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オーストラリアのアボリジニ虐殺、 オーストラリア軍による日本兵捕虜の大虐殺…オーストラリアって反日国家なんですよ





■英語圏の大学に留学する場合、大学の講義についていくには最低でも1万語程度の英単語を知っていることが必要です★ 英語は英単語をたくさん暗記しないと実用では使えません"■

これまで色々と英語をマスターしようと頑張ってきた人なら共感してもらえると思いますが、英語を実際に使えるかは、どのくらい英単語を知っているかで決まりますよね。

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■オーストラリア軍の日本兵捕虜虐殺 ■ 

「オーストラリア軍の連中はもっとひどい。日本軍の捕虜を輸送機で南の方に 送らねばならなくなった時の話を覚えているかね? あるパイロットなど、 僕にこう言ったものだ 捕虜を機上から山中に突き落とし、ジャップは途中で ハラキリをやっちまったと報告しただけの話さ」

(リンドバーグ第二次大戦日記・新潮社刊 八月六日より)


「ニューギニアの密林を越えて、ホーランディア飛行場周辺に日本空軍の残骸が散乱していた。
着陸後、将校連と会議。談たまたま日本兵捕虜の数が少ないという点に及ぶ。
『捕虜にしたければいくらでも捕虜にすることができる』と将校の一人が答えた。
『ところがわが方の連中は捕虜をとりたがらないのだ』
『(原文伏字)では二千人ぐらい捕虜にした。しかし、本部に引き立てられたのは
たった百人か二百人だった。残りの連中にはちょっとした出来事があった。
もし戦友が飛行場に連れて行かれ、機関銃の乱射を受けたと聞いたら、投降はためらうだろ?』
『あるいは両手を挙げて出てきたのに撃ち殺されたのではね』と、別の将校が調子を合わせる」

★ ホーランディア攻略戦で敗れて捕虜となった日本軍人の大多数は、機関銃の乱射で殺されたのである。

オーストラリア軍の捕虜虐殺
http://www.tamanegiya.com/o-sutoraria19.1.20.html

孤高の鷲〈下〉―リンドバーグ第二次大戦参戦記 学研M文庫
チャールズ リンドバーグ (著),
Charles A. Lindbergh (原著), 新庄 哲夫 (翻訳)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4059011150/249-7534127-5484316

【ジュネーブ条約と捕虜待遇】旧日本軍以外、どこが守った?
http://kaz1910032-hp.hp.infoseek.co.jp/140212.html





■オーストラリア軍の不法行為について■

「オーストラリア軍の連中はもっとひどい。日本軍の捕虜を輸送機で南の方に送らねばならなくなった時の話を覚えているかね?
あるパイロットなど、僕にこう言ったものだ 捕虜を機上から山中に突き落とし、ジャップは途中でハラキリをやっちまったと報告しただけの話さ」(リンドバーグ日記八月六日)

ブーゲンビル島トロキナでは、オーストラリア軍によって、日本軍捕虜に「死の行進」が課せられた。ナウル島とオーシャン諸島を占領していた日本軍は、一九四五年九月、オーストラリア陸軍の捕虜となった。

同月二〇日にナウルの日本兵約二〇〇〇名がトロキナの仮収容所に移送されることとなったが、栄養失調と疫病で衰弱しきっているにもかかわらず、気温三五~三八度の中を一〇マイル行進させられた。翌日、到着の一二五〇人も同様であった。

豪州軍の警備兵は行軍の速度をゆるめることを許さず、水もほとんど与えられなかった。死亡者が続出した。
体験者の回想によれば、川を見つけた日本兵が水を求めて駆け寄ると、川の両側に並んだ豪州軍将校たちが水を飲ませまいと、足で水をかき混ぜて泥水にし、そのうえ銃を向けて威嚇した。
一〇月八日に着いたナウルからの七〇〇人とオーシャンからの五一三人も同じ扱いを受けた。

くわえて、一〇月末にファウロ群島の常設収容所に移動させられた時には、マラリヤに多数が感染したが、豪州軍は予防薬を支給しなかった。捕虜のほとんど全員が感染、約七〇〇名が死亡したとみられる。


以上「日本の反論」米田健三著 p165およびp171~172よりの引用ですが、米田氏は
リンドバーグ日記および「軍事史学 第三五巻第二号」喜多義人論文より引用されています)

http://www.tamanegiya.com/o-sutoraria19.1.20.html




■会田雄次氏の著書「アーロン収容所」(中公文庫)の中にはオーストラリア兵の残虐さについての記述もあります■

…以下引用…
 
その中でも豪州兵は目立って程度が悪かった。その兵舎を膝をついて雑巾がけしていると、いきなり私の額でタバコの火を消されたことがあった。

くそっと思ってにらみつけると平気な顔で新聞を読んでいる。激しい憎悪がその横顔に浮かんでいる。ドスンと目の前に腰をおろし、その拍子のようにして靴先でいやというほどあごを蹴り上げられたこともある。

私をひざまずかせ、足かけ台の代わりにして足をのせ、一時間も辛棒(ママ)させられたこともあった。

ある日K班長が、青ざめ、顔をひきつらせて豪州兵の兵舎作業から帰ってきた。聞くとかれは、豪州兵の便所で小便をしていると、入ってきた兵士にどなられ、ひざまずかせて口をあけさせられ、顔に小便をかけられたという。日本兵は便器でしかないという表示である。
そのすこし前に配達された妻からの便りを手にしていなかったら、このおとなしい兵隊は、死刑覚悟でその豪州兵を殺していたかもしれないほどの形相であった。p70~71

…引用終わり…

http://www.tamanegiya.com/a-ronnsyuuyo-suto19.9.2.html




■オーストラリア人による人間のスポーツハンティング ■

サフル大陸(オーストラリア大陸)では、1788年よりイギリスによる植民地化がはじまるにつれ、動物のみならず、原住民であるアボリジニをスポーツハンティングするようになる。

1803年にはタスマニアへの植民が始まってからは同じくタスマニア島のアボリジニに対するスポーツハンティングが行われ、さらには、組織的なアボリジニー襲撃隊も編成され、島を一列で縦断し島民をすべて虐殺した。

このようなアボリジニへのスポーツハンティングの背景には、アボリジニを人類以前の類人猿とみなす人種差別的な当時の考え方があった。

なお、1828年には開拓地に入り込むアボリジニを、イギリス人兵士が自由に捕獲・殺害する権利を与える法律が施行された。


(Wikipedia 「スポーツハンティング」より)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%84%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B0


「世界差別問題叢書 5 増補 アボリジニー」明石書店1993年
「世界差別問題叢書 5 増補 アボリジニー」明石書店1993年、p42



■オーストラリアでの「アボリジニ狩り」の記録…
ある日の獲物として『アポリジニ 17人』と記載があった。1928年のことである。■


オーストラリアが流刑地だったのは18世紀までだった。
だから、オージーに先祖を聞くと、 「うちは18世紀以降に入植した」 と答えるそうだ。
だが、その入植者たちは流刑者以上に悪質だった。
白人たちは毎週末に、アボリジニ狩りに出かけた。

ニューサウスウェールズ州立図書館に残された記録には、ある日の獲物として『アポリジニ 17人』と

記載があった。1928年のことである。

日本で言えば昭和3年、 初の普通選挙による総選挙が行われた年だ。
手塚治虫が生まれた年でもある。





■オーストラリアのアボリジニ虐殺の歴史■

さらに徹底的に抹殺されたのがオーストラリアのアボリジニであった。

英国は、1788年に11隻の船団に流刑囚1473名を乗せて、シドニー近くのボタニー湾に送った。

その後に続いた一般植民者も、本国では受け入れられない「ならず者」や「無法者」が多かった。
これら入植者がレクリエーションとして、アボリジニを野獣や野良犬のように狩りの対象としたこともあり、最初の船隊が来た時には数百万人いたのが現在では30万人にまで激減している。

白豪主義政策が国是となり、「アボリジニ狩り」をしていたことを示すものとして、ニューサウスウェールズ州立図書館には、「今日の収穫27匹」という記録がある。

入植者にはアボリジニを殺害することへの罪の意識は全くなく、楽しいハンティングのようなものであった。
しかしその後、「狩り」が問題となると、ヒ素や水銀などを水飲み場に流し毒殺するなど、アボリジニ殲滅の方法は陰湿になっていった


アボリジニの虐殺に関する子供の時の思い出を、女流詩人メアリー・ギルモアは『シドニー・モーニング・ヘラルド』紙(1938年3月4日)に次のように書いている。

「水飲み場の周辺に何百人ものアボリジニが死んでいた。大人たちが集まり、アボリジニの狩りに出かけるところを何度も見た。欧州から獰猛な狩猟犬が輸入された。
アボリジニたちを狩りだし、食い殺させるためだった。
ある時は小さな子供たちが、野犬のように撃ち殺された両親の遺体のかたわらで死んでいるのも見た」





1935年、国際連盟は原住民の虐殺や差別について、オーストラリア政府に釈明を求めた。
しかし、オーストラリア政府はそもそもアボリジニを国民とみなしていなかったので、人口動態国勢調査対象からも外し続け、アボリジニを人口統計に入れたのは1973年の憲法改正以降であった。


2000年のシドニー・オリンピックの開会式では、アボリジニとの融和を演出しようとしたが、反発が強く一部が協力を拒否したため、白人がアボリジニに扮して友好和解を世界にアピールする演出をしたという。

特に悲惨なのはタスマニア島の原住民で、当初は3万7000人が住んでいたが、1847年には44人となり、最後には絶滅してしまった。

◆(元海上自衛隊海将補、平間洋一著『日露戦争が変えた世界史』p23~24)◆
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こんな捏造記事を世界中にバラ撒いていたのもオーストラリア人でした

■毎日新聞(英語版)から5年間も配信された変態記事一覧■ 毎日新聞問題の情報集積wiki

http://www8.atwiki.jp/mainichi-matome/pages/33.html#id_c8f55afc
http://hoi333.blog.fc2.com/blog-entry-23.html

★日本人の母は、成績を落とさないために自分の子供にフェラチオをする」(2002年1月6日配信)

「日本人の母親は、中学の息子が入学試験に合格するためにはどんなことでもする。『お母さん』、
息子のハルキは内気に、しかし、しっかりとした声で言った。『お母さんとやりたい』。
そして、毎晩、ハルキの勉強は、15分間の母親によるフェラチオから始められた。
彼の集中力は向上した。そして彼の成績は急上昇した。」

★「キャンパス極秘情報: 女子学生は課外セックスをして通貨を集める」(2008年01月09日配信)

もし一回限りのお楽しみをした人たちを数えるだけなら、女性大学生の約五十%が『援交』をした
ことがあるでしょうね」と、二十歳の大学生は語り東京の有名私立大学である彼女の学校における、
課外不倫サークルのメンバーの数は約二ダースにのぼると説明。

★「日本の女性はイきすぎで病気だ」 (2008年1月29日配信)

イクイク病の記事再び。実在する(と思われる)病気である持続性性喚起症候群をイクイク病と
呼ばわり、12万人の日本人女性がこの病気に悩まされている。

副編集長の肩書きを持つ「ライアン・コネル」というオーストラリア人と、
「カミヤマ(★在日朝鮮人?)」というペンネームで執筆する毎日の社員は、「日本と日本人」を
陥れる事を明確に意識して、こういうニュースを世界にばら撒いていました。
彼らは自分が配信した「変態記事」が、欧米のニュースサイトやブログに無数に転載され、
「日本人は女は売春婦、 男はその子供」と、差別的な嘲笑を 書き立てる道具になることを目的として
こういう記事を世界中に配信していました。




【オーストラリア】緑の党のブラウン前党首、反捕鯨活動リーダーに

米国に本部を置く反捕鯨団体シー・シェパードの創設者であるポール・ワトソン氏がこのほど、同団体の代表を退くと発表した。捕鯨妨害キャンペーンの運営は今後、環境政党グリーンズ(緑の党)のボブ・ブラウン前党首と、同団体のオーストラリア代表に就任したジェフ・ハンセン氏が引き継ぐ。9日付エイジなどの新聞メディアのほか、テレビも大きく報道。日本対策であることも強調している。
 シー・シェパードの妨害活動をめぐっては、米国の裁判所が先ごろ、日本の捕鯨船団への妨害行為を差し止める仮処分命令を決定。シー・シェパードは、調査船を攻撃することや調査船の450メートル以内に近づくことが禁じられた。
 35年前に同団体を設立したワトソン氏は、「抗議船スティーブ・アーウィン号の船長の座を含め、すべての役職から退任する」と説明。ただし、捕鯨反対キャンペーンの監視者として、役員会には残るという。
 昨年にグリーンズの党首を辞任したブラウン氏は、「ワトソン氏はこの先、活動の表舞台には立たず、任務の達成に向けて今後の運営はわたしとハンセン氏が引き継ぐ」と話した。
 なお、ワトソン氏に対しては、国際刑事警察機構(インターポール)から身柄引き渡しのために逮捕を求める「国際手配」が出されており、同氏は現在もスティーブ・アーウィン号に乗船している状況だ。ハワード政権下で環境相を務めたイアン・キャンベル氏は、ワトソン氏の退任を機に、同氏が安全にオーストラリアに上陸できるようギラード政府が手を差し出すべきと主張している。

2013年1月11日

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130111-00000009-nna-asia


■日本の捕鯨に反対して、オーストラリアの日系人墓地を荒らす■

2008年には映画ザ・コーヴの公開に乗じてシー・シェパードが太地町とオーストラリアのブルーム町の姉妹都市提携を止めさせる事を呼びかけ、ブルーム町が大量の呼びかけに応える形で姉妹都市提携をやめさせる決議をし、その際に日系人墓地を荒らす事件などもおきた。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E8%B1%AA%E4%B8%BB%E7%BE%A9




オーストラリアって中国、南北朝鮮と同類で、世界でも極少数の反日国家の一つなんですよ(笑)


White Australia policy  Aborigines mass slaughter



http://youtu.be/eEFA04B1O6g



http://hoi333.blog.fc2.com/blog-entry-1805.html


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