日本の歴史学者が、韓国の歴史学者を軽蔑する理由とは

■なぜ、日本の歴史学者は、韓国の歴史学者を軽蔑するのか■

「わが国の中・高等学校教科書を見ると、百済・高句麗・新羅三国の文化
が日本に伝えられた話が出てきますが、その内容は日本古代史書である
「日本書紀」を土台にしているもので、わが国の史書にはありません。
(そもそも韓国に古代の文献はほとんどない)

ところが、日本の学者が「日本書紀」を土台にして、古代日本が二百年余り
朝鮮半島南部の伽耶(日本名任那)地域を支配したという「任那日本府説」を
主張すると、韓国の学界ではそれは信じることができないと主張しています。

これは明白な矛盾であり、こうした姿勢ゆえに日本の学界が韓国の学界を軽く
見るのではありませんか」という、身の程を知らぬ質問をした。

そうしたら、L教授は黙り込んで答えず、横に居られたC教授が
「自信がないんだよ」とおっしゃった。

「日本書紀」には日本が「任那日本府」という機構を置いて朝鮮半島南部を支配しつつ、
三国文化を運んでいったようになっている。

しかし、韓国の中・高等学校では三国文化が日本に伝播される国際関係に関しては
何の説明もされず、ただ高句麗・新羅・百済の三国が日本に文化を伝えた事実だけを
教えている。

そこで学生達は日本を客観的に理解できずに、無条件、対日優越意識だけを
助長する結果をもたらせた。外国に出かけたわが国の学生が「任那日本説」
に接して戸惑うのも無理はない。…

…高麗大学教授 金鉉球 鄭大均 「日本のイメージ」より…






■17世紀初頭、日本の人口は3000万人…中国の人口は6000万人…朝鮮の人口は300万人■

長時間討論の中で、聞いていてえっと驚くような主題や、あぁそうだったのかとあらため
て納得するような内容が幾つかあった。1392年に高麗が滅亡して李氏朝鮮が成立した。それ
以後の李王朝の実在は動かない。そして、歴史的に現在の韓国人とつながっているのが李王
朝の国家と国民であることは疑いを容れない。

しかしそれ以前の半島の歴史は正確にはなにも全くわかっていないのだ、と金完燮氏は言う
のである。韓国人は、だから自らの民族のアイデンティティに大きな不安を抱いている、と。

通説としては、676年に新羅が半島を統一したというような話になっているが、そういう
歴史的展開はぜんぶ現在の大陸東北部で起こった出来事であって、半島の歴史ではない、と
いうのである。
古代史に関する彼の大胆な「仮説」は、27日にあらためて聴くことになっている。
ともかく、半島における高句麗、新羅、百済の三韓の葛藤劇もことごとく歴史的実在が疑わしい。

要するに1392年より以前の半島の歴史で確実なことは何もわからないので、韓国人の歴史への
自信喪失は根が深いのだという話である。

17世紀初頭、日本列島には3000万人の人口があった。同じ時期、あの広大な中国の人口
はわずか6000万人であった。(確かに、中国の人口が一億を越えたのは17世紀後半の清王
朝の成立より後のことである。)朝鮮半島の人口は、当時300万人程度であった。朝鮮人から
みて日本列島はすでに当時から人口の多い「大陸」であり、一つの大きな「文明」であった。
今のように島国の日本というイメージではなかった。朝鮮半島は二つの「大陸」にはさまれ
ているという自己認識であった、と。

★17世紀でさえ朝鮮半島の人口は300万人程度だそうだ。要するに食料生産性が
低いということです。こんな程度の人口では古代中国の帝国と戦争などできなかった
だろうね。





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