のアマゾンレビュー700件超!
「サンデー・タイムズ」紙のナンバーワンブック、「イブニング・スタンダード」紙のブックオブザイヤーに輝いたベストセラー!■


英国で数々の賞を受賞した若きジャーナリストが欧州の移民問題を徹底ルポ。
移民受け入れをめぐる「罪悪感」と「疲れ」がもたらした欧州リベラリズムの死に方を克明に描く。


















関連記事