応永の外寇(1419年) …李氏朝鮮の対馬侵略 朝鮮兵17000人 vs 対馬兵600人…でも、日本軍の完勝(笑)





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■通州事件…盧溝橋事件発生から3週間後の1937年7月29日
北平(北京)東方の通州で中国保安隊による大規模な日本人虐殺事件が発生した■


夫を生きたまま腹を切り裂き…「これはおいしいぞ、日本人の腸だ、焼いて食べろ」…そうして、その妻である妊婦の腹を切り裂き胎児を取り出す。

それはこの男の人の頭の皮を学生が青竜刀で剥いでしまったのです。
頭の皮を剥いでしまったら、今度は目玉を抉り取るのです。このときまではまだ日本の男の人は生きていたようですが、この目玉を抉り取られるとき微かに手と足が動いたように見えました。





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応永の外寇(1419年) …倭寇討伐を名目にした李氏朝鮮の対馬侵略


永楽17年(1419年)6月、李氏朝鮮の太宗は倭寇撃退を名目にした対馬侵攻を決め、対馬の守護が不在である時期を狙って、李従茂率いる227隻、17,285名の軍勢を対馬に侵攻させた。日本側の留守を預かる武士の数は600人程度であり、通常の軍事的常識から見れば朝鮮軍の圧勝のはずであった。

朝鮮軍は、6月17日に巨済島を出航したが逆風ですぐに引き返し、19日に再出航、20日昼頃に対馬の尾崎浦(『朝鮮王朝実録』には豆知浦とある)附近へ上陸した。一帯の一般船舶129隻を焼き払い20隻を奪い、民家1939戸を焼き払い、また104(実録には首級114)の島民を殺害したとされる。しかし26日頃には、仁位郡(『実録』では尼老郡)で対馬側の伏兵に遭い多大な損害を受け、李従茂の軍は尾崎浦まで退却、戦局は膠着状態に陥った。


朝鮮側は、29日に宗氏に対して対馬の属州化などを要求する使者を送るが宗氏に拒絶された。損害の大きくなった李氏朝鮮側は対馬側の和平提案を受け入れ、7月3日に巨済島へ全面撤退した。


李氏朝鮮側の被害は日本の資料では死傷者2500以上。朝鮮側の資料である『世宗実録』では6月26日の襲撃で死者百数十人、7月10日の記録では180人とされているが、これでは6月26日、7月10日の損失を合計しても総数の2%程度であり、この程度の損害で和平を受け入れるとは考えにくく、6月26日は敗戦と自ら明記し、将官も戦死していることからも、実際の被害は相当数にのぼると思われる。


8月5日の記録では日本の戦死者20人に対し朝鮮側が100余名とされている、総じて朝鮮軍は不利であったようであり、この事は保護された中国人の扱いにおいて「対馬での朝鮮軍の弱小ぶりを詳細に見たことから中国に返還できない」と主張する左議政朴訔に対し、右議政李原らは「事大の礼を尽くして送り返すべき」と反論したという記録や、朴実が敗戦の罪により投獄され、李従茂が国民への影響を理由に免罪となった事からも窺え、朝鮮軍が尋常ではない負け方をしたことが推測される。





兵  力:
(日本) 600人
(朝鮮)17,285人


戦死者:
(日本)  20人    
(朝鮮) 2,500人以上




李氏朝鮮軍の当時の装備
将軍クラスでこんな感じ


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19世紀になっても、将軍クラスの甲冑でもこのレベル(笑)  



一般の朝鮮兵は鎧すらなかった(爆笑)

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もう、当時、対馬にいた中国の商人達が大笑いするほどに朝鮮軍は大敗した。

朝鮮の兵力は、精鋭部隊1万3000人(奇襲上陸)、それを迎えうった対馬兵って、留守番役で数が少なく、足軽級もいれて、たったの600人。(当時、藩主他、主力は京都や天津にいた)

それで、当時、対馬にいた中国人が記録してるが、もう、笑っちゃうほどに朝鮮将兵は弱かった。

最初の弓合戦でも、ただの一矢も朝鮮側は届かすことが出来ず、逆に対馬兵の弓矢は百発百中、それだけで、対馬兵に殺され放題だった。

日本武士は、一人で600人斬ったのもいたそうで、最後は、適当、バラバラに斬り込んで、斬り殺し放題、朝鮮将兵は、日本刀で切られると、刀、兜、鎧ごと、スパスパ切り落とされるので、泣き喚いて逃げてたと。最初の朝鮮軍の奇襲で殺された対馬村民以外は、朝鮮将兵は一方的に狩り取られたw

日本側は多勢に無勢を気にする風もなく、奇襲強襲、釣り野伏せ(待ち伏せ)など、したい放題で一方的に勝利、

600人で1万3000人を10日ほどで完敗させ、朝鮮側は最終的に対馬が日本であることを再確認させられ、その上、毎年大量の米を対馬に献上することを約束させられた



翌年には朝鮮から回礼使として宋希璟が派遣され、4代将軍足利義持に拝謁して日本と和解した。宋希璟は日本の見聞録を『老松堂日本行録』として書き著した。


この事件により対馬や北九州の諸大名の取締りが厳しくなり、倭寇の帰化などの懐柔策を行ったため、前期倭寇は衰退していく。また、この事件の報が日本本土に伝わった際、元寇の再来との憶測が流れた。なお、清の徐継畭の『瀛環志略』や李氏朝鮮の安鼎福の『東史綱目』には、倭寇の原因は日本に対する侵略行為(元寇)を行った高麗(朝鮮)への報復である、と記述されており、応永の外寇以前の前期倭寇は局地的な奪還・復讐戦であるとして「倭寇」と呼ばず、これ以降の後期倭寇を「倭寇」と考える説もある。




明治維新まで毎年米200石を対馬に貢ぎ続けた李氏朝鮮

1443年(日本暦嘉吉3年)に李氏朝鮮と対馬の宗貞盛との間で嘉吉条約(かきつじょうやく)が結ばれたが、対馬からの歳遣船(交易船)の数を毎年50隻を上限とすることの他に、歳賜米200石を李氏朝鮮が対馬に毎年支給することが確認されている。歳賜米とは聞こえが良いが、態の良い賠償金であり、一時的に中断したことはあっても、単純に計算して425年間に8万石以上の米を対馬に献上したことになる。

対馬の宗氏は豊臣秀吉、徳川家康に所領を安堵され、改易されることもなく幕末まで続き、明治維新の版籍奉還で藩は消滅し、宗氏は華族に列せられた。

ソース⇒http://koramu2.blog59.fc2.com/blog-entry-759.html



李氏朝鮮側の被害は日本の資料では死傷者2500以上、『世宗実録』では6月26日の襲撃で死者百数十人、7月10日の記録では180人とされている。しかし士気の衰えや船舶の損耗、旧暦7月は台風シーズンであることにより再出撃が行われなかったことや、6月26日、7月10日の損失を合計しても総数の2%程度であり、この程度の損害で和平を受け入れるとは考えにくく、6月26日は敗戦と自ら明記し将官も戦死していることからも、全体の被害は相当数にのぼると思われる。

8月5日の記録では日本の戦死者20人に対し朝鮮側が100余名とされている、総じて朝鮮軍は不利であったようであり、
この事は保護された中国人の扱いにおいて「対馬での朝鮮軍の弱小ぶりを詳細に見たことから中国に返還できない」と主張する左議政朴訔に対し
右議政李原らは「事大の礼を尽くして送り返すべき」と反論したという記録や、朴実が敗戦の罪により投獄され、李従茂が国民への影響を理由に免罪となった事からも窺える。





現代でも、竹島をドサクサに紛れて不法占拠している朝鮮人。昔から変わらないんだね、こいつらの民族性は(笑)


そういえば、最近 韓国では「対馬は歴史的に我が領土」なんて言ってるそうだけど…こいつらとは永遠に国交断絶したいね




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デモ隊に泣いて助けを求める「韓国の機動隊員」(笑)






朝鮮人が「臆病で卑怯者」なのは民族性です(爆笑)




■戦う意識調査…日本、中国、韓国…最も臆病者は韓国人■

▲日本、中国、韓国3カ国の青少年のうち…「戦争が起きたらどうするか」との質問に
…「率先して戦う」と回答した割合は…

日本(41.1%)と最も高く、
中国(14.4%)、
韓国(10.2%)

と大きな意識差があることが、3カ国の研究機関による国家観共同調査で分かった。

▲「外国に逃れる」は…

日本 1.7%、
中国 2.3%
韓国 10.4% と高い割合だった。

★「韓国…外国に逃げる…10.4%」…でも、日本には来ないでね(爆笑)



韓日中3カ国の青少年を調査した結果、戦争が起こったとき、先頭に立って戦うという意志が日本が最も強い一方、韓国は最も弱いものであることがわかった。

13日、韓国青少年開発院によると、3カ国の中・高校2年生と大学生ら2939人を対象に歴史認識と国家観に対するアンケート調査を実施した結果、「戦争が起こればどうするか」という質問に日本青少年41.1%が「先頭に立って戦う」と回答した。中国(14.4%)や韓国(10.2%)よりずっと高かった。

日本の青少年はその次の「まず避難する」(38.4%)「状況を見て決める」(11%)「できる役割遂行」(4.4%)「外国に出国」(1.7%)を挙げた。一方、韓国では「状況を見て決める」(34.4%)が最も多く「できる役割遂行」(30.8%)「まず避難する」(13.2%)「外国に出国」(10.4%)が続いた。中国では過半数が「できる役割遂行」(55.7%)と回答した。

国家的自負心は中国が最も高かった。中国青少年のうち60%が「中国人であることを非常に誇らしく思う」と回答し、韓国(37.7%)や日本(21.5%)を大きく上回った。また中国の青少年は62.2%が国の未来に対して「かなりよくなる」と希望を表した。韓国は「少しよくなる」という回答が、日本は「少し悪くなる」という否定的回答が最も多かった。

各国の青少年が挙げた自国民の長短所は国別で違った。韓国青少年は韓国人の最大の長所は団結心、欠点はせっかちなところだと指摘した。中国は勤勉さと利己心、日本は礼儀正しさとぜいたくなことをそれぞれ長短所に挙げた。

韓日中3カ国が中心になるアジア国家連合を結成する問題に対しては韓国(63.5%)と中国(53.1%)の青少年は過半数が賛成したのに比べ、日本は「賛成する」(44.5%)と「まあまあだ」(45.3%)がほぼ同じ比率だった。

今回アンケート調査は韓国青少年開発院と中国の青少年政治塾青少年政策研究所、日本の尚絅学院大学が3~6月、共同で実施した。

韓国青少年開発院オ・ヘソブ副研究委員は「韓日中の青少年たちは概して国家連合結成を支持した」とし「彼らが社会の主役になる10~20年後、過去の歴史問題を超える韓日中共同体を形成することができるだろう」と話している。  
  
2006年08月14日
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=78839&servcode=400§code=400





■日本の新聞に投稿…韓国人留学生が「在日韓国人はコウモリみたいな奴ら…祖国で国民の義務を果たせ」■

しかし、世の中には韓国の国籍をもつ健康な男性でありながら、この義務を負わなくてもよい特殊な部類がいる…
在日韓国人といわれる部類である。
韓国の国籍を持ちながら日本の永住権を持ち日本で生活しているコウモリ的な存在である。
国民の義務は負わないのに権利だけ持つ彼らは、韓国の国民でありたいのなら軍隊へ行き国民の義務を果たすべきだ…
おいしい所だけを持って被害者面で甘えている彼らには精神的再教育が必要なのである

http://livedoor.blogimg.jp/hoshusokho/imgs/d/1/d17807bf.jpg





■朝鮮戦争で、物乞いに成り済まして逃亡した韓国軍の将軍たち■


朝鮮戦争のとき、中共軍と北朝鮮軍は韓国軍だけを狙った。いい獲物だったからだ。

1951年の敵による春季攻勢では、中共軍の小部隊が韓国軍3個師団の後方にある峠道を1本占領したところ、たちまち数万人の大部隊が浮き足立った。

韓国軍の将軍たちは物乞いに成り済まして逃亡した。米軍の指揮官があきれ返り、韓国軍の軍団長に「あなたの軍団はどこにいるのか」と尋ねたところ、軍団長は「知らない」と答えた。

恥ずかしいという言葉ですら、表現し尽くせない。

そのとき中共軍に捕らえられた数万人の韓国軍捕虜が、端が見えないほど長い列を作っている写真を見た。「今は違う」と、幾度も自分に言い聞かせた。

しかし現在の状況は、果たして韓国軍の本質がその当時とは違うのか、と問い掛けている。
また、韓国国民の本質がその当時とは違うのか、と問い掛けている。

http://www.chosunonline.com/news/20101205000023





■朝鮮戦争での李承晩と金日成…典型的な臆病で卑怯な朝鮮人■

▲朝鮮戦争で、李承晩は、北朝鮮の侵攻直後から逃げてばかりで、北朝鮮軍がまだ、ソウル近郊にも達してないのに釜山近くまで逃げて行方不明状態になり、 途中の太田付近で米軍の少尉に説教を食らうと、韓国軍の指揮権を米軍に委譲すると言って、さらに列車で逃走w

安全で敵も遠かった釜山近郊でも、すぐそばで、米軍の大砲の試射音がしただけで、 李承晩は顔色を変えて日本に行くと言い張り出して、アメリカの大佐から、あんたの部下は戦ってるよと長々と小言を言われたw

日本にいたマッカーサーも呆れ果てて、何があっても日本には上陸させないと打電。(それに対して、李承晩は北九州がダメなら、島根、鳥取でも良いとアホな返電w)


▲金日成も、米軍の仁川上陸に慌てまくり、まだ、平壌から米軍は遠いのに、 中国国境まで不眠不休で逃げて逃げて逃げまくり、 国境線で鉢合わせした中国軍司令官の膨徳懐に、列車から引きずり降ろされてビンタ3発食らった。

さらに、膨徳懐に、「もう、戦ってるのは中国兵だけだから、我々の戦争だ。お前は命令書に名前だけ書いてろっ」 と一喝されて指揮権を剥奪され、それに「ええ、同志に任せます」とへつらって従った。

開戦直後から、南北ともに軍最高司令官が逃げ出し、指揮権を奪われた屈辱民族www

両方とも、実際に見た人達の証言が中国・ソ連、米国それぞれに残っているので、 疑いようのない「史実」w







■「韓国守る必要なし」トランプ氏に喝采送る米有権者、朝鮮戦争で「敵前逃亡」ばかりしていた韓国軍に“根深い”不信■

トランプ氏の身勝手にもみえる発言の裏には、朝鮮戦争で「自分たちの戦争」を米国に押しつけて敵前逃亡した韓国軍のイメージが当時を知る人の間で浸透しているという事情がある。

朝鮮戦争で米軍中心の国連軍を率いたマシュー・リッジウェイ将軍の、困難な“朝鮮戦争後半戦”をしのいだ名将は自著「THE KOREAN WAR」(日本語版・恒文社)で、韓国軍のありのままの姿を描写している。


★「韓国軍の態度だけが私の悩みだった。進撃する中国軍は韓国軍部隊を次々と敗走させ、そのたび韓国軍は補充困難な、高価な多数の(米国供与の)装備を放棄した」。

★中国軍の攻勢に韓国軍が「戦線の遙か後方まで駆逐され」た。そして「退却する韓国軍が放棄した装備は、肩をすくめるだけで済むものではなかった。それは完全装備の数個師団を充分に装備できた」と嘆いている。武器を放り出して敵前逃亡するのは韓国軍の常だった。

★リッジウェイによれば「李承晩大統領の第一の課題は、彼の軍隊に充分な統率力を確立することであった」が、李大統領自身が、戦争勃発時に民衆や軍を置き去りにして韓国南部へ逃走を続けた人物だ。そんな最高司令官に倣ったのか、韓国軍の敵前逃亡癖はなおらなかった。逃げる上司と、逃げる部下…。
2年前のセウォル号沈没事件を彷彿させる。

★誰より韓国軍を弱兵と見下し軽蔑していたのは中国軍だった。戦線に突破口を開こうとする際、中国軍は、英軍やトルコ軍、米軍の担当戦線区域ではなく、常に韓国軍の担当区域を攻撃し、もくろみ通り韓国軍は総崩れとなった。
リッジウェイによれば「韓国軍1個師団の崩壊によって、他の国連軍部隊の各側面が危険にさらされ、彼らもまた後退を余儀なくされた」。

★リッジウェイは、日本ではダグラス・マッカーサーほど知名度は高くないが、米国では「最高の軍人」との評価が確定している。
朝鮮戦争当時、中国軍の人海戦術に押され士気阻喪した米第8軍を戦闘集団としてよみがえらせた手腕は、米陸軍で統率(リーダーシップ)の手本として今も信奉されるとともに、一般のビジネス書にも組織運営の理想として取り上げられている。
そのリッジウェイの著書によって、多くの米国民が、「本当の朝鮮戦争」を知っているのだ。

そして、上官と部下が揃って逃げる韓国軍の実態も-。


詳しくは⇒ http://hoi333.blog.fc2.com/blog-entry-1804.html









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■終戦直後の日本人引揚者を襲う朝鮮人たち…「竹林はるか遠く」

朝鮮人の男たちが、藪の中へ女の人たちを引きずっていくのを見たし、若い女性に乱暴しているのも見たわ(111頁)。

彼ら(朝鮮人)は悦楽を求めて人々の間をよろよろ歩き、そして娘たちを見つける度に外へ引きずり出した。たびたび女たちの悲鳴が響いた。(118頁)。

また、朝鮮人が、日本人を殺したうえで金歯まで抜いている記述もある(129頁)。





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