映画「かつては敵だった」の現場を訪れる…日米兵士60年ぶりにパラオ、ペリリュー島で再会

昨年のNHK放送「BS世界のドキュメンタリー」で高視聴率を記録した「かつては敵だった」(原題:Once Were Enemies - Peleliu)は、日米元兵士達の再会を描く映画。制作者は90年代から様々なドキュメンタリー映画を撮り、テレビシリーズでもジェミニ賞等を受賞しているエヴァ・ヴンダーマン(Eva Wunderman)監督だ。


ストーリー

 太平洋戦争中の1944年、日本軍とアメリカ軍がパラオのペリリュー島で激しく戦った。空、海、陸から攻めてくるアメリカ軍と、ジャングルの洞窟を拠点に2カ月以上抵抗を続けた日本軍。

 敗戦を知らずに1947年まで生き延びた日本側の生存者は1万人中わずか34人(既に捕虜だった約200人を除く)だった。60年ぶりにペリリュー島を訪問したアメリカ人と日本人の元兵士達は元戦地で再会した。


戦争のこたえを求めて

戦争映画には必ず賛否両論がつきものだ。誰も自国の非を責められたくないし、過去に全く興味のない人もいる。

 「でも私はスウェーデン系のカナダ人。日本人でもアメリカ人でもない。だから第三者の立場からこの戦争を描きたかった」とエヴァ・ヴンダーマン監督は言う。

 この映画を作るきっかけとなったのはある一冊の和書との出会いだった。それは舩坂弘氏の『英霊の絶叫-玉砕島アンガウル戦記』(FALLING BLOSSOMS)でとても深く感動したという。

 そして台本のない、ペリリュー島でのドキュメンタリーを構想した。撮影から完成までおよそ10年かかった。

 初め日米の元兵士達には相手の存在を知らせずに上陸してもらった。歴史家のエリック・メイランダーさんが別々に案内して島で引き会わせる計画をした。そしてその前夜にアメリカ側に、当日になって日本側にお互いの存在について知らせた。

 ヴンダーマン監督はこの2つのカルチャーの全く違う緊張感が興味深かったと言う。中でも「アメリカ兵を見た瞬間の土田さんの顔を見て」と監督は微笑む。

 その日から元兵士達は言葉も通じないのにお互いを知ろうと座談会を始めた。スチール・カメラマンとして同行したバンクーバー在住の斉藤光一さんが彼らの通訳を務めた。


 「我々がこうやって攻めた時、君達の作戦は何だった?」「あの時はどこに隠れていた?」というような過去の戦術から現在の生活までやりとりが延々と続いた。

 その姿は敵というよりも、まるで長年の旧友に再会したようだった。「毎晩だったのよ。質問がありすぎて、時間が足りなかったくらい。彼らはもっともっと、お互いの事を知りたかったの」とヴンダーマン監督はふりかえる。



同じ心の傷を負った戦士たち


そして信じられないことが起こった。烏丸新二さんがペリリュー島で戦死した兄・洋一さんの写真を持ち出すと、歴史家のエリックさんが驚いた。「僕もこの人の写真を持っている。この人は君のお兄さんだったのか?」

 烏丸洋一さんは、アメリカ軍に最も恐れられた連隊長中川州男大佐が率先する、エリート軍の連隊旗手だった。

 アメリカ生まれで日本育ちの洋一さんは、日記に「どの人の命も尊重したい」と残し、中川大佐の最期を見届けた。エリックさんから「彼を誇りに思って下さい」と言われ、烏丸さんは家族でさえ知らなかった兄の最期を聞き感無量だったそうだ。

 監督が特に心を打たれたのは福岡出身の土田喜代一(きよかず)さんの過去である。当時、土田さんはある兵隊のAさんと親しくなった。敗戦後もそれを知らず、抵抗を続けていたある日、Aさんは自分がアメリカ兵に投降して、日本が本当に戦争に負けたのか確かめたいと打ち明けた。

 しかし彼は裏切り者として仲間の目の前で射殺された。土田さんは、Aさんの残した計画を自ら実行して敗戦を知り全員投降となった。彼の遺体を埋めた場所に戻り、「君を残して日本へ帰り60年も生きてすまなかった。君のおかげで34人が助かったのだ」と号泣する。その姿は、戦争に巻き込まれた者の深い心の傷を物語っている。

 また日本兵と同じように、元米兵のリー・スミスさんとビル・カンバーさんも昔のタンクを見つけてはしゃぐ反面、 爆弾を身につけて飛び込んできた日本兵や、先に到着した海軍兵の死体をよけながら進んだ悪夢が蘇った。

 「おれ達は生き延びて良い生活をしたのに、彼らはあんなに早く逝った。なぜだ?」と戦友を思い涙する。 戦争に勝っても負けてもペリリュー島は悲しみの場所でしかない。若かった兵士達は、その場にいた者にしか理解できない戦争の苦しみと恐怖、また自分だけが生き延びた罪悪感と悲しみを共に背負って生きてきた。

ヴンダーマン監督は「洞窟の中で死者を追悼した後、日米元兵士達がお互い固く抱き合い肩を組んで出て来ました。敵として再会し旧友の様に帰って行く様子を見て、私は心から感動しました」とふりかえる。監督の新たな作品に期待したい。


撮影に同行して~写真家:斉藤 光一


当初私はパラオのぺリリュー島がどこにあるのかよく知らず、ましてやその島での戦時中の出来事については全くといっていいほど知識がありませんでした。

 にわか勉強でスチール・フォトグラファー兼通訳として撮影に参加したのですが、正直大変でした。

 撮影は連日ジャングルの中で悲惨な戦跡を追いました。撮影が終わると毎日私は夕食までの僅かな時間にひとりビーチに出て夕日を眺めていました。

 そうでもしないと精神的にきつかったのです。私の祖父も戦時中は東南アジアのジャングルに出兵したと聞いていましたので、そんな祖父の軌跡とも重なり運命の残酷さ、不思議さを考えることが多かったです。

 現地では文化の違いなどから多くの困難が続きましたが、そのような状況でもエヴァ監督はスタッフの安全を第一に考えながらも問題解決に果敢に挑んでいました。

 この映画は昨年末にNHK・BSで放送され視聴率も良かったと聞きました。エヴァ監督の多くの苦労がひとつ報われた気がします。




DVD問い合わせ先:http://www.wundermanfilm.com/


2014.02.22
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/39999



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