朝鮮の「奴婢」は品物のように売買・略奪・相続・譲与・担保の対象になった。 かれらはただ主人のために存在する主人の財産であるため、主人が殴っても犯しても売り飛ばしても、果ては首を打ち落としても何ら問題はなかった。


奴婢『ソウル城下に漢江は流れる―朝鮮風俗史夜話』(林鍾国、平凡社1987)



その中の「人間家畜の奴婢制度」という章の一節。

奴婢は品物のように売買・略奪・相続・譲与・担保の対象になった。
かれらはただ主人のために存在する主人の財産であるため、主人が殴っても
犯しても売り飛ばしても、果ては首を打ち落としても何ら問題はなかった。

それこそ赤子の手を捻るように、いとも簡単に主人は碑女たちを性の道具
にしたものであった。奥方たちの嫉妬を買った碑女は打ち据えられたり、
ひどい場合は打ち殺されることもあった。

外観だけは人間であるが主人の事実上の家畜と変わらなかった碑女たちは、
売却・私刑はもちろんのこと、打ち殺されても殺人にならなかったといい、
韓末、水溝や川にはしばしば流れ落ちないまま、ものに引っかかっている
年頃の娘たちの遺棄死体があったといわれる。局部に石や棒切れをさしこ
まれているのは、いうまでもなく主人の玩具になった末に奥方に殺された
不幸な運命の主人公であった










李朝時代には、両班、中人、奴婢の他に、妓籍(キジョ)という戸籍があった。妓生(キーセン)
が妓籍に属した。両班であれば、もちろん金を払わねばならなかったが、妓生とはいくらでも寝る
ことができた。両班が妓生を呼びだして、一夜をともにすることを「守庁」(スチョン)といった。
庁は役所のことである。役所を守るといって、妓生を呼んで家に帰らなかったのだから、ユーモアが
あった。妓生側からは「スチョントゥンダ」(官庁に入る)といった。夜、一人で役所を守るのは寂
しいのだ。そこで妓生と役所で一夜を楽しんだ。役所では「守庁」は公認された。

妓生を愛人として生まれた子は、庶属(ソージョク)となった。庶属は常人扱いだった。両班は、
妓生との間にできた娘が年ごろになると、親しい友人に贈ったり、自分の上司の長官に貢ぎ物とし
て棒げた。「肌の若いのがよいだろう。君、持っていって遊ベ」というようなことを言って、友人
に進呈したから、もう人間扱いではない。韓国は好色な文化である。日本よりも、もっと陽気であ
けっぴろげだ

「醜い韓国人」 朴泰赫 1993年 光文社

http://www.geocities.co.jp/WallStreet/2463/syokuminti2.htm#zinzya






韓国人の在日韓国人(韓国では在日僑胞と呼ぶ)差別を取りあげてみよう。

(中略)次に多いのは、「日本で通名として日本名を名乗り、民族名を隠して暮らすとは、民族の
誇りを捨てた奴らだ。韓国人としては認めがたい」との非難である。韓国人は歴史的にみても、
「命よりも名前を汚すことを恐れた」民族といわれているように、親や一族から与えられた姓名
は大切にしてきた。たとえば、「在日韓国人が日本名を名乗っていることだね。これは誇り高い
本国の人たちには許せない行為なんだよ。
日本にいるときは日本人になりすましているくせに、韓国にくると韓国人であると、使い分けをして
いるのがなんともたまらなく嫌なんだ。その点アメリカに行ったチェーミ・キョッポ(在美僑胞、美
は米国の略称)は、チャーリー・キムとかベティー・パクとか苗字(姓の名)は保っているからまだ
許せる」というレポートや…

しかし、と私は思う。明治時代に日本に亡命してきた朝鮮人は、ほとんどが日本式通名をもち、日本
名を使っていた。日本を頼ってクーデターを起こし(甲申政変)、近代化を成しとげようとして失敗
した金玉均は、亡命中は岩田周策と名乗っていた。金玉均はまた岩田三平、岩田三和という名前でも
署名している。三平、三和の三は、朝鮮、中国、日本の三国を意味し、東洋三国の平和を祈念してい
たからだという。1932年(昭和7年)1月8日、東京の桜田門で昭和天皇の馬車に爆弾を投げつ
けた独立運動家の李奉昌(韓国では義士とされ尊敬を受けている)は、日本で働いていたときは木下
昌蔵と名乗っていた。日本人になりすましていたほうが、待遇がよかったためだという。作家の金達
寿だって、金光淳という日本名をもっていた。金達寿によれば、朝鮮語では「キムグワンスン」、
日本語では「かねみつじゅん」、どちらにも使えるようにつけたという。金達寿はその他にも大沢達雄
、金山忠太郎という通称を使用していた。もちろん朝鮮総督府が、朝鮮人に日本式な氏名に変えること
を強制した「創氏改名」以前の話である。

(他にも金弘集内閣の内部(内務)大臣であった朴泳孝は山崎永春を名乗り、皇太子(のちの昭和天皇
)暗殺の爆弾テロ未遂で無期刑を受けた朴烈の本名は朴準植であった。)

韓国人が身勝手に見える理由」 中村欽哉 1996年 三交社

http://www.geocities.co.jp/WallStreet/2463/syokuminti2.htm








欧米諸国の植民地で、あれほど多くの学校を建立し、庶民にまで教育を受ける機会を与えたのは、
例がありません。植民地の民衆に、あれほどの教育の恩恵を与えた国は、日本しかなかったと思
います。日本が唱えた「内鮮一体」は、まったくの嘘ではなかった、と思いますよ。もっとも、
韓国人のなかには、当時、日本が「内鮮一体」といいながら、多くの学校を建てたのは、「愚民
化政策」のためだった、という人が多いんです。しかし、小、中学校から、高等専門学校や、
京城帝国大学のどこにも、「愚民化政策」といえる点は見いだせませんし、韓国に渡った日本人が、
自分たちの子供を同じ学校に入れたんですから、まさか、「愚民化教育」を受けさせたはずがな
かったでしょう。小、中学校は、日本人と韓国人の子弟向けに分かれていたものの、同じ教課を
学んだのだったし、私の田舎の小学校にも、日本人の子供たちが通っていましたよ。


加瀬 
日本は、台湾にも、韓国にも、多くの小学校をつくりました。それに、台湾も、韓国も、日本の
一部であって、欧米のいうような植民地だという意識がなかったんですよ。心ない差別があった
ことは、事実です。しかし、「一視同仁」ということが強調されましたし、同胞という考えかた
が、強かったんです。もっとも、こういった考えかたが行きすぎて、戦時色が濃くなった1930年
代後半から、上から性急な「皇民化運動」を強いることになってしまったんですね。
韓国をとれば、日韓併合のときには、公立の普通学校(小学校)は、100校に満たなかった、
総督府のもとで、まず3面に1校というと、3つの村ごとに1校建設することを計画し、1913年ま
でに実現しています。当時の朝鮮には、ざっと2500の面(村)がありました。つぎに、一つの村
に小学校一つをつくることを目標にしましたが、1936年に計画が完成しました。太平洋戦争が始
まった翌年の1942年に、1面2校を自標として掲げました。そして、全土でおよそ5000校の小学校
が、つくられました。



教育だけをとっても、日本は植民地時代の他の宗主国と、まったく違っていました。今日の韓国
の近代国家としての基礎が、日本統治時代に築かれたことは、否定できません。これが、もし、
ロシアの一共和国となっていたとしたら、いったい、どうなっていたでしょうか。かつての旧ソ連
の辺境にあった共和国と変わらなかったことでしょう。
今の韓国の若者たちは、わが国の歴史も、ハングルも書堂で教えていた、と思っています。李朝
時代の韓国は、中国をひたすら崇めて、自ら「小中華と称していることを誇りとしていました。
ハングルは、婦人や子供が使う字として、蔑まれていました。今日でこそ、「ハングル」は発音
のまま読み書きができる、世界でもっとも合理的で、科学的な文字だといって、誇っていますが、
ハングルは日韓併合以前は、公文書にも、祝祭祀文にも、まったく使われなかったんですよ。


加瀬
総督府は、このうえの中学校用の「高等朝鮮語読本』も、発行していました。これは、5巻です。
私がこの教科書について、新聞に話したら、横浜市に住んでいるK氏から手紙を貰いました。K氏
は日本人です。K氏は、昭和10年に全羅南道麗水邑の小学校に通学したが、「ハングル」の授業が
あったということでした。そして、昭和7年に韓国の小学校を卒業した。知人の当時の通信簿の写
しを送ってくれました。それが、修身、算術、国語、歴史、地理から、職業まで全課目が「甲」
なんですが、「朝鮮語」という欄だけに「乙」と記されていました。K氏は手紙のなかで、「日本
の教育は朝鮮語抹殺であったとの主張は、その教育政策を検証すれば、誤りであることはあきらか
です。太平洋戦争下の緊迫した時代のみを取り上げるのは、誤っています」と書いています。また、
K氏からの便りによれば、教員を養成する女子師範学校では、太平洋戦争開戦後も、生徒にチマ、
チョゴリをつくることを教えるための課目があった、ということです。



今日、韓国人が、全員、「ハングル」を読み書きできるようになったのは、日本統治時代に小学校
で「ハングル」を教えたことから、始まっています。これは、客観的な事実であって、否定するこ
とはできませんよ。日韓併合以前には、「ハングル」があったにもかかわらず、「庶民」(サンノム
)の9割以上が、読み書きできませんでした。


「醜い韓国人 <歴史検証編>」 朴泰赫 加瀬英明 1995年 光文社










同胞韓国人は嘘つきばかりである。私はそのことが恥かしく、情けない。
「韓国は独力で近代化を成し遂げた」って。馬鹿を云うな。

韓国の近代化は日本の莫大な資本と人材の投与によって成し遂げられたものである。
「韓国は日本の統治に抵抗をもって対抗した」だって。馬鹿馬鹿しい。

同胞韓国人はロバのように日本の統治を甘受したのが実態だ。ごくごく一部の
抵抗はあったが上から下までみんな日本にあこがれ、日本人になろうとしたのだ。

「韓国が独立したのは韓国の手によるものだ」にいたっては呆れてものも言えない。

誰も日本からの独立など望んでいなかったのにアメリカに
強制的に独立させられたというのが真実だ。「漢河の奇蹟」だって!笑わせる。

日本から賠償金という名目で莫大な経済援助と技術援助で成し遂げられたものだ。

これだけお膳立てしてもらえばどんな未開民族でも経済成長するだろうよ。

「日本文化の祖が韓国」とは恐れ入る。一体、併合前の朝鮮半島のどこに「文化」
なるものがあったのか。併合前、我々先祖は乞食同然の生活をしていたではないか。
現在の韓国の姿、まさに他人により作られた砂の楼閣だ。

虚飾と偽善と歪曲とおごりに満ち満ちている、真似と依存と歪曲が全てである。

このような韓国の本質を知らず「韓国こそ世界一」などとほらを吹いて自己満足して
いる本国、在日の韓国人は正気の沙汰ではない。これが恥でなくてなんであろうか。

韓国の評論家  金 満哲




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