『日本人はなぜ特攻を選んだのか』 黄文雄 著…日本人の特攻を海外ではどう捉え、いかなる影響を及ぼしたか…仏作家で文化大臣も務めたアンドレ・マルローは「日本は戦争に敗れたが、何ものにもかえがたいものを得た。それは特別攻撃隊である」

■尊い犠牲が後世に遺したもの

 来年はレイテ沖海戦から70年。この戦いで初めて神風特別攻撃隊が編成され、以後、沖縄戦から終戦に至るまで、特攻により多くの若者の命が失われました。戦後、特攻は「軍国教育の洗脳によって行われた、無駄な死だった」という論調が主流となりましたが、本書では、台湾出身の著者が、日本人の特攻を海外ではどう捉え、いかなる影響を及ぼしたかを論じています。


そこから見えてくるのは、日本での一般的評価とは大きく異なるものです。


仏作家で文化大臣も務めたアンドレ・マルローは「日本は戦争に敗れたが、何ものにもかえがたいものを得た。それは特別攻撃隊である」と評し、

ジャーナリストのベルナール・ミローも「特攻隊員たちは、すでに忘れられてしまった人間の偉大さを見せつけてくれた」
とまで記しています。

特攻基地があったフィリピンでは特攻隊の話に感動した現地の人たちの尽力で1974年に記念碑が建てられたそうです。


 
さらに本書では、ビルマ(現ミャンマー)の独立運動家バー・モウらの証言を紹介しながら、特攻は欧米列強の植民地だったアジア各国にも衝撃を与え、戦後の独立を導いたことを検証しています。


 一方で、「統率の外道」と呼んだ特攻をなぜ日本はあえて選んだのか、他国との死生観の違いや精神史を比較した考察も行っています。


 映画『永遠の0』の公開を控え、特攻隊への関心が高まっていますが、本書は、先人たちの尊い犠牲が後世に遺(のこ)したものの意味を改めて問う一冊です。(徳間書店・1050円)


2013.11.23

http://sankei.jp.msn.com/life/news/131123/bks13112309230004-n1.htm














http://youtu.be/kBN-cEkuPBE


【神風特攻隊】特攻―空母バンカーヒルと二人の神風(ケネディ著)




著者マクスウェル・テイラー・ケネディ氏はロバート・ケネディ元司法長官の息子であり、ジョン・F・ケネディ元大統領の甥にあたる。その著者が注目したのが、太平洋戦争で特攻機の突入を受けた米空母バンカーヒルの物語である。


著者は、「特攻」について次のように述べ、そのスタンスを明確に示している。

「彼らの最後の望みは、未来の日本人が特攻隊の精神を受け継いで強い心を持ち、苦難に耐えてくれることだった。

私たちは、神風特攻隊という存在をただ理解できないと拒絶するのではなく人々の心を強く引きつけ、尊ばれるような側面もあったのだということを今こそ理解すべきではないだろうか」
 



1945年5月11日、沖縄沖の米艦隊を目指し、多数の特攻機が九州から飛び立った。そして安則盛三中尉(旅順師範学校・21歳)と小川清少尉(早稲田大学・22歳)の搭乗機がバンカーヒルに突入、この空母は甚大な被害を受け、650名以上が死傷した。本書は、その日の激闘を中心に、そこに至る経緯、そしてその後を描いたノンフィクションである。

著者は、日米双方の視点でこの戦いを描くべく、何年にも及ぶ綿密な調査を行い、元特攻隊員を含む多数の日米両国の生存者と その家族を精力的に取材。来日は3度にわたる。


本書は、若き特攻隊員の置かれた立場やその心境を丹念に追いつつ、何が軍部を特攻作戦に駆り立てたのか、隊員たちは、いかにしてそれを受け入れ、実行できたのかを探ってゆく。そして、バンカーヒルの乗員たちの知られざる英雄的な行為──水兵とパイロットが力を合わせ、命がけで救助を行い、最終的に艦を守り抜くまでの一部始終──を描き、 極限の戦いの中でそれぞれの国のために尽くした男たちの真実の姿を明らかにした。


これまで日本側資料では、特攻の実際の場面を「当事者」の視点で描くことが難しかったが、米国側の詳細な資料と元乗員の生の証言を基にした本書は、米兵を震え上がらせた特攻の「実際」を、克明に、そして残酷に描き出している。

最初に突入したのは安則機。空母後方から降下し、爆弾を投下。爆弾は飛行甲板、側壁を突き抜けて爆発。次いで機体が突入、甲板上の航空機をなぎ倒しながら、海へと落下。多数の艦載機が炎上し、バンカーヒルは大火災を起こす。

小川機も急降下し、爆弾を投下、自身も艦橋基部に突入。爆弾は飛行甲板を貫いて格納庫で爆発、さらに大規模な火災を巻き起こした。機体そのものも艦橋を破壊、多くの死傷者を出した。

本書は「1945年5月11日の特攻」の単なる記録ではなく、あたかも一編の映画のように、迫真の人間ドラマとして生々しく再現した物語である。



◆各界からの声 詳しくは下記ページで。
http://heartshuppan.blog59.fc2.com/blog-category-33.html



【書評】

朝日新聞(2010年9月26日)にノンフィクション作家の保阪正康氏による「特攻-空母バンカーヒルと二人のカミカゼ」の書評が掲載されました。
保阪氏は、本書がバンカーヒルの死闘を詳細に描くことで、日米間の戦争観、文化、倫理の違いを明確にし、戦争をどのような姿勢で語り継ぐべきかを教えていると述べ、「評者は、日頃から記憶を父とし、記録を母として、教訓という子を生むべきだと主張しているが、 本書はその典型的な書として感動をた。……とくに学徒兵特攻隊員の小川清の出自や大学生活、昭和隊の隊員になるまでを遺族や戦友の証言で裏づける労には頭が下がる。……著者が公開させたと自負する文書や写真がこの書のテーマを一層映えさせている」と絶賛しています。

http://book.asahi.com/review/TKY201009280128.html

他に読売新聞、産経新聞、東京新聞、毎日新聞、歴史通、エアワールド、コンバットマガジン、致知、Jシップス、 特攻隊戦没者慰霊平和祈念協会会報「特攻」などにも書評が掲載されました。

★本書に関するニュースは、下記ページからご覧いただけます。
http://heartshuppan.blog59.fc2.com/blog-category-33.html





【資料】
バンカーヒルに突入した小川清少尉の遺品が遺族に返還された経緯については下記ページに詳細があります。
http://www.geocities.jp/kamikazes_site/tokko_episode/ogawa_syoi.htm



特攻隊員の遺品返還 ~小川清少尉と米空母バンカーヒル~

2001年3月27日サンフランシスコの日本料理店で大東亜戦争時の遺品返還が行われた。驚いたことにその遺品は特攻戦死した隊員が身につけていたものであった。普通、そのような遺品は燃えてしまい残らないが、このケースはほぼ完全な形で残されていたのである。この遺品から米空母バンカーヒルに突入した隊員の身元が明らかになった。通常どの機がどの艦船に突入したのか、なかなかわからないのであるが、このケースはそれがはっきりと確認できた実にまれなものであった。

●米空母バンカーヒル
 1945年(昭和20年)5月11日、ミッチャー米海軍中将率いる艦隊が旗艦バンカーヒルを中心に沖縄東方122km洋上にいた。沖縄に向け艦載機第1陣(25機)が発進し、第2陣(30機)、第3陣(48機)が発進準備をしていた。まさに豊富な物資をフルに活用した強力な米軍そのものであった

●小川清少尉
  一方、日本軍は連日沖縄の米軍艦船目指し特攻出撃していた。一時は特攻に手を焼き、危機感さえ抱いていた米軍であったがこの頃には特攻対策も整い、特攻機は米艦隊にたどり着くことさえ難しくなっていた。そのような状況にあった同昭和20年5月11日、菊水6号作戦という大規模な特攻作戦が開始された。早朝、若きパイロット達が万感の思いを込め、皆に今生の別れを告げながら次々と基地を飛び立っていった。その中に神風特別攻撃隊第7昭和隊員として小川清少尉もいた。この日小川少尉は零戦に搭乗し戦友たちの写真と送られた短歌を胸に尊い命を大切な人々に捧げるべく出撃していった。


小川少尉は大正11年小川家の末子としてこの世に生を受けた。長兄の松一氏(故人)によると、小さいときから何の変わりもない子供で、末子ということもあり両親から愛され、友達との争いもなく、学校も順調に進み、早稲田大学へ入学したとのことである。その後、学徒として出陣し、海軍飛行予備学生第14期として訓練を受け、海軍第721航空隊戦闘第306飛行隊(鹿屋)に所属していた。そして、他の同期の若者と同様、特攻志願し、身をもって国に殉ずる事になったのである。松一氏は「人生は良いことばかりはありません。時として涙することもありますが、今少し味あわせてやりたかったと思います。」と述べ、昭和63年の�・�神社のカレンダーに小川少尉の遺書が一部掲載されたことに触れ、また新たに涙したとのことである。この遺書は昭和62年5月に�・�神社社頭に掲示された。

この日、第一陣としてバンカーヒルより出撃していた米軍エースパイロット、スウェット氏は任務の日本軍機撃墜を終了し母艦に着陸しようとしていた。その時、突然低く垂れ込めていた雲間から1機の零戦が現れ、飛行甲板めがけて突入を開始した。その零戦はまず遅延爆発型の500kg爆弾を投下したが、これはバンカーヒルを横に突き抜けて海上で爆発した。そして機自身は離陸待ちで燃料を満載した艦載機をなぎ倒し、大火災を発生させ、甲板を通り越して海中に墜落した。大変勇敢な攻撃であった。

ほぼ同時に小川少尉搭乗の2機目の零戦が急降下を開始した。小川機は米空母の対空砲火をくぐりぬけ、搭載していたと思われる500kg爆弾を投下し、訓練されていた通り司令塔の根元近くの甲板めがけ体当りした。爆弾は飛行甲板を突き抜け大爆発を起こし、バンカーヒルは火の海と化した。この際、小川機は爆発せず、燃えることなく残っていた。周辺にいた駆逐艦3隻と巡洋艦が消火作業に当たったが、この2機の攻撃により死者は396名、負傷者264名という大きな被害を出した。

当時の若者達はこのような苛烈な作戦で自らの命を国に捧げたていったのである。


米軍からすると確かに悪魔の攻撃とされていたが、「外国人から見た"KAMIKAZE"」の項でも触れているように一方では英雄的行為として理解を示している人たちも多数いるのである。彼らが何のためにかくも苛烈な作戦を実行したのか、我々は真面目に考えるべきではないだろうか。
 その後、バンカーヒルはやっとのことで真珠湾に帰港し、バジェット・サウンド海軍造船所へ送られ、大修理の後再度航空機を搭載し、太平洋戦線へ出発したが、到着する前に終戦となった。



遺品と遺族探し  

当時、バンカーヒル乗組員であったロバート・ショック氏(故人)は被害にあったバンカーヒルの処理に当たっていた。その際、焼失されることなく残っていた零戦を発見し、パイロットの遺品を持ち帰り、大切に保管していた。 そのロバート・ショック氏も2000年11月17日に他界した。孫のダックス・バーグ氏は祖父の遺品を整理中にこの遺品を発見した。バーグ氏はその処理に関して、勤務先の上司であるポール・グレース氏に相談した。 一時は遺品の競売も考えたバーグ氏であったがグレース氏の説得もあり、遺族に返還することとした。グレース氏は偶然、日本人を妻としていたが、その妻、美幸・グレース氏を中心として特攻戦死者の遺品返還という大変困難と思われるプロジェクトが始まったのである。


美幸・グレース氏は米国でトップクラスの通訳の一人と言われている。通訳業務の傍ら、精力的にこのプロジェクトを推進していった。 幸運にもたまたまその時防衛庁が美幸・グレース氏の顧客になっていた。早速調査したところ、小川少尉の名前、出撃日、出身地から2000年12月19日にはもう所属部隊と遺族の連絡先が見事に判明したのである。美幸グレース氏は12月24日に遺族宛てにその旨手紙に認めた。遺族は転居し、宛名の小川松一氏もすでに故人となっていたが、12月30日には遺族のもとに届いたのである。その後、小川少尉の同級生、同期生の協力で短歌を贈ったのが岩間氏であり、遺品の写真の人物も判明した。
 このように短期間の間に小川少尉を巡る身元探しは完了し、遺族への遺品返還も順調に行うことが出来たのである。


●その後

このように特攻戦死したパイロットの遺品返還という大変珍しいニュースはアメリカでも関心を集め、サンフランシスコクロニクル紙、共同通信(AP)に掲載された。国内でも上毛新聞(4月1日)、産経新聞群馬版(4月13日)にも掲載され、日本テレビでも朝の番組で放送された。 また、バンカーヒル会という元乗組員の戦友会があり、この会合でも小川少尉の件が報告された。


http://www.geocities.jp/kamikazes_site/tokko_episode/ogawa_syoi.htm




『橋の上のホラティウス』

そして門の守り手、
勇敢なホラティウスは言った。
「地上のあらゆる人間に
遅かれ早かれ死は訪れる。
ならば、先祖の遺灰のため、
神々の殿堂のため、
強敵に立ち向かう以上の
死に方があるだろうか。

かつて私をあやしてくれた
優しい母親のため、
我が子を抱き
乳をやる妻のため、
永遠の炎を燃やす
清き乙女たちのため、
恥ずべき悪党セクストゥスから
皆を守るため以上の死に方が
あるだろうか。

執政官どの、なるべく早く
橋を落としてくれ
私は、二人の仲間とともに
ここで敵を食い止める。
路にひしめく一千の敵は
この三人によって
食い止められるであろう。

さあ、私の横に立ち
橋を守るのは誰だ?」

 ――トマス・バビントン・マコーリー





Danger's Hour:
The Story of the USS Bunker Hill and the Kamikaze Pilot Who Crippled Her (English Edition)


Maxwell Taylor Kennedy



In the closing months of World War II, Americans found themselves facing a new and terrifying weapon: kamikazes -- the first men to use airplanes as suicide weapons.

By the beginning of 1945, American pilots were shooting down Japanese planes more than ten to one. The Japanese had so few metals left that the military had begun using wooden coins and clay pots for hand grenades. For the first time in 800 years, Japan faced imminent invasion. As Germany faltered, the combined strength of every warring nation gathered at Japan's door. Desperate, Japan turned to its most idealistic young men -- the best and brightest college students -- and demanded of them the greatest sacrifice.

On the morning of May 11, 1945, days after the Nazi surrender, the USS Bunker Hill -- a magnificent vessel that held thousands of crewmen and the most sophisticated naval technology available -- was holding at the Pacific Theater, 70 miles off the coast of Okinawa.

At precisely 9:58 a.m., Kiyoshi Ogawa radioed in to his base at Kanoya, 350 miles from the Bunker Hill, "I found the enemy vessels." After eighteen months of training, Kiyoshi tucked a comrade's poem into his breast pocket and flew his Zero five hours across the Pacific. Now the young Japanese pilot had located his target and was on the verge of fulfilling his destiny. At 10:02.30 a.m., as he hovered above the Bunker Hill, hidden in a mass of clouds, Kiyoshi spoke his last words: "Now, I am nose-diving into the ship."

The attack killed 393 Americans and was the worst suicide attack against America until September 11. Juxtaposing Kiyoshi's story with the stories of untold heroism of the men aboard the Bunker Hill, Maxwell Taylor Kennedy details how American sailors and airmen worked together, risking their own lives to save their fellows and ultimately triumphing in their efforts to save their ship.

Drawing on years of research and firsthand interviews with both American and Japanese survivors, Maxwell Taylor Kennedy draws a gripping portrait of men bravely serving their countries in war and the advent of a terrifying new weapon, suicide bombing, that nearly halted the most powerful nation in the world.



"This fascinating story of the deadliest kamikaze attack in World War II provides a vivid window on the war in the Pacific. But it also contains critically important insights for today's struggle against terrorists. Maxwell Taylor Kennedy shows how suicide bombers are recruited, the role they can play in asymmetric warfare, and how our military can be resilient in face of such attacks." -- Walter Isaacson, author of Benjamin Franklin: An American Life and Einstein: His Life and Universe

"This book is a triumph -- an original conception, a dramatic narrative superbly told, with lyrical portraits of brave men on opposite sides of a titanic struggle and impeccable research masterfully rendered. With Danger's Hour, Maxwell Taylor Kennedy's talents as a first-rate historian, an intrepid interviewer, and a wonderful writer are on full display." -- Doris Kearns Goodwin, author of Team of Rivals

"One of the little-known aspects of World War II was the role played by Japan's suicidal kamikaze pilots and their devastating impact on the U.S. Navy in the Pacific. Maxwell Taylor Kennedy tells their story in a detailed, vivid, credible, highly readable narrative." -- Stanley Karnow, author of Vietnam: A History

"This is a riveting, thought-provoking, superbly written history that unfolds and surprises like a novel. What we are permitted to participate in is nothing short of hell: a glimpse into the most asymmetrical warfare we Americans have ever faced -- the kamikaze pilot." -- Ken Burns, Filmmaker


抜粋

1. The Path to Pearl Harbor

But she goes not abroad, in search of monsters to destroy.
-- John Quincy Adams on America, 1821

Looming is an old sea term -- it describes the result of peculiar atmospheric conditions that occur rarely, but most often at sea, in which ships far beyond the furthest horizon may be clearly seen long before they are within visual range. When this happens, sailors and landsmen near shore are treated to a view over the horizon -- a look forward into time. Rural Americans were shocked by the bombing of Pearl Harbor. Easterners thought the war would begin in Europe, but students on the West Coast, and those Americans who followed events in Asia more closely during the 1930s, saw war in the Pacific looming over the not so far horizon.

In 1939, America and Japan were on a collision course. Both their economies were recovering. Defense spending was lifting each nation's economic potential. Shipyards in both nations were being expanded. All the while, a noose in the form of an economic blockade was tightening as America brought increasing pressure on Japan to end its expansion in Asia. Japanese militarists who controlled their government determined they would be overthrown if they capitulated to American demands. These leaders, including Hideki Tojo, realized, too, that they could not defeat the United States in a fair fight. The Japanese concluded that they had one chance: if they could severely damage the American Pacific Fleet -- especially America's carriers -- then the weakened United States, more concerned about the war in Europe, would make peace with Japan.

It is difficult to rationalize the Japanese attack on Pearl Harbor, and much easier to write it off along with the kamikazes as the irrational act of a fanatical nation gone awry. However, it is important to try to understand the Japanese point of view leading up to the war in the Pacific, and the reasons behind the attack on Pearl Harbor. A detailed analysis is far beyond the scope of this book, but a broad outline may be drawn.

From the time of the first European settlements in America, a frontier line, descending north to south, separated civilization from wilderness. This line can be seen clearly on maps through the decades, beginning first on the Eastern Seaboard, and moving steadily westward. By the mid-nineteenth century, the western frontier began to merge with American settlements founded on the West Coast that were expanding eastward. By 1890, the census announced that the American frontier no longer existed. For a time, though, America continued to advance westward, beginning a period of colonization and imperialism that directly threatened Japanese hegemony in Asia and the Pacific. America's west, for the first time, did not end at the shores of California.

This expansion continued an extensive history of confrontation over control of the Pacific. Marines had been sent to Sumatra in 1831. In 1853, Commodore Matthew Perry landed in Japan and forced Japan to open trade with America. In the midst of the American Civil War, President Abraham Lincoln sent a U.S. naval vessel to the Sea of Japan to shell the Home Islands and teach the Shogun a lesson about American power and interest in Asia. In the 1870s, when Japan was wresting control of Korea from China, President Ulysses Grant sent naval forces to Korea to burn coastal forts.

Japanese and American expansion were poised to collide, each determining, as the nineteenth century ended, how to get the most of what was left of Pacific Asia. The de facto annexation of Hawaii in the 1890s put Washington, D.C., 5,000 miles from its farthest borders. Control of the Philippines in 1899 extended American territory westward even beyond Japan.

Before Perry's visit, Japan knew little of the outside world and considered itself the preeminent nation. But once Japan opened itself to the West, Japanese leaders were shocked by the power of industrialized countries, and determined to force 200 years of economic development into a single generation under the Meiji emperor. Remarkably, they largely succeeded and set their sights on becoming not merely an island nation, but a power on the mainland of Asia.

Japan fought China in 1894-1895 and won Taiwan and parts of Manchuria. Yet they were forced by the colonial powers, particularly the United States, to take a limited profit from their brutal China war. The Japanese people were told by the emperor that they must "endure the unendurable." (These words were echoed fifty years later by his grandson, Hirohito, when Japan surrendered.) The newly industrialized Japanese devastated the Russian fleet in the Russo-Japanese War in 1905. But the United States brokered peace, and again forced the Japanese to lose face -- accepting less than they had won.

Although Japan was an ally of the United States against Germany during the First World War, the Japanese were insulted when the white Western powers refused to allow a racial equality clause in the peace treaty at Versailles. They again felt slighted when the victorious powers divided up the world and gave Japan only a few island chains considered to have little value -- the Marshalls, the Carolines, and the Marianas. In 1922, again under American pressure, Japan signed a naval treaty in Washington, D.C., which limited the size of its navy to about two thirds the size of the American fleet.

It wasn't long before the United States and Japan were looking down each other's throats.

Japan, like the United States, was torn by the Great Depression. Families that had prospered for generations within the traditional Japanese economic system were suddenly undone by new competitive realities as Japan became integrated into the world economy. Japan's leadership grew alarmed at the paucity of jobs and economic possibilities for the growing and increasingly restless population. They feared that Japan would be unable to compete without controlling land beyond the Home Islands, so the military regime continued and extended a foreign policy of aggressive territorial expansion.

In 1931, the Japanese invaded Manchuria and established a puppet regime called Manchukuo. The subjugation of the Chinese population in the 1930s required an enormous political, economic, and military commitment. Japan sent thousands of otherwise unemployed youths to Manchuria to make it Japanese. They built railroads, roads, bridges, and schools -- especially teaching schools to indoctrinate Chinese into the Japanese system. The Japanese government, like Adolf Hitler's in Germany, began a large-scale buildup of its military financed through deficit spending. This spending lifted the Japanese economy out of the depression and created an alliance between Japanese capitalists and Japanese military cliques. This coalition in turn determined a great deal of the country's national policy -- a policy that led inexorably to war.

The League of Nations refused to recognize Manchukuo, so Japan withdrew from the League, and refused to sign the new Geneva Convention. Two years later Japan withdrew from the Washington Naval Treaty, which had set proscriptions on the size of the signators' navies. Japan then initiated a rapid expansion of their fleet. By August 1937, Japan was conducting a full-scale war against China, committing violent atrocities, including what is now known as the Rape of Nanking. The world was outraged, but Western powers, hoping to avoid war, did nothing aside from putting forth weak protests. This policy of appeasement emboldened the Japanese militarists.

By 1940, the Far East and the Pacific were controlled by the great European colonial powers and Japan. The British controlled Australia, India, Burma, northern Borneo, the east coast of New Guinea, the Bismarck Archipelago, the Solomon Islands, and the Gilberts. The Dutch controlled much of what is now Indonesia and southern Borneo. The Vichy French controlled Indochina (now Vietnam).* The United States controlled the Philippines, Hawaii, Midway, Wake, and Guam.

In addition to the Home Islands, Japan controlled Manchurian China, Korea, Okinawa, Taiwan, much of Sakhalin Island, and the Caroline, Marshall, Bonin, Ryukyu, and Marianas island chains.

The Japanese island chains in the Pacific were almost unknown to most Americans. Their names now have a deep resonance for anyone with knowledge of the Pacific war. Micronesia includes the island battlegrounds of Palau, Yap, Truk, and about 550 other small islets, including Ulithi Atoll. The Marianas chain includes Saipan, Tinian, and a dozen or so other smaller islands. Guam is part of the Marianas, but it was controlled by America via a small, extraordinarily brave contingent of Marines until the start of the war. The Marshall Islands became known for the battles on Kwajalein, Eniwetok, and Majuro -- they include about thirty other coral atolls located halfway between Australia and Hawaii. The Ryukyus, the island chain hanging south of the Japanese Home Islands and sweeping down to Okinawa, was the battleground of the kamikazes. The Bonins are most famous for a small island called Iwo Jima.

Perhaps the most salient factor in Japanese territorial acquisition was that the Japanese, who had a relatively small military, were able to accomplish so much with so little. Radical nationalists had developed a pattern of brutal, lightning attacks against enemy strong points, followed by aggressive territorial acquisition far exceeding anything they could reasonably be expected to acquire, much less to hold. After these initial gains, the Japanese would enter into peace negotiations, in which much of the original territory would be divested, though still leaving Japan with enormous new territories, "legitimized" by the new peace treaty.

The United States, through a combination of economic sanctions and diplomatic pressures, determined to end Japanese expansion in Asia and the Pacific. This conflict between America and Japan was intensified repeatedly in a series of diplomatic moves by both countries that eventually made war inevitab...



著者について
Maxwell Taylor Kennedy graduated from Harvard University and the University of Virginia School of Law. He taught environmental studies at Boston College, where he cofounded the Urban Ecology Institute. Mr. Kennedy served as a prosecutor for three years before he collected and edited his first book, Make Gentle the Life of This World: The Vision of Robert Kennedy. Maxwell Taylor Kennedy is an avid scuba diver and co-led an expedition that located the wrecks of a fleet of pirate ships off Venezuela. He also participated in the National Geographic Explorers search for PT 109. A devoted maritime historian, Mr. Kennedy is currently an Associate Scholar of the John Carter Brown Library, a Center for Advanced Research in History and the Humanities at Brown University. He lives in Los Angeles with his wife, Vicki, and their children, Maxey, Summer, and Noah.









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