国際世論を操る広告代理店…セルビア人勢力は、米国の広告代理店によって国際的な敵役に仕立てあげられた。

■1.凱旋した将軍■

 1992年8月、カナダの首都オタワ空港に到着した飛行機から、
一人の軍人がタラップを降りた。ゲートには数多くの市民が出
迎え、歓迎の声が渦巻いた。彼はそれに手を振って答えた。ブ
ルーのベレー帽は、国連防護軍サラエボ司令官の任務を終えた
きた証しだった。

 この軍人、ルイス・マッケンジー将軍は2ヶ月余り前に、セ
ルビア人とモスレム人の内戦が続くボスニア・ヘルツェゴビナ
のサラエボ空港にカナダ軍部隊を率いて乗り込んだ。彼らの活
躍によりサラエボ空港の安全が確保され、毎日20機ほどの輸
送機が200トンの援助物資を積んで到着した。セルビア人勢
力に包囲されていた38万人のサラエボ市民は、将軍の活躍に
よって餓死から救われたのである。

 将軍はその軍歴の大半を世界各地の国連平和維持活動に捧げ
てきた。そして世界の注目を集めるサラエボでカナダ軍の名声
を高めた英雄として凱旋したこの時が、将軍のキャリアの絶頂
期であった。カナダ政府の国防相に、という声も出始めていた。

 しかし、将軍にはひとつ気がかりな事があった。果たして、
それが将軍のキャリアを暗転させる躓きの石となるのだが、こ
の時は、まだそこまでは気がつかなかった。

■2.「おかしい。タイミングがよすぎる」■

 その気がかりとは、将軍がカナダに戻る前に、ニューヨーク
で国連の幹部に挨拶をした後、記者会見やテレビ出演を行った
時の事だった。サラエボでの状況をあれこれ聞かれるだろうと
いう将軍の予想を完全に裏切って、記者たちの質問は「強制収
容所」に集中した。

 将軍は答えた。「強制所については、何一つ知らない。私が
知っているのは、モスレム人とセルビア人の双方が、相手の側
にこそ、そういう収容所があると言って互いに非難していると
いう事だけです。」 将軍はニュース番組にも何度か出演した
が、そのたびに同じ答えを繰り返した。

 カナダに戻った後、マッケンジー将軍はアメリカの連邦議会
上院の公聴会での証言を求められて、ワシントンに赴いた。そ
の公聴会の前日、ボスニア・ヘルツェゴビナ政府のシライジッ
チ外相からカナダのマクドゥガル外相に宛てた書簡が、プレス
に緊急公開された。

 その公開書簡では、将軍が「セルビア側が設けた強制収容所
については何も知らない」とテレビで何度も語っている事に対
して、「将軍自身が司令部を置いたサラエボ空港の滑走路脇に
も強制収容所があるのに、これはいったいどうしたことなのか」
と非難していた。「おかしい。タイミングがよすぎる」という
思いが心をよぎった。

■3.将軍を追いつめる計画的な意思■

 翌日行われた公聴会では、公開書簡の影響があったのか、同
盟国カナダの将軍に対するものとは思えない詰問調の質問が続
いた。「収容所についての報道を知っていたなら、たとえば国
連部隊として赤十字の査察をバックアップすることは考えなかっ
たのか?」

 そう聞かれると将軍は「それはそうですが、しかし、それを
しようと思ったら、全体状況を斟酌しなければなりません」と
苦しい答弁をするしかなかった。サラエボ空港の安全を確保し
て38万人の市民を餓死から救う事が任務であった将軍にとっ
て、そんな義務も余力もなかったのである。

 同時に将軍への様々な中傷が湧き起こった。「妻がセルビア
人だから、将軍はセルビア人の味方をしているのだ」というの
が、その一つだった。実際には将軍の妻はスコットランド人で、
根も葉もない中傷だった。さらには「将軍はサラエボで収容所
に入れられたモスレム人の女性をレイプした」というひどいも
のまであった。

 こうした誹謗中傷を受けながら、将軍は自分を追いつめる何
か計画的な意思が働いているとは感じた。しかし、それがある
広告代理店の仕業だと気がつくまでにはしばらくかかった。そ
して、気がついた時にはもう後の祭りだった。

「国防相に」という声は、はたと途絶え、退役を迫る有形無形
のプレッシャーが強まった。結局、将軍は定年の数年前に軍を
去ることを余儀なくされた。

■4.国家を顧客とする広告代理店■

 将軍を追いつめたのは、アメリカの大手広告代理店ルーダー
・フィン社の幹部社員ジム・ハーフであった。普通の広告代理
店は企業と契約し、その知名度やイメージを高めることが仕事
である。しかしジム・ハーフは特殊な広告分野の開拓者だった。
それは国際紛争を戦う一方の国家を顧客として、国際世論を味
方につけるようなPRをするという仕事である。

 ジム・ハーフがこの仕事に携わるようになったのは、ボスニ
ア・ヘルツェゴビナ政府外相ハリス・シライジッチの依頼を受
けた事が発端だった。シライジッチはこの1992年の4月に単身、
ニューヨークに乗り込んできて、国連関係者に祖国の窮状を訴
えたのだが、誰にも相手にされなかった。東欧の片隅の小国で、
人口も少なく、石油や核兵器があるわけでもない。そんな国の
紛争に構っている暇は誰にもなかった。

 何とかアメリカ国務省のジェームズ・ベーカー長官と会うこ
とができたが、国民の支持無しにアメリカの国益にまったく関
係ない国の救援をすることはできない、とにべもなく断られた。
しかし、ベーカー長官は、アメリカの世論を動かすには、メディ
アを通じて訴えるのが良い、とだけ、アドバイスをしてくれた。

 そこでシライジッチは、つてを辿ってジム・ハーフにボスニ
ア・ヘルツェゴビナ政府の広告代理店業務を依頼したのだった。

■5.シライジッチ外相の「改造」■

 ハーフはまずシライジッチをテレビ・ニュースのトークショ
ー向けに「改造」する事に取り組んだ。シライジッチのテレビ
写りの良いアラン・ドロンばりの風貌と、正確で知的な英語は
なによりの武器だった。

 しかし欠点もあった。シライジッチは歴史学者出身であった
ため、ボスニア紛争の経緯を長々と説明したがるのである。ア
メリカの視聴者はそんな話にはすぐに飽きてしまう、大切なの
は今何が起こっているのかだけだ、とハーフは教えた。

 ある程度「改造」が進んだ段階で、ハーフは全国ネットであ
るABCの報道番組「ナイトライン」にシライジッチを出演さ
せる段取りをつけた。番組の冒頭、司会者の第一問は「なぜ、
アメリカがボスニア・ヘルツェゴビナなどに関係を持たなくて
はいけないのか、アメリカのメリットはいったいどこにあるの
か」という厳しいものだった。実際、ほとんどのアメリカ人は
ボスニアがどこにあるのかさえ知らなかった。

 シライジッチは計算し尽くされた名演技を見せた。まず怒り
の表情で2秒あまりの間、押し黙った。テレビでの2秒の沈黙
は長い。「なぜか、ですって」とようやくシライジッチは口を
開いた。何という不適切な質問なのか、と言わんばかりの口調
だった。

 サラエボでは、毎日無実の市民が殺され、血を流してい
るからです。怪物のような連中がはびこっているのです。
こういう人道に背く行為を、決して傍観して見過ごしたり
はしないというのが、アメリカという国の責任と誇りだか
らです。

 そして「Enough is enough, that's why.(もうたくさんな
んだ。それが理由だ)」と怒気を込めて結んだ。

 結局、この演技で、番組司会者の仕掛けた冷静な「アメリカ
のメリット」論議は吹っ飛んでしまった。あとはシライジッチ
が独演でサラエボでどんな悲劇が起きているのかを語り続けた。
シライジッチの「改造」は大成功だった。

■6.「民族浄化」■

 しかしハーフはこの成功だけでは十分ではない、と考えてい
た。無実の市民が殺されるような悲劇は世界中で毎日のように
起こっている。それらとは違うということを、人々の心の奥底
にまで訴えかけるパワフルなキャッチ・コピーが必要だ。

 そこで考え出されたのが「ethnic cleansing(民族浄化)」
だった。"cleansing"とは台所のクレンザーのように、汚れをご
しごしと洗い流す、という言葉である。それに"ethnic"(民族)
とつけた事によって、異民族を「汚れ」扱いし、それを力で
「洗い流す」という、ぞっとさせる語感を生み出した。

 このキャッチ・コピーは、欧米のメディアで一気に広まった。
『ニューズウィーク』誌の表紙を飾り、『ニューヨーク・タ
イムズ』『ワシントン・ポスト』『ウォール・ストリート・ジャ
ーナル』といった有力紙に連日登場した。

 政治家たちも、この強力なキャッチ・コピーをスピーチの中
で使うようになった。たとえばカナダの外務大臣バーバラ・マ
クドゥガルは「民族浄化は、ナチスの行為の再来である」と記
者会見で語った。

■7.半面の真実■

ハーフは言う。

「民族浄化」というこの一つの言葉で、人々はボスニア・
ヘルツェゴビナで何が起きていたかを理解することができ
るのです。「セルビア人がどこどこの村にやってきて、銃
を突きつけ、30分以内に家を出て行けとモスレム人に命
令し、彼らをトラックに乗せて、、、」と延々説明するか
わりに、一言 "ethnic cleansing(民族浄化)"と言えば全
部伝わるんですよ。[1, p119]

「マクドナルド」と言えば誰でもハンバーガーを連想するよう
に、"ethnic cleansing"と言えば、ナチスがユダヤ人にやった
事が、今ボスニアで起きているのだな、と人びとは連想したの
である。

 しかし、この言葉は半面の真実しか伝えていない。イギリス
の元外相キャリントン卿は、この言葉の不公平さをこう指摘し
ている。

 セルビア人も、クロアチア人も、モスレム人も、誰もが
同じ事をしていたのだ。にもかかわらず、セルビア人が被
害者となり、他の民族に追い出された場合には「民族浄化」
とは呼ばれなかった。[1,p121]

■8.「強制収容所」という神をも恐れぬ蛮行■

 ナチスと言えば、次に連想されるのは「強制収容所」である。
"ethnic cleansing"がこれだけ流行語になったので、その一環
で「強制収容所」が見つかれば、大変な特ダネとなる。実際に
それが存在するという噂も現地から伝えられていた。英国の
『ザ・タイムズ』紙は、取材チームを現地に送り、「収容所の
取材をし、ネタを見つけるまでは、他の記事はいっさい送る必
要はない」と命じた。

 チームはセルビア人勢力の許可を得て、一つの捕虜収容所を
訪れたが、さすがに「強制収容所」と言えるほどの代物ではな
かった。ただ夏の暑い時期で、野外で上半身裸で過ごしている
捕虜が多かった。その中にひどく痩せてあばら骨が浮き出てい
た男がおり、チームのカメラマンはその男の写真をとった。そ
の男の前にはたまたま有刺鉄線が映っていたが、それは捕虜た
ちを閉じこめておくためのものではなかった。

 しかしその写真の「有刺鉄線の中の痩せさらばえた半裸の男」
という構図は、ナチスの強制収容所のイメージそのものだった。
この映像はイギリスに送られ、ニュースで流された。

 ハーフがこの機会を見逃すはずもなかった。翌日、ファック
スで全米の放送局、新聞、雑誌社にこのニュースを知らせた。
各社は争ってこの映像を購入し、自らのメディアで流した。繰
り返し流される「有刺鉄線の中の痩せさらばえた半裸の男」の
映像に米国の世論は沸騰した。

『ニューヨーク・タイムズ』誌は「何千人もの人々が強制収容
所に捕らえられている」と論じ、「セルビア人を甘やかしては
ならない」と社説で主張した。

 ブッシュ大統領も記者会見で「セルビア人たちに捕らえられ
た囚人の映像は、この問題に有効な対処が必要なことを示す明
らかな証拠だ。世界は二度とナチスの『強制収容所』という神
をも恐れぬ蛮行を許してはならない」と述べた。

 冒頭で述べたマッケンジー将軍の帰国は、まさに「強制収容
所」が盛んに取りざたされていた時だったのである。「強制収
容所を知らない」とメディアで繰り返し証言する将軍は、せっ
かく盛り上がった世論に冷や水をかける厄介な邪魔者だった。
そこでハーフは米議会で証言する前日に狙いを定めて、カナダ
外相への抗議の公開書簡を出し、邪魔者を葬り去ったのである。

■9.仮想現実の勝利■

 セルビア人たちは、真実はほうっておいてもやがて自然に知
れ渡る、と素朴に信じていたが、「民族浄化」というキャッチ
・コピーや「強制収容所」の映像によって、メディア上に確固
たる仮想現実が構築されては、もはやなすすべもなかった。彼
らも広告代理店を雇って対抗しようとしたが、すでにナチス並
みの烙印を押された悪役のために働くような危険な仕事を引き
受けるPR企業はなかった。

 国際世論は反セルビア一色となり、この年の9月に開催され
た第47回国連総会で、セルビア共和国が所属するユーゴスラ
ビア連邦の追放が決議された。加盟国の追放は国際連合の歴史
上、前例のない事である。

 紛争当時のセルビア共和国大統領スロボダン・ミロシェビッ
チは、2001年にセルビア共和国によって逮捕され、ハーグの国
際法廷で人道に対する罪を問われた。セルビア共和国はかつて
の大統領を「罪人」として差し出すことで、自分たちは「罪」
から逃れようとしたのである。

 しかし容疑事実の立証がなされなかったため、裁判は延々5
年間も続いたが、ミロシェビッチが収監中の独房で死亡したこ
とで、中断された。

 一方、この仕事で、国家や政府を顧客とするPR活動がビジ
ネスとなることを実証したジム・ハーフは全米PR協会から
1993年のシルヴァー・アンビル賞を受賞している。ハーフはこ
れを足がかりに独立し、国際世論を動かす仕事を続けている。


「国際派日本人養成講座」より

http://www2s.biglobe.ne.jp/%257Enippon/jogdb_h19/jog490.html







「ドキュメント 戦争広告代理店 情報操作とボスニア紛争」

講談社文庫  著者:高木徹

http://www.bookclub.kodansha.co.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=2750961


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内容紹介
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賞総なめ!
講談社ノンフィクション賞&新潮ドキュメント賞ダブル受賞
新大宅賞作家 瞠目のデビュー作!
これが情報戦だ!

「情報を制する国が勝つ」とはどういうことか――。世界中に衝撃を与え、セルビア非難に向かわせた「民族浄化」報道は、実はアメリカの凄腕PRマンの情報操作によるものだった。国際世論をつくり、誘導する情報戦の実態を圧倒的迫力で描き、講談社ノンフィクション賞・新潮ドキュメント賞をW受賞した傑作!

文句なしの一票を投じた。
これほど現代的なテーマを扱い、しかも内容的にすぐれた作品にはなかなかであえない。――立花 隆(講談社ノンフィクション賞選評より)





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